価格規制と数量規制:関東の電力不足対策

今回の震災で被害に会われた方々に心よりお見舞い申し上げます。過去に例の少ない悲惨な被害と、過去に例の無い多くの映像記録とに圧倒されつつ、色々と思うこともありました。しかし私の個人的な感情には衆目に晒すほどの価値はありませんので、ここでは自分が書けることを書いていこうと思います。


少し前にニュースを読んでいたら、民主党の岡田幹事長が「計画停電に変えて価格制限を行うべき」と発言したらしい。確かに、現状の輪番停電はあくまでも緊急避難であって、今後より効率の良い方法を考えなければならないことに疑問の余地もなければ議論の余地もない。

ただし、それは「価格制限(価格メカニズムの活用)の方が議論の余地無く望ましい」という事ではない。価格メカニズムの活用は、経済学が得意とする効率的で「エレガント」な解ではあるが、非効率で野暮ったい数量統制(例えば配給制)の方が最適になるケースもあるということを、経済学は教えてくれている。

そこで、今回は少し趣向を変えて、少し経済学を表に出したエントリーを書いてみたい。もちろん、経済学を勉強していない人にも分かるように書くつもりだが、そうは言っても退屈に思う読者の方もいるかも知れないので、今回は「今日のまとめ」を最初に持ってくることにした。興味のない方はこれだけお持ち帰り頂きたい。


本日のまとめ

価格規制は効率性に優れるが、数量規制は確実性に優れる。(注1)

価格か量か、という単純な構図は存在しない。

少なくとも大口消費先(工場など)については、数量規制の方が望ましい。

価格メカニズムの活用は、数量規制から少しずつ移行していく形がよい。そのためには、電力消費量が一定水準を超えたところで料金が跳ね上がる仕組みが便利。

良心に支えられた現在の節電行動は、価格メカニズムの導入で消え去る可能性を考慮すべき。

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奨学金の最適デザイン

昨今の―とは言え、気分的には20年近く続いている―不景気で、奨学金の返済に支障を来している人が増えているということであります。

教育というのはその後の人生で重要な意味を持つのは明らかです。そして、機会の平等という観点から言って、親の所得が低い人たちにも平等に高等教育を受けるチャンスが与えられるべきであり、そのためには奨学金の果たす社会的役割は大きいということを否定する人は少ないでしょう。この奨学金の返済負担が大きすぎるとすれば、今後奨学金の利用に二の足を踏む人も増えてくるでしょう。それを考えると、「生活がきついなら返済は免除されるべき」「もっと給費の奨学金を増やせ」という意見は、間違いなく「正しい」と言えるでしょう。

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英語って難しいよね (又は、英語の学び方について)

たまたま見つけたこちらのエントリーを読んで、少し英語学習の難しさを愚痴りたくなったので少し書いてみたい。しかし、こういう愚痴のようなエントリーを書くときだけやたらと筆が進むのは何故だろう。

日本人は英語が下手糞だというのは何よりも自分が身に染みて理解していることなのだが、個人的には英語教育以前の問題が原因としては大きいように思う。それは我々が使う日本語の問題であり、また英語の問題であって、教育のやり方がまずいという上のエントリーの主張は(事実だとは思うが)副次的な要素であるように思えるのだ。以下、少し説明したい。

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和魂と洋才とアメリカンドリーム

前回前々回と、欧米の「ジェノア型」組織の非生産的なところばかりを強調して書いてきたので、こういう疑問を持つ方もいたかもしれない。「アメリカ人ってそんなにみんな怠け者だったっけ?」

実際、アメリカ人には、日本人よりも遥かに「ワーカホリック」な人がいくらでもいる。ウォール街で働く証券マンなどはいい例だろう。朝5時に起床して会社まで30分のジョギング。会社でシャワーを浴びて6時には席に着き、メールをチェックしつつロンドンやらシンガポールやらと電話。朝の8時にはモーニングミーティングに出席し、9時半にマーケットが開けば、めまぐるしく動く株価をにらみながら右へ左へと叫び続ける。よほどの理由がない限り、ランチを外に食べに行くなどあり得ないことである。マーケットが閉じるのが4時、その後で取引の後始末をしたり客のリクエストに応えたりしているとあっという間に7時になる。客とのディナーが入っていればこの後深夜まで飲み続けてしゃべり続ける。そうでなければ多分9時くらいには会社を出られるだろう。トレーダーならもっと早く帰れるし、アナリストだともっと遅くなる。アナリストの場合は、帰宅が午前1時になるのも特に珍しいことではない。

家に帰ったところで、それで仕事が終わりというわけではない。下っ端アナリストであれば上司からの「明日の朝までにこれを用意しておけ」という電話に怯え続けなければならない。トレーダーの場合は、深夜に相場が動くたびに叩き起こされたりする(相場が動くとアラームで教えてくれる、それはそれは親切な機械があるのである)。法務部のような一見平和そうな部署でさえ、午前3時に叩き起こされて、地球の裏側での取引の決裁を要求されることは日常茶飯事だ。うっかりブラックベリーを会社に置き忘れて来ようものなら、居間の電話が容赦なく鳴り響く。折角寝付いた赤ん坊は夜泣きを再開。妻の殺気だった視線と赤ん坊の泣き声に耐えつつ、寝惚けている脳細胞にムチをくれて、電話先で下手くそな英語をまくし立てる営業マンから決裁に必要な情報を聞き出さなければならない。

金融市場がお休みの土日は暇かというとそうでもない。土曜日は朝から客や上司とテニスやゴルフ。日曜日は夕方に出社するかネットをつないで、月曜日の仕事のための仕込みをしておかなければならない。1年の間で、仕事のことを完全に忘れられる日など存在しないのだ。

これらがウォール街の特殊なケースというわけでもない。Center for Work-Life PolicyというNPOの調査によると、大企業の重役・管理職の45%が週に60時間以上働いているそうだ。月の残業時間に換算すると110時間弱。NPOが”extreme workers”と呼ぶこの45%に限って言えば、毎月の平均残業時間は170時間に達する。このグループのうち、約半数は有給休暇を一桁しか消化していない。プライベートなんてものは犬に食わせてしまったとしか思えない仕事ぶりである(注1)。

そして、彼らは周りから強制されて働いているわけではない。別に自分一人がさっさと帰ってしまっても、仕事さえこなしていれば咎められることはない。ここはジェノア型の組織なのだから。実際、彼ら”extreme workers”の中で、「周りやボスに強制されて働かされている」と感じている人は殆どいなかったそうである。むしろ、彼らの67%は激務を「自らに課している」と答えている。ついでに書くと、76%が自分の仕事を愛しているとも答えているそうだ。

なぜ彼らはそこまでして働くのだろうか?今回は日本の話からは少し離れて、ジェノア型組織で働く人々のことを考えてみたい。

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和魂と洋才と残業したい人々(下)

終身雇用、年功序列、そして持ちつ持たれつ助け合い、と並べると、何だか日本の会社というのは随分と居心地が良さそうに思えてくる。実際、こういうことを思う人は少なくないらしい。で、「この厳しい国際競争の世の中では、日本企業のような甘っちょろい組織は生き残れない!」といった、様式美と呼ぶべきお約束の議論が始まるわけだ。

しかし、日本の企業というのはそんなに甘い組織なのだろうか。そして、容赦なくクビを切る(と言われる)欧米の企業というのは、そんなに厳しい組織なのだろうか。正直、筆者には、日本の企業が"使えない人々"に対して甘い組織だとは到底思えないのである。

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和魂と洋才と残業したい人々(上)

筆者が海外のオフィスにお邪魔した時、最初に違和感を感じたのは電話だった。オフィス中に反響しそうな勢いでビービー鳴っているにもかかわらず、誰もその電話を取ろうとしないのである。こちとら「誰の電話が鳴っていようと、3コール以上通話相手を待たせるべからず」という鉄則を叩き込まれてきたクチだから、これはどうにも落ち着かない。3コール目くらいからソワソワし始め、5回、6回、と心の中で指折り数えてしまう。集中力もへったくらもあったものではない。7コール目くらいになると救いを求めて秘書の方を見るのだが、これまた泰然と無視なさっておられる。どれだけ大物なんだ。さぞかし名のある家の出に違いない。次からはマダムと呼ぼう。

そういう益体もないことを考えている間に、電話のコールは十を数える。こちらは何もしていないのに既に疲労困憊である。流石にこのころになると、周囲も電話のことを気にかけ始めるのだが、その態度は明確に「うっせーな、粘ってないでさっさと切りやがれ」というものであり、この後に及んでもなお誰も受話器を取ろうとしない。君達我慢強すぎ。そこからはもう我慢比べである。勝率(相手が電話を切れば勝ち)は7~8割くらいではなかったか。

こういうことが何回か続いた後で、隣の外人に「電話を取らなくてもいいの?今の外線だったよね?」と聞いてみたのだが、「え、でも俺宛ての電話じゃないし」と、質問の意味が分からない様子である。その後の拙い英語でのやりとりをまとめると、「通話相手は(離席中の)彼と話したくて電話をしてきたのであり、俺は彼の仕事を何も知らない。そんな自分が勝手に他人の電話を取るべきではない。ボイスメールはそのためにあるのだから、それを活用すべき」。いや、ごもっとも。

しかし、日本人の我々は、他人の電話でもさっさと取って要件を聞いた方が良いケースを知っている。もしかしたら先方は急ぎの用かもしれないし、それは自分でも対応可能なことかもしれない。少なくとも、先方に担当者がいつ戻るかといった情報を伝えることは出来るはずだ。そういう助け合いは、個々には些細なケースであっても、全体で見れば組織のパフォーマンスを高めるということを我々は知っているのである。

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和魂と洋才と「会社」の仕組み

初めて会った外国人と話す時の"お決まりのネタ"のひとつが、「日本人が働き過ぎるのはなぜか」というものだ。日本では"work for life"ではなく、"life for work"であるらしい、というのは、誇張交じりにせよ海外でもよく知られている。そしてこのネタになると、欧米人は心からの同情を込めて、馬車馬のように働くこの哀れな日本人を慰めてくれるのである。「人生に疲れたら僕の国においで」、と。こう言ってくる時、彼らの頭の中でドナドナの悲しい調べが奏でられていることを筆者は疑わない。

この件に限らず、日本人の働き方が欧米のそれとは大分異なっていることはよく知られているし、日本人の側でもそれなりの自覚がある。なぜ日本ではどいつもこいつも長々と残業しているのか? なぜ日本の会社は中途採用に対してこれほど消極的なのか? 成果給はなぜいつまで経っても根付かないのか? 日本の労働組合はなぜ企業と戦おうとしないのか?

もちろん、日本人の働き方が悉くネガティブに捉えられているわけではない。日本人の接客態度は間違いなく世界最良の部類だろうし、あの複雑極まる交通システム(特に電車)を完璧に運営することは、他の国々 - 特に、ドイツを除く欧米諸国 - にはほとんど不可能な難事に違いない。そしてなにより、自動車産業に象徴される高い生産効率。だからこそ、良きにつけ悪しきにつけ、日本の企業組織というのは興味と議論の対象になってきたわけだ。

前回まで(とはいえ、最後に書いたのは1年前なのだが)、日本独特の文化が「裏切ったら村八分」という、ある種陰険な評判メカニズムによって律される社会構造の産物であると書いてきた。そして、評判メカニズムは「異邦人」に対して脆弱な仕組みであり、それ故に人の出入りが激しい社会ではこのメカニズムは機能しない。それが温泉や医療システムでの国ごとの違いを生んでいる。

そして、社会が人間同士の関係性で成り立っているように、会社組織もまた突き詰めれば人間関係だ。ならば、日本と欧米との会社構造の違いも、同じ視点から考えることが出来るかもしれない。そこで、このシリーズの第2部として、日本と欧米の会社組織の違い、働き方の違いがどこからくるのか、それを考えていくことにする。今回は、このシリーズのネタ元であるグライフ教授の研究を紹介するところから始めたい(注1)。

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イスラエルのしっぺ返し戦略

The Economistの先週号と今週号の記事を読んでいて「うまいこと言うなぁ」と思ったのは、イスラエルの戦略をtit-for-tat戦略であると表現していた点だ。Tit-for-tat戦略というのは、何らかの交渉事において、「とりあえず最初は相手と協力を試み、相手に裏切られたらこちらも裏切り、相手が協力する限りはこちらも協力し続ける」という、ゲーム理論ではおなじみのしっぺ返し戦略の一種だ。単純な割に効果の高い戦略として知られている(注1)。

実のところ、これはイスラエルの「抑止力戦略」そのものだ。敵国から攻撃を受けたら、あらゆる手段を用いてでも、倍返し三倍返しで反撃する。それを学んだ敵国は「イスラエルを攻撃すると後が面倒だ」と、攻撃そのものを控えるようになる。(原則としてこれは自衛のための戦略であるという点に注意。)この観点から見れば、死者の数に著しい不均衡が生じるのは、もともとの戦略が企図したとおりであって驚くには当たらない、となる。「正義と不正義」の釣り合いを決めるのは死者の数ではなく、最初に「裏切った」側だ、というわけだ。

The Economistは、先週号の「Proportional to what? 何と釣り合ってるって?」で、以下のように書いている。『もししっぺ返し戦略の起点をハマスのロケット弾に求めるなら、イスラエルに自衛の権利があるとすべきだろう。もしこの起点をイスラエル建国当時(1948年)のパレスチナ占領、またはその時のパレスチナ人追放に求めるならば、パレスチナ人の抵抗にこそ正義があると言えるだろう。釣り合いがあろうが無かろうが、この紛争が解決するまで無辜の人々は殺され続ける。』

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今週のThe Economist: ガザ:正当なこと、そうでないこと

原題:Israel’s war in Gaza: The rights and wrongs

明けましておめでとうございます。更新が大きく遅れてごめんなさい・・・という話は、最近毎回書いているような気がするのでサブブログの方に譲ることにします。今年はもう少し頻繁に更新できるといいのですが。

さて。ガザが大変なことになっている。この件がしんどいのは、誰に聞いても現実的な解決策が出てこないという点だ。そうなると、「イスラエルの行動の何が間違っていて、どうすべきだったのか」という筋での議論は著しく困難になる。何を言っても説得力がないのだからしょうがない。で、その代わりに、これは戦争ではなく虐殺だ、人道上看過できない学校に砲撃を加えたことで国際世論を完全に敵に回した、と言った半ば情緒的な議論が増えることになる。

別にこういう意見を批判するわけではない。パレスチナの側からみればこれは確実に虐殺であり、人道上問題があるのも明白であり、当初はある程度抑え気味に報道していた欧米のマスメディアが、地上戦開始以降イスラエル非難を強めているのも筆者の見る限りでは事実なのだ(それはそれとして、イスラエル内部での意志決定プロセスに問題があるかも、と指摘したこのNYTimesの記事は結構面白い。どこまで信憑性があるのかは不明だが)。

だが、それだからこそ、そういう情緒的な議論に流れずに踏ん張ったThe Economistの以下の記事は価値があると思う。わずか1ページのまとめでここまでバランス良く書き上げるのは簡単なことではない。こういう記事こそが多く読まれるべきだと思うのだが、残念ながらこの記事の翻訳はどこにも見あたらない。そこで、以下で少し紹介してみることにしたい。普段は「今週のEconomist」と書きつつ7割は筆者の勝手な私見を垂れ流しているのだが、今回はもう少し引用多めで(そもそも、自分自身も不案内な分野なので、垂れ流すほどの私見もない)。

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和魂と洋才と医療の崩壊(下)

随分間が開いてしまったが、前回と前々回で、日本社会の評判メカニズムが機能しなくなると、社会のあちこち(温泉であったり、救急医療だったり)が綻んでいく、と書いた。しかし、ここで話を〆てしまうと、結局「昔は良かった」というご老人の繰言と大差がなくなってしまう。そこで今回は、前回に引き続き医療を例に取りながら「じゃぁ、どんなシステムならうまくいくのか?」ということを考えてみたい。

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«人生という相場に向き合う方法