今週のThe Economist：フランスの労働問題「35時間の憂鬱」

原題： Labour markets in Europe: Thirty-five hours of misery (July 17th, 2004)

正直な話、最初この話はホームページで取り上げるつもりはなかった。フランスの労働政策のまずさをけなすのは簡単なのだが、それだけではあまりにもひねりが無さ過ぎる。それでも今更になって書く気になったのは、FTの記事がEconomistのそれとずいぶん論調が違っていることに気づいたからだ。

安易なワークシェアリングの見事な失敗

まずThe Economistの記事を大雑把にまとめておこう。フランスはジョスパン首相時代の2000年に1つの労働政策を施行した。1週間の労働時間を35時間に制限し、その一方で月給は労働時間カット前の水準を保つことを企業に義務付けたのだ。労働時間を制限すれば企業は生産を維持するために新たに人を雇わなければならない。そうすればフランスを悩ませている高失業率問題も解決するはずだ、というのが法律の基本的な狙いだった。いわゆるワークシェアリングを法律で義務付けたわけだ。

正直、フランスがこの政策を実行に移したと聞いたときはあきれ果てた。確かに、当時から与党は社会党や共産党など左派の連合政権だったし、2ケタ台が長く続いた失業率はもはや経済問題というより社会問題となっていた。だから強引にでも失業率を下げる政治的な必要性があったことはよくわかる。ただ、それにしてもこの政策は強引に過ぎた。または、いくらなんでも考えが足りなすぎた。

労働時間をカットして賃金を据え置くという事は実質的な賃上げだ。賃金が上がれば労働者を雇いにくくなり、失業率がかえって上昇する恐れがあるのは別に経済学を学んだことが無い人であってもごく当たり前に分かることだ。「ワークシェアリングで雇用創出」などというのはアラジンの魔法のランプ並みのファンタジーに過ぎない。実際、失業率はろくに下がらなかった（幸い、フランスでは2002～03年を除いてまずまずの好景気が続いているので、失業率の上昇は避けられているが）。結局、4年経ってみるとこの法律は企業の高コスト体質（＝低利益体質）をますます強化し、フランスの経済競争力を損ねただけで、なんら益するところなし、という評価が定着しつつある。

The Economistでは続けてこの政策を採用したシラク大統領に批判の矛先を向け、一方で最近売り出し中の若き蔵相サーコシー(Sarkozy)を賞賛している。サーコシーが35時間規制反対派なのに対し、シラク大統領は先週も「35時間制限を撤廃するつもりは無い」と宣言したばかりなのだ。

とここまで読むと、ENA(国立行政学院：フランスのエリート養成大学)を経て政治家の王道を歩んできたシラクの頑迷っぷりにため息をつき、弁護士出身で「改革派」のイメージの強いサーコシーを応援したくもなるのだが、どうも少し話が違うらしい。

経済は規制されるべきか、自主性にゆだねるべきか

少し古い記事になるのだが、7月16日付のFT(Financial Times)にこの35時間制限の話が載っている。最近日本にも進出した自動車部品メーカーのボッシュが、フランスのある工場の労働者に対して、少なくとも9割の労働者が賃上げなしで労働時間を35時間から36時間に伸ばすことに同意しないなら、新しい生産ラインはチェコに設置し、フランスの工場は縮小する（人員削減する）、と宣言したのだ（ちなみに、20日の発表によるとこの提案はその工場の労働者の98%以上から受け入れられた）。

この試みをシラク大統領は非難したが、面白いことに35時間制限を批判する「改革者」サーコシー蔵相もこれに対して批判的だ。FTによれば、サーコシーは35時間制限を法的に撤廃することには熱心だが、法解釈を柔軟にして企業の自主性に任せるという手法はそれほど好きではないらしい。一方で、シラクのほうが現行の法制度の下でより柔軟な運営を目指す、と宣言しており、むしろボッシュのスタンスに近い。

つまり、シラクとサーコシーの対立は35時間規制に賛成・反対するというものではなく、法律の縛りを緩めて企業の自主性に任せる手法（シラク）と、法律の縛りそのものは維持して法律そのものを改革する手法（サーコシー）の対立であったわけだ。

経済学の立場から言えば、法律による規制は一般的に効率が悪い。望ましい雇用契約は各企業、各労働者によってまちまちだし、どんな契約が望ましいかもその時々の経済・社会環境でどんどん変わっていく。しかし法律ではそんな細かいところまで面倒は見切れないので、ひっくるめて「みんなこうするように」としか言う事は出来ないし、一度決めたら改正するのにはまた時間がかかる。それに法律はそれをみんなに守らせる強制力があって初めて効果を持つのであって、強制力を維持するためにはそれなりのコストがかかる（裁判費用や、行政による監視のコストなど）。

その意味では、法律であまり縛らずに労使の自主性に任せるべき、とするシラクの立ち位置の方が「改革者」サーコシーのスタンスよりも望ましい可能性が高い。

ただし、労使の自主性に任せるという事は、経営者と労働者の力関係がストレートに契約に反映されるということでもある。これは多くの場合労働者にとって好ましい状態とはいえない。根本的に、労働者は経営者に比べて交渉力が弱い。交渉力については別の機会にちゃんと書こうと思うのでここでは特に触れないが、給料を払う側が給料をもらう側よりも有利に交渉が進めやすいということだ。

交渉力の弱さを補うために通常労働者には争議権その他が認められているわけだが、これだって余り有効なものとは言いがたい。ストをやりまくって企業が倒産してしまったら労働者だって路頭に迷う。だから経営者側は、「ストライキは経営を圧迫はするが、倒産する前に労働者は矛を収める」ことを理解したうえで交渉に乗り出すことが出来る（倒産しても再就職先に困らない航空会社のパイロットなど、例外はあるが）。

その結果、経営者側の譲歩はどうしても小さなものになる。ストライキで失うものの大きさがもともと限定的なのだから当然の話だ。労働者側は最初こそ「不退転の決意」とかなんとかいうものの、結局適当な落しどころで納得せざるを得ない。この結果、ストライキの後も労働者の満足感は向上しないため、また次の年にはストライキが発生する。倒産しない事があらかじめ分かっている出来レースのようなストライキが頻発するわけだ。なんとも不毛な話だ。

頻発する労使紛争が経済全体に与えるコストは馬鹿にならないから（特に輸送関連）、そんなことになるくらいなら多少の社会的コストは覚悟の上で法律でがっちり縛ってしまった方が効率的なのだ。

安定的な労使関係がもたらすもの

つまり、シラクとサーコシーの政策のどちらが望ましいか、すなわち労使の自主性にどれだけ任せるかどうかは、フランスの労使関係がどれだけ安定しているかによる。筆者はこのあたりの事情は全く知らないので（あまり良好な関係だとは思えないのだが）、どちらが正しいかの判断は出来ない。ただ、フランスの労働政策の間抜けっぷりを笑えばすむという問題ではないことだけは確かなようだ。

もう1つ重要なのは、安定的な労使関係が経済に与える影響は決して小さくないということだ。日本のように労使関係が安定していれば、非効率と分かっている法律による縛りは考える必要が無くなる。逆に労使紛争が頻発していれば、非効率と承知で「間抜けな」労働規制を敷かなければならなくなるのだ。

金融政策論議の不思議(9)で、日本は「デフレスパイラル（デフレが生産を低下させ、その結果所得が減るので消費も減少し、さらにデフレが進む）に陥る可能性も結構あったが何とか持ちこたえた」と書いた。その一因に安定的な労使関係があった可能性は高い。金融政策論議の不思議(2)でも書いたことだが、デフレが進行したときに賃金も柔軟に低下したことで、失業率の大幅な増加を避けることが出来たのだ。

バブル以後の日本の経済政策は到底ほめられたものではないが、それでも日本経済がなんとか持ちこたえているのは、こういう基本的な経済システムがしっかりしているからなのだろう。

この話、ユーロ通貨圏の行く末を考える上でも結構重要な問題になってくると思うのだが、そのあたりもまた別の機会に。

蛇足

変に誤解されると困るので、念のために労使関係についての筆者の個人的な信条も書いておきたい。筆者個人は労働組合にもストライキにも何の関心も無い。会社のやりようが不満であれば、ストだのシュプレヒコールだの非生産的な活動で時間を無駄にするより、とっとと転籍して望ましい職場環境でばりばり働いた方がいいにきまっている。後はスムーズな転籍が出来るように、自分を磨き周りからの評価を高めることを考えればよい。

ただし、この考え方は一般化できない。評価とは基本的に相対的なものだから、みんなが上のように考えてばりばり働き出してしまうと、いくら頑張っても自分の評価は上がらない。よって転籍の自由も得られない。だから、マクロの政策としてはやはり労働者の権利をどう保護するかは考えざるを得ない、というスタンスなわけだ。