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それでもジャーナリストは必要だ

前回、読者の大半はほとんどの記事の内容には無関心なので、多数の読者を相手にするマスメディアは記事を真実に近づけるよりも分かり易くすることに重点を置かざるをえない、と書いた。じゃぁ、少数の読者だけを相手に出来るブログはマスメディアより優れているかというと、そう単純な話でもなさそうだ(この記事は「真実を追えないジャーナリスト」の続編に当たります。未読の方はぜひこちらからどうぞ)。

前回、筆者は日経新聞の金融欄を読んで感心することはほとんどない、と書いたが、じゃあ毎日金融欄は読まなかったかといえばそうではない。隅から隅まで真剣に読んだ。細かい記事まで一切見落とさずに。たとえ自分自身にとって大したことがない記事であっても、その記事を何万人もの人が読んでいる事は間違いないのだ。出社するなり客や営業から質問を受けるかもしれないし、例え正しくなかろうと世の中はその記事を前提に動くかもしれない。それを考えたら、1記事たりともおろそかには出来ないのだ。

マスメディアの存在意義

つまり、マスメディアは、「多くの人が何を真実であると思っているか」を知ることが出来るからこそ存在価値がある。その記事が読まれてさえいれば、内容の良し悪しはどうでも良い問題なのだ。

そして、実のところ、世の中では「真実を知っていること」よりも、「皆が真実だと信じていること」を知っていることの方がずっと重要であることが多い。極端な場合、「皆が真実だと思っていることが真実になる」ことだってある。特に金融市場ではそうだ。

そして、ブログはこの「多くの人が何を真実と思っているか」を伝えることが出来ない。これはもう規模の問題だからだ。もちろん、あるブログの読者が1日100万人になったら、マスメディアの代わりになれるかもしれない。しかし、そのためにはそのブログの作者は自分の考える真実を押し殺してでも万人に分かるように書かなければならないだろう。そんなことをタダでやるのは全く割に合わない。

それに、100万人の読者から寄せられるコメントやメール、トラックバックを全て読むことなど絶対に不可能だ。この段階でブログは「参加型ジャーナリズム」ではなく、ただの無料マスメディアになる。


言い方を換えれば、いわゆる「マスメディアへの信頼性」というのは、「非常に多くの人がその新聞などを注目して読んでいることが信じられる」ということであって、そのコンテンツに対する信頼性ではないということになる。記事の中身よりも発行部数のほうが重要だということだ。もちろん、その記事が明らかに間違っている場合は、「いくらなんでもこれは誰も信じないだろう」と思われてこの信頼性は崩れるのだから、コンテンツ自体もそれなりには正しくなければならないのだが。

逆に言えば、コンテンツそれ自体に対する信頼性が云々されている状態というのは、マスメディアにとって危機的な状況だ。「自分にはこの記事の間違いが分かるけど、まぁ他の人はこれで信じるんだろうな」というレベルの品質すら維持できていないということだからだ。

更に言うならば、ネットの発達によってマスメディアの記事に文句をつけやすくなったことで、「この記事は他人もおかしいと思っているかもしれない」と考える人が増えた可能性はある。この場合、ネットのチェック機能がマスメディアの存在意義である「みんなに読まれていると信じられていること」を揺るがせてしまうわけで、その意味ではマスメディアの存在価値は昔よりも低下することになる。

ただし、一方で「みんなと同じ事を知りたい、考えたい」というニーズがなくなる事はありえないし、今後も特定の物事に無関心な人は関連のブログなど読まない(または、読めない)から、マスメディアが人々の無関心の上に君臨し続けるという構図は今後も変わらないだろう(ちなみに、みんなと同じ事を知りたい、というニーズについては今週のThe Economist 「グリーンスパン議長の功罪」に詳しく書いてあります。興味のある方はどうぞ)。

ではブログは真実を追えるのか?

念のために書くが、前回書いたのは「プロのジャーナリストは真実を追求し続けることが許されない」というだけのことで、ブログに書いてあることが即真実だという訳ではもちろんない。ブログの作者は真実を追求しやすいが、それが成功するかどうかは別の問題だし、たどり着いた真実がただひとつの真実かどうかも分からない。

それに、ブログは分かりやすさを犠牲にして良いかといえば、そういうわけでもない。正しさと分かりやすさのジレンマはブログにだって間違いなく存在する。読者層を限定できる分だけマスメディアよりもはるかに柔軟に正しさと分かりやすさのバランスを調整できるというだけのことだ。

その柔軟さと、そこから生まれる多様さこそがブログの武器であり、逆にプロのジャーナリストには届かない境地でもある。そして、世の中は複雑で、「真実」がひとつとは限らないからこそ、多様であることは真実に近づくためにもっとも大切なものなのだ。

結局、真実を知りたい数少ない読者は、色々なブログやその他の情報源(専門書や論文を含む)を渡り歩いたり、自分でブログを開いて議論したりして自分なりの真実を鍛えていくしかないのだろう。

「分かりやすい世界」に安住する人々

だから、プロのジャーナリストは今後も必要なんだよ、というのがここ2回の記事の趣旨なのだが、それでも「プロのジャーナリスト」の方々に物申したい事はある。ここまで、分かりやすさと正しさのジレンマということを再三強調してきた。それは、筆者自身がこのブログを書くのに一番悩んでいる点だからだ。

だが、彼らはどれだけこのジレンマを感じているだろうか。このジレンマから逃れるのは簡単だ。素人であり続ければよい。素人として理解できる範囲だけで世の中を理解していれば、彼らが正しいと信じる記事はそのまま分かりやすい記事になる。

こういう人たちは専門家(または事件の当事者など)を取材しても、話の内容など聞いていない。自分の足りない知識でも理解でき、かつ「分かりやすい記事」に使えそうな単語をスキャンしているだけだ。だから、取材と記事の内容が180度違う、ということが頻繁に起こる。ついでに、全く理解できない専門家のコメントを「彼らは実際の世の中が分かっていない」とかうそぶいて無視すれば完璧だ。

確かに、プロのジャーナリストの専門性が分かりやすさにある以上、そういう行為を特に批判するつもりもない。専門家の側でもそのくらいの事情は理解している。それでも取材に答えるのは名前を売るためだ(これは証券アナリストの場合)。

ただし、そのようなジャーナリストを尊敬する気になれないこともまた確かだ。そして、新聞記事などを見る限り、目を閉じて耳をふさいで、「ジャーナリストの専門性」の世界に安住する人は決して少なくないように思う。

それだけに、前回の冒頭で紹介したブログなどを見ると安心する。見ざる聞かざるで自分だけの楽園を守るのではなく、自ら楽園の外で道を拓こうとする人には声援を送りたい。

本日のまとめ

マスメディアは真実を伝えるから必要なのではなく、「マスメディアが伝えた事は皆が真実だと信じる」から必要だ。

この仕事はより多くの読者・視聴者を得て初めて実行できる。より多くの読者を集めるには分かりやすくなければならず、だからこそマスメディアの記事は必然的に真実から遠ざかる。

ブログのほうが記事の質が高いとしても、ブログがプロのジャーナリズムを越えた事にはならない。存在意義がそもそも異なる以上、比較のしようがない。

分かりやすい記事を書くことに甘えて不勉強な記者が多すぎる。


追記: 起きたらトラックバックを2件も頂いていました(ありがとうございます)。こうなってくると欲が出てくるもので、現職の記者さんの感想も聞いてみたくなります。そこで「ネットは新聞を殺すのかブログ」に恐る恐るトラックバック。

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Comments

私も仕事柄メディアの取材を受け、かつその結果「こんなこと言ってないぞ」といった記事を書かれる経験を少なからずしておりますが、ご指摘のように記者が不勉強・先入観で記事を書いてしまうケースのほかに、デスクの指示で直される(記者も時間があれば議論・説得をしたいのですが、締め切りがある以上、最後は上司の指示に従わざるを得ない)というパターンもあります。

まあ、記者は取材先との関係を壊したくはないでしょうから、デスクのせいにしている面もあるのでしょうけれど(笑)。

それでも私もジャーナリズムが必要と考えております(で、忙しいさなかであっても「仕事を増やすなぁ~!」と愚痴りながら取材に応じてます)が、馬車馬さんご指摘の理由のほかに、情報発信という機能ではブログ(や2ちゃんねる)に圧倒的に勝っているという点があげられると思っています。

例えば自分が担当している案件で、ほどよく物事を知っている関係者も増えて、いつ表に出てもおかしくないといった状態のとき、でも最初に表に出るのはマスメディアなんですよね。2ちゃんなんて匿名なんですから、リークがあってもおかしくないと思うのですが、マスメディアでオープンになる前に2ちゃんで漏れた例はありません(もちろんブログでも)。

最近話題になったブッシュの軍歴についての話を含め、ブログや2ちゃんが真価を発揮するのは、即時性ではなく検証的な掘り下げの局面にあると思います。だからジャーナリズムといっても、むしろ雑誌・ルポ系の一つのテーマをじっくり掘り下げるジャーナリズムの方がブログ・2ちゃんねると競合するのではないでしょうか。

Posted by: bewaad | September 26, 2004 at 03:02 PM

こんにちは。

小生も以前、日経記者からの取材対象となったことがありますが、何気なく言った言葉が取引先の気に障ったらしく、過剰反応を起こした部長が取材でコメントを出すことを禁止にしました。これと同様にスポンサーへの配慮から思った記事を書けないということは複数の記者から聞いたことがあります。

しかし、それを割り引いても日経記者のレベルは下がったと思います。少なくとも80年代の記者は取材対象の言葉をそのまま記載することはなく、自分なりに咀嚼していたと思います。その点に物足りなさを感じています。週刊誌に書いてあったお家騒動のため、やる気がなくなっているのだろうか。と感ずる今日この頃です。

最も、日経新聞及び日経金融新聞のレベルが上がれば、簡単に批判もできなくなり、小生も失業となるのでそれは困ります(笑)。

Posted by: yohsshi | September 26, 2004 at 05:32 PM

 馬車馬さん、こんにちは。

 私もジャーナリストの方々、特に大手新聞社系、に聞きたいことがあります。あなた達は仕事に矜持を持っているのですかと言うことを。プロフェッショナルを自認するのであれば、それに見合った仕事をして見せて頂きたく思います。仕事が好きであれば勿論、そうでない場合ならそれこそプライドにかけてある水準(上でyohsshiさんが述べられているように、自分なりに咀嚼していると納得できるぐらいでしょうか)のクオリティを保つことこそ、プロの有り様だと私など思うわけですが。

Posted by: Giraud | September 26, 2004 at 10:48 PM

Bewaadさん、コメント有難うございます。

私も昔はちょくちょくお役所に質問の電話を入れていたクチですので、その節はお世話になったかもしれません(笑)。

確かに、情報発信(事実を収集してそのまま伝える、たしかストレートニュースと言うんでしたっけ)の役割はブログ他では無理そうですね。マスメディアの方々が情報収集のために作り上げたシステムは巨大なものですから。

ただ、このストレートニュースというのは「隠されていたネタを暴露する」ケースを除いて、情報を右から左へと流す仲介業務であって、付加価値がどれだけ高いかは少々疑問です。概念的には、Google Newsを極めて大規模に拡大しただけなのではないかなぁと思ってしまうわけです。特に、将来的には。

ジャーナリズムとネットの主戦場?がむしろ検証系のネタになるというご指摘は全くおっしゃるとおりだと思います。

えーっと、すいません、唐突にこの記事を書いてしまった関係で金融政策ネタが遅れております・・・近日中には書き上げる予定です。

Posted by: 馬車馬 | September 27, 2004 at 03:02 AM

Yohsshiさん、こんにちは。

私は読者とジャーナリストの関係だけに注目して記事を書きましたが、おっしゃるとおりマスメディアには読者以外にも顧客がいたんですよね。

そうするとプロのジャーナリストが真実と信じる事を記事にするハードルは更に高いということになりますね・・・。

日経新聞のレベルが低下している、という話は方々で聞くのですが、なぜでしょうね(私は80年代の日経は知りませんが)。お家騒動1つでそこまで下がるものなのでしょうか?

そのほかのコメントに対するリプライは少し時間を下さい。すみません。

Posted by: 馬車馬 | September 27, 2004 at 03:16 AM

半ば(ほとんど?)ジョークですが・・・。

Google Newsって、ポートフォリオマネイジメントで言えばパッシブ運用と言いますか、既存のマスメディアがあって初めて成立するような。全ての投資家がパッシブで運用したらどうやってプライシングが成立するんだってネタがありますが、既存のメディアが全部なくなったらGoogle Newsもさぞかし困ることでしょう(笑)。

Posted by: bewaad | September 27, 2004 at 03:19 AM

Giraudさん、こんにちは。

難しいのは、プロのジャーナリストは必ずしも取材対象に対する深い理解を必要としていないのではないか、むしろ限られた時間と字数で記事を仕上げるには、余計な知識はむしろ邪魔なのではないかとも思えることです。

ですから、不勉強な記者もその意味では十分にプロなのではないかと。TV局などはそういう割り切りが強そうですね。新聞は記者さんの側にそこまでの割り切りがないため、彼らのプライドと現状とが乖離してしまって批判を受けやすいのかなぁとも思いました。

まぁ、不勉強な記者に辟易している点はGiraudさんと同じなのですが、「もっと勉強しろ」という叱咤はもしかしたら無茶な要求なのかな、と。その分、真実を追うジャーナリストというプライドを持ち、それを実践している人は応援したいなと思うわけです。

Posted by: 馬車馬 | September 27, 2004 at 04:15 AM

Bewaadさん、いや、おっしゃるとおりです。でも、警察とか企業とかは本来思い通りに情報を流したいはずで、そういうのも全部ネット上で行い、GoogleがメディアのHPだけじゃなくあらゆるネットをチェックしてニュースを生成していくっていうのも将来的にはあるのかなぁとか思いました。もちろん、それで今の新聞の情報発信機能が完全に代替される事はないでしょうけど。その辺りは色々夢想していると楽しいですね。

Posted by: 馬車馬 | September 28, 2004 at 09:42 AM

不勉強な記者、日経新聞のレベルが低下した、などの指摘について、現役記者の一人として、個人的に思うことをこの場を借りて説明したいと思います。業界の人間としていずれも身にしみるご批判であり、それでもプロかよ、と思われるのも当然ですね。私も取材される側なら同じような感想を持つでしょう。
 まず不勉強な記者について。私の専門分野である金融市場、金融政策などに限定した場合、マーケットの複雑化に記者の理解が追いつくのが難しいことが挙げられます。これは必ずしも記者個人の努力不足だと決め付けられるものでもありません。
 大きな問題として、人事ローテーションが短いことが挙げられます。多くの場合、クラブ間移動は1-2年で、専門性を深めるには十分な期間ではありません。経済記者なら経済を幅広くカバーすべし、というゼネラル志向が依然根強いです。
 また、例えばマーケットに精通しても、それだけでは評価が上がりにくいことも影響しています。専門的に優れるより、合併や破たんなど抜く方が明らかに評価は高いです。必然的に情報握る人物との「関係構築」が記者のインセンティブとなります。その間、マーケットはデリバティブの普及、グローバルな相関性など、かなり知識を要する世界に変わりつつあり、初心者の参入ハードルは高くなる一方です。
 金融政策も公定歩合を上げるのか下げるのか、といった単純ものではなく、準備預金制度の意味、マネタリズムに関するある程度の理解、金融調節の実務、そして日銀の本心(量的緩和は政治的演技であって経済・物価への実効性は何も無い)も察していないと、企画の言い分を一方的に良く分からず聞くだけになるわけです。
 日銀クラブにいきなり配属され、ポートフォリオリバランス、テーラールール、ビハインドザカーブ、介入の非不胎化などの用語に目を白黒させ、よく分からぬうちに転属するのが茶飯事ですね。仮に分かってしても、それを30行で田舎のおじさん、おばさんに分かるように書け、とデスクに言われても無理があるわけです。
 日経新聞のレベル低下について。これは感覚論ですが、私も個人的には10年ぐらい前の方が質は高かったような印象を持ちます。例を挙げると、昔は銀行ALMに関して、それなりに詳しい解説が見られましたが、最近はぱったり途絶えた感があります。スワップの使い方、マクロヘッジ会計の理解、銀行バランスシートの変化などを踏まえないとツボを押さえるのは難しいのですが、稀にALMへの言及があっても雑ですね。
 日経新聞の変化は、お家騒動以前の問題として、経済専門紙から一般高級紙への路線を意図的かどうか別にして志向しているようにうかがえます。あるころを境にして、文章が平易になり始めた印象が強く、専門用語の枕詞が不必要に冗長だったり、特に金融新聞の文体は日経本紙にかなり接近しています。部数拡販、そのために分かりやすく、というのが質低下の印象を与えている、というのが私の推測ですが。それから日経内部のヒエラルキーとして、大ネタを追う経済部のステータスが高く、専門的な証券部が劣後しているのも記者のインセンティブに微妙な影響を与えているのかもしれません。
 馬車馬さんのご指摘はやさしいがゆえにかなりこたえますね。個人的には何とかしたいと思うのですが、組織の壁は嫌になるぐらい厚いです。悔しいですが。
 
 

Posted by: 匿名記者 | November 16, 2004 at 02:42 AM

匿名記者さん、コメントありがとうございます。大変興味深く拝見しました。

ローテーションまで1~2年はいかにも短いですね・・・予備知識ゼロからスタートしたのでは、1年では限定的なひとつのマーケットで何が起こっているかを追いかけるのも大変だと思います。そもそもイールドカーブのコンセプトだけでもちゃんと理解するにはそれなりに「汗をかく」必要がありますし。

そういえば日経が広告面積を稼ぐために大幅な増ページを行ったのが5年ほど前でしたっけ。それ以降、中身の薄いしょうもない記事(特に産業欄など)が増えたような気はします。広告面積の割合に妙な規制をかけるからこういう不毛なページの水増しも起こるわけですよね。

ゼネラル志向による短期のローテーション、社内評価の偏り、読者側のニーズの細分化(理解力の差)、情報ソースの専門化など、匿名記者さんの提示してくださった論点はどれも面白いもので、色々とお伺いしたいのですが、ちょっとコメント欄では手狭ですね。

ただ、特に1点挙げさせていただくと、どうにも理解しづらいのが合併などのすっぱ抜きが評価されるということです。政策決定会合の飛ばし記事などもそうですが、あの手の記事で得をする人は誰もいません。どうせしばらくすればほっておいても公表されるものですし。むしろ、社会全体が不確実な記事に対応を迫られるので、社会的にはマイナスです(「グリーンスパン議長の功罪」という記事で書いたことですが)。

まだスポンサーに阿る記事や、田舎のおばさんにも分かる金融記事、拡販のための内容の希薄化は、がっかりすることはあっても理解は出来るのですが、どうもこの評価システムだけは「非論理的」に感じられます。もし匿名記者さんになにか思い当たる点がおありであればお教えいただければ幸いです。


私も雇われ者の悲哀は十分に理解しているつもりですし、組織の流れに逆らうことの難しさも骨身にしみています。一歩間違うと「本業」が疎かになりますし(これはプロとして最低)、プライベートの時間も結構削られる割には報われることはありません。しかも、単なる自己満足に過ぎないかもしれないという諦観と絶えず戦い続けないといけませんから。

ですから、私はあまり安易に(無責任に)「マスコミは真実を追求せよ」みたいなことは言いたくありません。少なくともマスコミ論としては、ビジネスモデルとして成立するかどうかを先に議論しないと、「個々の記者がもっとがんばるべき」という安直な(残酷な)結論になってしまいますから。(もちろん、しょうもない記事へのツッコミは大いにやるべきだとは思いますが)

だからこそ、そのような問題意識を抱えて働かれている匿名記者さんには、ネットの片隅から共感と共に声援を送らせていただきます。

Posted by: 馬車馬 | November 17, 2004 at 11:03 AM

コメント恐縮です。後から気が付いたのですが、随分と古いエントリにコメントし、無駄足踏んだかなと思っておりました。
 合併などスクープが評価されるのは、マスコミの根深い体質です。例えば、人事の抜きなど地味なものでも随分と評価されますよ(笑)。それだけ食い込んでいることが評価されるわけです。今年の新聞協会賞も日経(東京三菱とUFJ統合)が取りました。
 スクープはしかし、ご指摘のようにいずれ公表されるものです。情報の平等な伝達の意味では、公表を待つのが理想的です。それにスクープは結局はリークに頼ることが多く、取材先との癒着を招きかねないリスクもあり、中立的報道の観点でも問題含みだと思います。協会賞をめぐっても、各社論調が奇妙な割れ方をしたのが問題視されたやに聞きます(社幹部からの伝聞で、正確性に欠けるため、敢えてここでは詳細に触れませんが)。
 スクープを評価する合理性を考えると、抜きを見せつけることで、情報収集能力の高さの面でブランド価値が高まるのだ、とマスコミは思っているのでしょう。これはかなり拭い難い体質で、幹部クラスが抜きを評価する以上、レガシーとして残るのではないかと思います。比喩として正しいか分かりませんが、邦銀が低スプレッドでも貸し出しに固執するのに似ているのかもしれません。
 個人的にはストレートニュースより、分析・論評が大事だと思っており、そうした報道を手掛けております。政策批判の論評記事が多いため、結果的には取材先から嫌われ、抜けなくてもしようがないかなと思っていますが。
 決定会合のとばし記事、最近は展望リポートのCPIの当てっこ。本当にくだらないですね。でも、わが社もやってしまったのでうよ。まぐれで大勢レンジは当たりましたが(笑)、後味悪かったですね…。また長々すみません。応援ありがとうございます。

Posted by: 匿名記者 | November 17, 2004 at 12:54 PM

匿名記者さん、コメントが遅れてすみません。どうもPCの前で落ち着いた時間がなかなか作れませんもので・・・。

なるほど、取材能力のデモンストレーションとしての評価なわけですね。それならば納得できます。それが賞まで取ってしまうというのはさすがに手段と目的がとっちからっている印象を受けますが、賞自体が業界の内輪での賞であるなら、特に問題もないかもしれませんね。

このような評価システムは、結局そのシステムに適性の強い人が強い発言力を持つようになるわけで、必然的に強固なものになりますよね。こういうことが変わっていくには何が必要なのかは考えると面白そうですが、変わるにしても10年がかりでしょうね。投信の方でもバブル期にいい加減な株投資で儲けただけの駄目マネージャーを窓際に追いやるまでに10年くらいかかっていたようですし・・・

大変興味深いお話をありがとうございます。よろしければ今後ともよろしくお願いします。

Posted by: 馬車馬 | November 19, 2004 at 07:53 PM

すいません、新聞協会賞でちょっと補足します。大合併のスクープばっかりに賞を与えるというわけではなく、例えば警察関係の不祥事(道警の裏金問題を報じた北海道新聞)、過去さかのぼれば旧石器発掘の捏造をスクープした毎日新聞なども賞を取っております。
 もちろん、これらは社会部ネタであり、経済部ネタとしては大きな合併・破たんなどのスクープが賞を取りやすい傾向は確かにあります。今年の協会賞=日経のスクープのみ、という誤った印象を与えたのではないかと思った次第で…。
 「内輪の賞」というご指摘、経済部的には否定し難い面は大きいです。残念ながら…。今後ともよろしくお願いします。

Posted by: 匿名記者 | November 20, 2004 at 01:27 AM

なるほど、ついつい自分に理解しやすい形で捉えてしまいましたが、内輪向けに作られた賞というわけではないのですね。そのあたり、経済部だけに内向きの傾向があるのだとしたら、やはり一般の読者の関心が薄いからなのでしょうか・・・考えるといろいろと面白いですね。どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

Posted by: 馬車馬 | November 23, 2004 at 07:49 AM

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