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論理の嫌いな日本人(3) 武器なきマスコミの彷徨

さて、このシリーズ第1回の冒頭に戻りたい。筆者がイギリスの修士課程を終えた友人と飲んだときに、1本のビデオテープをもらった(うちにはPAL対応のビデオがある)。彼はイギリスのドキュメンタリーは非常に質が高いと強調していて、そのビデオはそのうちの1本であるということだった。そこで先日そのビデオを見てみたのだが、正直度肝を抜かれた。

容赦なきイギリスのドキュメンタリー

その番組は豊胸手術を取り上げた番組だったのだが、のっけから豊胸手術に失敗して胸が大変なことになった女性が出てくる。その女性がモザイクもボイスチェンジもなく胸をぽろんと出すのにも結構驚いたのだが、圧巻だったのはその後だ。ふたりそろって豊胸手術を受けるという双子が登場し(こちらも当然のようにモザイク無し)、番組はその手術の過程を細大漏らさず報道する。

まずおっぱいの下部を10cm強ざっくりと切開し、そこからおっぱいの中に手首まで手を突っ込んでぐりぐりとスペースを作る。そこで作ったスペースに血になじませたシリコンバッグ(この材質についても色々とウンチクがあったのだが割愛)を押し込んで縫合、というのが大まかな手順だった。

たかだか2~3分の映像だったのだが、男共がおっぱいに対して抱いている甘やかな想いを踏みにじるには十分すぎる強烈な映像だ。なぜか見終わった後は敗北感と喪失感でいっぱいだった。

驚くべきことは、この日本だったらグロ画像認定されても文句は言えない番組が毎日夜の11時からメジャーなチャンネルで放映されているということだ(整形手術の番組であるらしい)。NOKIAあたりが当たり前のようにスポンサーとなっている。日本でニュース23の裏番組でこんなものを放送したら苦情殺到だ。PTAあたりが黙っちゃいない。

イギリス人にしても、このような映像を積極的に見たいと思っている人は少ないだろう。豊胸手術に興味がある女性は、要は自分の背中を押してもらいたいだけなので、豊胸手術に対してネガティブな情報は基本的には歓迎されない。男共にしても、世の中には知らないほうが幸せなことというのは確実にあるのであって、この番組を見てしまった後はしばらくおっぱいに対して無心ではいられなくなることは間違いない。その意味で、この番組は視聴者を誰一人として幸せにすることはない(少なくとも、微妙に不幸になった男がここに1名いることは明記しておきたい)。

積極的に見たい人がいないにもかかわらず、その強烈な映像で視聴者の首根っこをつかんで離さず、無理やりにでも最後まで見せてしまうところに、この番組のすごさがあるわけだ。

それでも、客観的に考えるならば、このような番組が放送されるということは意義深いことだ。手術に際してさまざまな誤解や危険が生じることも避けられるだろうし、少なくとも手術の意味と価値について、多くの人に思索の材料を提供したことは間違いない。

「傲慢」なイギリスのマスコミ

この番組を見終わってまず思い出したのは、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」という本だ。数学史上最大の難問がどのようなもので、どのようにして解決したのかを追ったドキュメントだ。読む人は少し選ぶものの、数学に興味があれば十分楽しく読める好著だが、数学の博士号も持っている著者が実はBBCのスタッフで、この本がBBCの特集番組を書籍化したものだと聞いたときは少し驚いた。比較的平易に書いてはあるものの、どう考えても一般受けする内容ではないからだ。

これらの本や番組から感じるのは、イギリスの番組のある種の傲慢さだ。明らかに、この番組の製作者は視聴者のニーズを満たすことを最優先事項としていない。豊胸手術にしても、フェルマーの最終定理にしても、先にあるのは「視聴者はこれを知るべきだ」という発想であって、視聴者が何を望んでいるかではない。「カスタマー・オリエンテッド」、すなわち客の視点で物を考えるという姿勢が欠けているのだ。

その意味では、視聴者がこれらの番組を「押し付け」と感じ、反感を覚えたとしても不思議はない。

「誠実」な日本のマスコミ

これに比べると、日本のマスコミはどうだろう。あちこち見ていると、みんな新聞社は(記者は)傲慢だ、と思っているらしい。まぁ、規制に守られて高給取りで黒塗りハイヤーで、というあたりがまた反感を招くのだろうし、個々の記者のレベルでは勘違いした輩もいることは確かなのだろう。

しかし、実のところ筆者は日本の新聞を読んでいて傲慢だと感じたことはない。日本の番組から強烈に感じるのは、徹底した顧客視点だ。これはマスコミに限った話ではないが、日本の消費者は世界一厳しい。だからこそ、製造業も、サービス業も、競争原理にさらされている企業は徹底的に顧客のニーズを洗い、顧客自身も自覚していないニーズを掘り起こしてビジネスを拡大していく。そうやって日本の企業は高い競争力を手に入れた。

この顧客視点はマスコミにもしっかりと息づいている。「こんなものはニュースにならない」というフレーズは良く聞くが、これはその記事が重要度が低いかどうかではなく、そんな記事を読者は読みたいと思っていない、というニュアンスで使われているようだ。

朝日新聞のカメラマンが珊瑚礁にK.Y.のイニシャルを自分で彫って夕刊の1面を飾り、後になって捏造がばれて大問題になったことは今でも覚えている人は多いだろう。あのカメラマンは環境問題に警鐘を鳴らすためにあんなことをしでかしたのか?そうではないだろう。環境問題への関心が高まっていたから、読者が「世の中ではこんなに環境破壊が進んでいるんです!」というニュースを見て眉をひそめて「ひどい奴がいるもんだ、環境を守れ」と言いたがっている事が分かっていたから、どうしてもあの写真が必要だったのだ。

「沖縄の珊瑚礁は美しいままでした」ではニュースにならなかった。ニュースにならないのは、そんなニュースを読者が求めていないことが明らかだったからだ。読者が望んでいたのは、盛り上がる環境保全運動を更に焚きつける燃料だったのだ。そして、朝日新聞のカメラマンはその期待に見事にこたえた。顧客視点という考え方からすれば、賞賛されてしかるべき行為だ。

「社会の木鐸」という幻想

新聞は広く社会を啓蒙していく存在だ、と記者の側は信じているし、読者の側も信じている。啓蒙、とは根本的に傲慢な概念だ。君たちの蒙(=無知であること)を啓(ひら)いてあげよう、ということだから、上下の格差がはっきりと存在する言葉なのだ。だからこそ読者は反発するし、言葉に酔った記者の中には傲慢な態度を取る勘違いした輩も出てくる。

しかし、過去に日本の新聞が何かを啓蒙したことがあるだろうか。昔から、マスコミは読者・視聴者が見たいものをただ必死に、誠実に追いかけてきただけではないのだろうか。その意味では、読者も記者も、新聞は社会の木鐸、という幻想に踊らされていたのではないか。

だからこそ、筆者はイギリスのマスコミから感じた傲慢さを日本のマスコミからはまったく感じないのだ。

新聞批判の本質

近年、マスコミ批判がずいぶん盛り上がっている。曰く、「朝日新聞は世論を勝手に誘導しようとしている」などなど。しかし、この手の批判の多くも上で書いた「社会の木鐸」の幻想に踊らされてはいないだろうか。マスコミは社会を啓蒙する意思と能力がある、という前提があるから、このような批判が成立する。

W杯あたりから、新聞と読者の好みが乖離して新聞叩きが始まったのは、単に彼らの世論を読むアンテナの感度が鈍ったからなのではないか。読者・視聴者がマスコミを批判するのは、マスコミが真実を伝えないからではなく、自分たちの見たいものをマスコミが提供してくれない苛立ちがあるからだ。消費者としては当然のクレームだ。

もし、朝日新聞が本当に平和主義やら何やらを啓蒙したいのなら、もっと説得力のある記事が書けるのではなかろうか。しかし、ネット上のあちこちで朝日の記事がこうも簡単に批判されているのは、結局彼らの記事が平和運動などをあおるための燃料を投下しているに過ぎないからだと思える。しかし、もう彼らが燃料を投下した先に火はない。だからこそ、朝日の記事に批判的な人々は朝日の記事を惨めだと感じるようになる。

武器なきマスコミの彷徨

日本とイギリスでこのような差が生まれる理由については、筆者ははっきりとしたアイデアがない。ただし、ひとついえるのは、日本のマスコミは前回説明した論理的であるための武器(それは学問であったり、それに近い何かだったりするのだろう)を持っていないということだ。

サイモン・シンのように、数学の博士号をもっている人間が一人でも日本のマスコミにいるだろうか。彼のように、明快なロジックに裏打ちされたゆるぎない思想があってはじめて、啓蒙という作業が可能になる。日本の記者のように、毎日読者のニーズに応えられる記事を探す訓練ばかりをつんできた人々とは、必要とされるスキルが根本的に異なるのだ(日本の社説が語るに落ちるレベルに留まっているのもこれが理由だろう)。

だからこそ、最近のように社会の風潮が急速に変化するときには、しっかりした軸足を持たないマスコミは迷走を始める。NHKに対してすら筆者はそれを感じる。スポンサーを持たないNHKは本来視聴率など気にせず、「傲慢」な番組作りを許されているはずだ。しかし、実際にはNHKは滑稽なほどに視聴率を気にする。結局、自らの内にゆるぎない「武器」を持たないから、視聴率という指標に寄りかかるしかないのではないだろうか(ちなみに、NHKとBBCは受信料収入など、予算構造はかなり似ている)。


もちろん、マスコミが全て社会をあまねく啓蒙すべきだと思っているわけではない。顧客視点を更に推し進めて不正確でも分かりやすく演出された「真実」を提供するもよし、ストレートニュースだけを客観的に報道して判断は読者にゆだねてもよし。クオリティペーパーとして啓蒙活動に乗り出すのも良いだろう。それは各社の経営判断の問題であり、正解がひとつしかないわけでもない。

しかし、少なくとも、マスコミは今一度、自分たちに出来ることは何なのか、一から確認し直すべきではないだろうか。その上でなければ、サイモン・シンのような人材を集めるにせよ、更なるエンターテインメントを追求するにせよ、まともな経営判断など出来はしない。


余談だが、友人がくれたビデオテープにはもうひとつ同じ番組が録画されていた。こちらはゲイの男性の豊胸(?)手術の事細かな映像やちんちんの肥大化手術の話などをしていたのだが、さすがにその番組を最後まで見る体力は残っていなかった。真実を追い求めることは、かくも過酷だ。


本日のまとめ

イギリスのドキュメンタリーは、視聴者のニーズにお構いなく彼ら自身の信念に基づいて製作される。

日本の記事は、論理を嫌う日本の読者のニーズに誠実に応えるべくして作られている。

読者ニーズに応える訓練だけを受けてきた記者には、自分の中にゆるぎない思想を持たないため、社会を啓蒙することは出来ない。

日本の新聞の「啓蒙活動」は、実は特定の活動を煽り立てていただけだった。

BBCのように、日本にも揺るぎなき武器を持つジャーナリストは現れるのだろうか。

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Comments

はじめまして。かみぽこさんのところで、ここを知りました。
「まとめ」の2番目、3番目の文が特に響きました。別に啓蒙する必要はないのだろうと思いますが、記事と読者が協力して思考力を喪失する方向に向かってどうするの、という気持ちは(ここまで簡潔かつ具現的な表現こそ自分の中にありませんでしたが)ずっと前から持っておりました。面白ければいい。インパクトがあればいい。在野が権威を批判していればいい。スポンサーが満足していればいい。それらは、マーケティングとしてあるいは報道業としては十二分に成立していると思いますが(だから横行している)、報道としては成立していないと思うのでした。
はるか昔、高校生の頃に使った参考書に、「わかっちゃいるけど、上手くいえない」はわかっていないのと同じ、という文があって、私自身は相手が良くわかったという顔をしてくれない限りは自分の説明が拙いのだと思うことにしております。しかし、現実には、説明を聞かずに『要するに白なのか黒なのか、それ以外のことを言うな』と怒り出すクライアントもいて、明度0.3の時などは絶句してしまうのでした(未熟者です)。
も一つ昔の話ですが、テストの点がいいかどうかではなく、どれだけ自分の頭で考えたかが大事だ、というような教育がなされていた時代があったと思います。なのに、どうして目の前の結果が一番大事、というような空気になってしまったのでしょうか。読者がそう望んだからでしょうか。それとも読者の心の中の怠け心を記事が迎合して助長したのでしょうか。
迎合だけではない記事をかくジャーナリストが主流にならないのか、と思う私は少し教条的なのかもしれませんが、BBCにはそういうジャーナリストが少なからずいるわけですよね・・・。

Posted by: roi_danton | October 26, 2004 at 01:43 AM

roi_dantonさん、はじめまして。

おっしゃるとおり、理想形としての「報道」(それが啓蒙であるのか、単純かつ客観的な事実報道への特化であるのか、人それぞれではありますが)をどう追求するか、どのようにして「報道業」として商業ベースに乗せていくか、というのは大きなテーマだと思います。少なくとも、今までのような政府による規制ではないように思えますが。その辺りは今後ゆっくり考えてみたいと思います。

本文ではBBCを持ち上げ気味に書きましたが、これはBBCのポリシーによるものではなく、単にイギリスにカスタマーオリエンテッドという思想それ自体がないからだ、とも考えられます。イギリスというのは驚くほど消費者が「優しい」国ですから。日本とも、アメリカとも違いますね。

それにしても、白黒ばかりを気にする客に悩まされている人は結構多いんですね・・・(笑)。

今後ともよろしくお願いします。

Posted by: 馬車馬 | October 27, 2004 at 05:08 AM

ちょうどblogでメディア関係のことを取り扱っていたので、
引用させていただきました。

新聞批判の本質とか、非常に面白く読ませていただきました。
ありがとうございます。

Posted by: e_r_i_c_t | November 13, 2004 at 12:36 AM

e_r_i_c_tさん、コメント&TBどうもありがとうございます。

こちらこそ面白く拝見しました。情報量にも圧倒されたのですが、なにより私との「文章を書くアプローチ」の違いが印象的でした。私のスタイルは脳内にバーチャル社会を作って全て自分の頭の中で結論を出すというやり方なので、必ずしも文章に現実感がないのですが、e_r_i_c_tさんの文章だとずっと現実に立脚した安定感がありますね。

今後ともよろしくお願いします。
後でそちらのコメント欄にもお邪魔させていただきます。

Posted by: 馬車馬 | November 13, 2004 at 11:49 PM

どうもはじめまして。
このシリーズ非常に興味深いですね。確かに言われてみればその通りだなと思いました。でも日本で新聞などへの批判が出てきたのは割りと最近の話でもあるので、むしろこの事は「客のニーズが変わった」と考えられると思います。でおそらく新聞はこの新しいニーズに適応する方向にいくのだとオレは考えてます。

あと日本とイギリスの違いについて。
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No7.html#anchor2035151
こちらの岡田斗司夫著「オタク学入門」の文章が参考になるかと思います。

Posted by: santaro_y | May 20, 2005 at 04:52 PM

santaro_yさん、コメントありがとうございます。

私も、日本の新聞はみんな横並びで新しいニーズに適応する方向で行くように思います。・・・つまらん、とは思うんですが、しょうがないですね。

ご紹介いただいたリンク読みました。面白いですねー。「欧米の芸術は神に向けて、日本の芸術は客に向けて作られている」と書いたのは司馬遼太郎でしたっけ(10年以上前に読んだので自信なし)。彼が小林一茶を書いた小説にも似たような視点があったように思います。ご紹介いただいてありがとうございました。あとでそちらのブログにもお邪魔させていただきます。

Posted by: 馬車馬 | May 22, 2005 at 11:38 PM

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