今週のThe Economist：イスラムの内なる戦い

原題：The Muslim world: The war for Islam’s heart (September 18th, 2004)

今週の～とか銘打っておきながら、9月の記事をいまさら紹介しているという点にはぎゅっと目をつぶっていただきたい。実は、一月ほど前に色々書いたのだが、議論の運びがあまりに雑なのに自分でがっかりして、没フォルダ行きの憂き目にあっていた記事なのだ。

それをわざわざいまさら引っ張り出してきたのは、例のイラクでの日本人殺害のニュースでやはりいささか思うところがあったからだ。今でも自分の議論の組み立てには納得しきれていないのだが、Economist誌が投げかけた視点を紹介するだけでも価値があるだろうということで、今回は自説を削り気味に書いていくことにしたい。

2001年の9/11の一件以来、イスラム教徒の評判は下がりっぱなしだ。9/11から最近ベスランの学校に立てこもってかなりの犠牲者を出したあの悲劇にいたるまで、イスラム教徒が関わったといわれるテロ事件は枚挙に暇がない。Economist誌は著名なアラブのコラムニストの言葉として、「ムスリムの全ては当然テロリストではないが、残念ながら最近のテロリストのほぼ全てがムスリムだ」と書いている（名前の記載がないのは匿名を希望したからだろうか）。

ではなぜイスラム教徒ばかりからテロリストが生まれるのか？Economist誌はいくつかの仮説を提示している。

・偏った報道

9月1日に、調理師として働く12名のネパール人がイラク人ゲリラに惨殺されるという事件がエジプトであった。彼らは「仏教徒の侵略者どもに神罰を下した」という声明を出したのだが、エジプトの最有力紙（国営）アル・アハラムはこの記事を3面記事程度（原文ではinside pages）で扱っただけだった。

次の日に、怒ったネパール人が首都カトマンズでモスクを襲撃するという事件が起こったのだが、アル・アハラムはこの事件を1面で扱い、しかもこの事件と前日のネパール人惨殺事件との関係には言及しなかった。

・ムスリムの被害者意識

Economist誌はカイロの日刊紙アル・アクバルの編集者ガラル・デュウェイダルの言葉を引いている。曰く、イラクでの外国市民の誘拐・殺害はアラブとムスリムの残虐性を印象付けるためのアメリカのエージェントの仕業だ、ということだ。結局、なんでもかんでも「被害者意識」というゆがんだレンズで世の中を見ることが彼らの習慣(comfortable habit)になってしまっている、とEconomist誌はいう。

・穏健派の沈黙

もちろん、彼らテロリストの所業が全てのムスリムに支持されているわけではない。9/11の3周年に合わせたかのように行われたベスランの悲劇に際しては、テロリズムに対してだけでなく、彼ら過激派をサポートする言説を吐く僧侶に対しても非難の声が沸き起こった。

しかし、とEconomist誌は続ける。クウェートの閣僚経験者がサウジの日刊紙への寄稿で書いたように、「なぜ悪魔の詩を書いたサルマン・ラシュディには先を争うように死刑宣告のファトワを出したにもかかわらず、オサマ・ビン・ラディンにはたった１枚のファトワすら出ていないのか？」という疑問は残る。

ハイジャックされた信頼

全体的にはムスリムに対してかなり否定的なトーンの記事になっているのだが、ひとつ重要な指摘は、「イスラム教徒が1000年以上かけて培ってきた信頼が、過激派とテロリストにハイジャックされてしまっている」という点だろう。全世界にイスラム教徒は12億人いる。そのほとんどが穏健派であることは間違いない（そうでなければ、今頃イスラム教徒は根絶やしにされているだろう）。テロリストたちは、この穏健派と同じ言葉を使って自分たちの行動を正当化することで、イスラム教を自らの隠れ蓑にしているわけだ。

マイノリティとしてのテロリスト

結局、これは典型的な「サイレント・マジョリティとノイジー・マイノリティ」の構図ではないか。テロリスト、または広義に革命家と呼ばれる連中はいつでも社会のマイノリティだ。そしてただマイノリティであることに耐えられず、行動に打って出る人々だ。その際の拠り所は何でも良い。左翼的な社会主義でも良いし、右翼的な愛国主義でも、過激な宗教的原理主義でも構わない。

一方で、世の中の大半の人々はマジョリティであるがゆえに、現状に不満が少ない。また、マイノリティと違って、マジョリティの一員として自分の住む社会に築き上げてきたものがあり、それを守ることがまず優先される。だから、イラクが米軍に占領され、それを気に食わないと思っても、それ以上に現状維持を求める意識が優先される。イラク政府であれ、米軍であれ、秩序を維持してくれさえすればそれで構わないわけだ。

サイレント・マジョリティの真の敵

だからこそ、マイノリティたるテロリストの最優先事項は「いかにして秩序を破壊するか」にある。支配者は秩序を守ることに責任を負っている。だから、テロを頻発させて秩序を破壊したのがテロリストであったとしても、まず責任を負わねばならないのは米軍であり、彼らの傀儡政権だ。

そうやって支配者とマジョリティの間に亀裂を作り、その過程でマジョリティから零れ落ちてしまった人達（黒い未亡人など、守るべきものを失った人達）を吸収して拡大することがテロリストの目的になる。マイノリティであることからスタートした人々の目的はマイノリティからの脱却でしかない。だからこそ、米軍を追い出すという目的意識を持ってはいても、その後イラクをどう統治していくかというアイデアも、人材も、おそらくはやる気すらないのだろう。

そう考えると、サイレント・マジョリティの敵は明らかにテロリストたちだ。米軍ではない。もっとも不幸なことは、今イラクのサイレント・マジョリティたる人々がそのことに気がついていないように見えることだ。

テロリストを生んだのは米軍か？

その意味で、筆者は「米軍の侵攻がテロリストを生んだ」という考え方に若干の疑問を感じている。いつの世、どこの世の中にもマイノリティはいる。日本にもアメリカにもノイジー・マイノリティは当然存在するが、全体的に所得が低い国では「失うものがない」人が多くなってしまうため、低所得国ではノイジー・マイノリティの行動は過激化する傾向があると言えるだろう。

米軍の侵攻によってマジョリティとマイノリティにある程度の入れ替わりはあったかもしれないが、フセイン政権下にもテロリストの萌芽はあったはずだ。彼が強権で抑えていた（＝殺していた）ので目立たなかったが。

そう考えると、米軍がテロの標的とされたのは米軍の行いに問題があったからではなく、米軍が支配者の立場にたったからに過ぎないのではないか（米軍の行いに問題がないと言いたいわけではない）。あのような国では、いつでも支配者はテロの標的なのだ。

むしろ、米軍以上に「結果的に」テロリストを生んでいる人々がいる。上でも書いたように、今イラクにはテロリストが被っているイスラムの大義という化けの皮をはがす人が誰もいない。ビン・ラディンにファトワのひとつも出せないイラク内外のイスラム教指導者たちの沈黙は、間違いなくテロリストの増殖を利する結果になっている。

イラクの将来を決める鍵

経済学の世界での合理的な判断における鉄則のひとつは”Bygones are bygones”、つまり「過去にこだわることは合理的な選択の妨げになる」ということだ。頼まれもせんのに勝手にやってきて恩人面する米軍が気に食わないのは当然の話だ。しかし、今イラクに秩序をもたらすことが出来るのは米軍しかいないのだ。

彼らに任せていれば石油資源だって相当搾取されることは間違いない。それでも、世界第2位の埋蔵量を誇るイラクの石油はイラク経済を十分に潤すことが出来るはずだ。

その辺りの怜悧な判断が出来る指導者がイラクに、特に穏健派の宗教関係者の中にいるかどうかは、今後のイラクの行く末を決めるひとつの鍵になるかもしれない。

本日のまとめ

ムスリムのほとんどは穏健派であるにもかかわらず、テロリストのほとんどはムスリムだ。

テロリストはイスラムの教義をハイジャックすることで自分たちの立場を強化している。

イスラム教関係者はこのハイジャックに対してまだ有効な対応が出来ていない。

反米意識や過激派の大義名分に惑わされずに「真の」イスラムの大義を語ることが出来る怜悧な指導者が必要だ。