ODAという自己満足
2週間ほど前、「金貸しがエライ理由」でODAの話を少し書いたときに気になったことがある。一応書くにあたって外務省のHPとかを軽く見て回ったのだが、記述に現実感がまるで無いのだ。『「人間の安全保障」は人間中心の視点を導入する考え方であり、紛争・平和と開発をつなぐ概念と捉えることで意見が一致した』とか書いてある。あっそう、それがどうした?という話だ。
「貧困削減についての具体的取り組み」の項目を見ると、『持続的な成長のためには、民間セクターが重要な役割を果たすことから、投資促進、経済活動の円滑化のためにODAを活用することが必要であり、交通網や通信網の整備・構築といった経済社会基盤(インフラ)の整備を通じ、人、物、情報の流れを円滑化し、民間セクターの活動を促進させることを明記することで意見が一致した。』とか書いてある。どこがどう具体的なのだ。とにかく一事が万事この調子である。以上は新ODA中期政策論点整理タスクフォースとかがまとめた論点整理から引用したものだが、メンバーは政府から小遣いをもらって会議室で昼寝をしていたに違いない。
あんまりな内容に呆れながら色々考えたのだが、どうもODAについてはお粗末なコメントや理解が多すぎるような気がする。そんなわけで、今回はまずODA政策のお粗末さに触れてから、なんでそんなことになったのかということを考えてみたい。
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