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金貸しがエラい理由

一般的に、金でも家でも、貸してくれる人というのはエラいということになっている。本来、利子さえちゃんと払っていれば我々は立派なお客様のはずであり、銀行にへーこらする必要はないはずだが(住宅ローンなど、銀行の上得意も同然のケースでは流石にへいこらする人は少ないとは思うが)、どうも借りている間は銀行に対する心理的な圧迫感は残る。少なくとも、銀行から担当者が来たら茶にちょっと高い羊羹を添えて出す程度には気を使うのが一般的ではないだろうか(我ながら良く分からない例えだが)。なぜだろうか?

この「金貸しはエラい」という発想は、おそらく色々なところに息づいている。例えば、日本のODAというのは大半が円借款、要は外国政府への貸付な訳だが、これも慈善活動的な意味合いを除けば、日本の外交交渉力を強化するためにやっているはずだ。少なくとも、そういう建前になっている。これも、金を貸している側はなんらかの意味で借り手よりも優位に立っているという(暗黙の)前提があっての話だろう。

しかしよく考えてみると、実は金貸しというのは社会的には弱者である。ステレオタイプの銀行員というのはまぁ頭が高いものなのだとされているが(最近は違うのだろうか)、それでも彼らは本質的には弱者なのだ。だから、金貸しが偉くなったのにはそれなりの理由がある。今日はそんな話から、日本のODA戦略までつながる話を考えてみたい。

交渉力という考え方

金貸しというのは、貸した金の返済を受けて初めて成立するビジネスだ。いくら高金利をふんだくったところで、元金を返済してもらえなければ元も子もない(法外な高金利をふんだくっている場合には必ずしもそうとは言えないのだが、とりあえずここでは無視する)。

金貸しは、金を貸すその瞬間までは自分でモノを考えて決めることができる。だから、金を貸すまでは金貸しは大いにふんぞり返ることが出来るし、借りる側は大いにへいこらすることになる。また、金貸し側が出してきた要求にも可能な限り応えようとするだろう。

しかし、一度金を借りてしまえばこっちのものだ。まじめに働いて返済してもいいし、夜逃げしてもいい。「経営状態が悪いのでこのままでは夜逃げするしかありません。返済期限を延ばしてください」と要求(≒脅迫)する手だってある。全ての選択肢は金を借りた側にあるのであって、貸し手はただ返済を待つことしか出来ない。これが「金貸しは本質的には弱者」である理由だ。

とりあえず、以降ではこの状態を「貸し手に交渉力がない」状態と呼ぶことにしよう。貸し手は貸すその瞬間までは交渉力を持つが、自分の金が手を離れたその瞬間に交渉力を失うのだ。

さて、金貸しだって馬鹿ではない。金を貸したら自分の交渉力が失われることは重々承知なので、彼らは金を貸すにあたって何らかの交渉力を入手しようとする。

ひとつ手っ取り早いやり方はやくざを雇うことだ。金返さなけりゃ東京湾に沈めるぞ、とか、腎臓両方とも取っちまうぞ、とか言って脅せば、金を貸した後も金貸しは借り手に対して一定の優位性を確保できる。安直といえば安直だが、効果は大きい。だからいつまでたっても金融業とやくざ・マフィアのつながりは切れない。

ただ、統治者サイドとしてはそんなやり方を野放図に認めるわけにもいかないので、代わりに金貸しを法的に保護することで彼らの交渉力を維持しようとする。借金を踏み倒した貸し手の資産を差し押さえる権利を与えたり、自己破産の資格に制限を設けたり。金貸しに法的な特権を与えることで、弱者たる金貸しの交渉力を強化しているわけだ。

政府がこのあたりの力関係を理解していないと、徳政令などを出して経済を混乱に陥れることになる。

つまり、金貸しというのはもとからエラい訳ではなく、外部から何らかの「保護」を受けて初めてエラくなれる存在な訳だ。


金貸しがエラくなれない世界

なんにせよ、今の世の中はそうやってバランスが取れているわけで、今更そんな当たり前の話しなくてもいいじゃん、とお思いの方もいるかもしれない。だが、このバランスが取れていない世界があるから厄介なのだ。それが国際金融、特に国家間の貸借関係だ。

国家間の貸し借りで思い浮かぶのはODAだろう。文頭でも書いたが、日本のODAというのは、慈善目的もあるにせよ、一義的には日本の外交交渉力を強化するための政策ということになっている。少なくとも筆者はそう習った。確かに、金貸しがエラいのであれば、途上国に金を貸せば貸すほど我々は彼らに対して強い発言権を確保できるはずだ。しかし、本当にそうなのか?

法律というのは基本的にそれぞれの国の国内でのみ効力を発揮するものであって、海外の政府や企業を国内の法律に基づいて処罰することは出来ない。国際法という言葉はあるが、あれは強制力をまったく伴わないという点では法律とは呼べない。つまり、法的に外国政府に借金の返済を強制する手段がない(外国企業の場合、それぞれの国にその手の法律があるはずなのでそれを活用すればよい。ただし、国家それ自体はその法律に縛られない)

じゃぁやくざ雇うか、といってもケニア政府が借金踏み倒したからって自衛隊で武力侵攻するわけにも行くまい。まぁ、やくざ代わりに米軍を雇っているという側面もあるにはあるが、日本のチンピラやくざと違って米軍は日本政府の思い通りには動いてくれない。みかじめ料高いし。

このあたりを踏まえると、「ODAで日本の外交交渉力を強化する」というお題目はだいぶ怪しいことがわかる。金貸しの威厳というやつは法律か武力のどちらかで保証されなければ成立しないのに、国際金融の世界ではこれが両方とも無いのだ。少なくとも日本には。

むしろ、日本が海外にお金を貸せば貸すほど、日本の交渉力というのはある意味弱くなる。やっぱ借金返せませんわ、と言われても、日本政府の側にはなす術がない。下手をすれば、「借金返して欲しければこちらの要求も考慮してもらえませんかね。だめならこの借金は踏み倒して今後はフランスにお世話になりますわ」という脅しを受ける可能性だってあるのだ。外交交渉力を強化するはずのODAが、逆効果になりうるわけだ。

この手の脅しに対する最良の対抗策は開き直りだ。「じゃぁ返済しなくてもいいよ」と言い放ってしまえば、彼らはそれ以上は要求してこれない。また、「今度の○×△でうちに一票入れてくれたら借金棒引きにしてあげてもいいよ」と逆に交渉する余地も出てくる。ところが、日本は法的に借金の棒引きが出来ない。政府が海外に貸しているお金は国民の財産であるので、勝手に所有権を放棄することはまかりならん、という理由であるらしい。確かに一理ある話なのだが、結局このような硬直的な法の運用で損をこうむるのは日本国民だ。パリクラブ(途上国の借金棒引きを議論する先進国の集まり)あたりでは日本政府関係者は結構肩身の狭い思いをしているらしい。

余談だが、日本政府はこういう場合借金のリスケジュール、つまり返済期限の延長といったやり方で対処する。実質的には、これによって債務の何割かを免除しているのだが、債券数学を知らない途上国担当者はこんなことを気にはしないので、けち臭いとか思われて不満だけが残るという、なんともつまらない仕儀となっている(そもそも、日本側の担当者はこの辺りの理屈を理解しているのだろうか?)。

で、そういう状況が最初から想定できる以上、ODAは金を貸すのではなく、金をあげてしまったほうが良いのだ。どうせ金を払ってしまった後は交渉力はゼロ(またはマイナス)なのだから、払うその瞬間までに可能な限りを恩を着せ、利権を搾り取るのが合理的だ。

貸した側の立場の弱さ、という話、次回にも微妙に続く予定。


本日のまとめ

金貸しは、貸した金の返済を待つことしか出来ないという意味で本質的には弱者である。

普通は、政府が法の力で金貸しの立場を強化するか、金貸し自身がやくざと結託することで商売を維持するための強制力を得ている。その意味で、金貸しのエラさは外部からの保障があって初めて成立する。

しかし、海外の、特に外国政府に対する貸付では、この「保障」がまったく機能しない。

結果、外交交渉力を強化するための日本のODAは、むしろ逆効果となっている可能性すらある。

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Comments

ううむ。わかるような気もするんですけど、きっちり貸した側の経済発展に貢献できれば、
金利ももらえて、市場も出来ていい投資だと思うのですが。。
僕の中ではODAというのは投資であって、それは将来の市場開拓だと思っています。
だとすると所管は外務省でなくて、経産省だな。

借りたほうも堅実に返済していけば、第三国からの融資が受けやすくなるというメリットもあると思います。

Posted by: ひろ | January 10, 2005 at 01:01 AM

なかなか面白い意見ですね。でも、僕もひろさんと同じく国家同士の金融においても「信用」はある程度効いてくるのではないか、と思います。踏み倒せば、他の国からも総スカンを食うと思うのですが。

もっとも、日本からの借金だけ返さないで他の国へはキチンと返す、という戦略は繰り返しゲームにおいてのなんらかの均衡になるのかもしれないですね。他の国は介入する理由がないですもんね。

Posted by: night_in_tunisia | January 10, 2005 at 07:18 AM

はじめてコメント&TBさせていただきます。
確かに、国家間の金融では、貸した後どのように回収するかということが重要ですね。これはご指摘のように国家戦略ともかかわる問題と存じます。
債務国は、先だってのジュビリー2000キャンペーンのように、借金の棒引きを求めます。
私は、「金を貸す(デット)」よりも「投資する(エクイティ)」ほうが日本にとって好ましいのではないかと考えます。その国のインフラか何かに投資することで、経済の発展に貢献し、その利益の一部を還元してもらう。そして、株主は自分の出資が正しく使われるように意見する権利があります。しかしながら、他国の株を買うことが許容されるのか、そもそもその国のインフラをどのように証券化するのかなど、制度的には実現不可能ですね。

Posted by: kanconsulting(かん) | January 11, 2005 at 01:27 AM

ひろさん、コメントありがとうございます。今回はODAの共存共栄な側面はそっくり捨象してしまったので、ひろさんのコメントには基本的に同意です。ただ、共存共栄だからといって、彼らには我々にまじめに金利を支払い続ける義務は実は存在しない、というところがポイントではないかと思うわけです。

信用の点についてはnight in tunisiaさんからもコメントを頂いているので、そちらでまとめたいと思います。

Posted by: 馬車馬 | January 11, 2005 at 08:24 AM

night in tunisiaさん、コメントありがとうございます。

ここでややこしいのは貸し手が複数だということですよね。貸し手が一人であれば、借り手の裏切りを防止すべく処罰スキーム(いわゆる、総スカン)を設定すれば事足ります。しかし、貸し手が複数いると、この処罰スキームから貸し手の一人が裏切って借り手に高金利で貸し与えるという抜け駆けの危険が生じるため、必ずしも「信用」が機能する保証がありません。

あまりまじめに考えたわけではないのですが、多分抜け駆けが起こって処罰スキームが崩壊するほうが一般的な均衡ではないでしょうか。処罰スキームからの抜け駆けに対する処罰スキームを新たに設定して問題を回避する余地は残されていますが、割引率δはかなり1に近くないと「信用」均衡は成立しないような気がします。

そうでなくても途上国はインフレ傾向が強く金利が高い上、政情不安な国の場合無限繰り返しゲームがそもそも仮定しづらかったりしますよね。結局、政権崩壊の確率もδに織り込まざるを得なくなり、δが1に「十分に」近づく可能性は相当低いだろうなぁと思うわけです。

(極端な話、どこぞの国で政変でも起きて債務継承を拒否された場合、またはその可能性が否定できない場合、将来のための信用を培っておくべきだ、という理屈は正論ではあってもあまり現実的ではないわけで)

まぁ、政府には、そういう可能性も頭に入れてODAを含めた外交・投資戦略を練ってもらえるといいなぁ、と思うわけであります。

Posted by: 馬車馬 | January 11, 2005 at 08:41 AM

かんさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

エクイティというのは面白いですね。国家間金融だと文字通り「売国」とか「内政干渉」になってしまう恐れがあるので、難しいといえば難しいところだとは思いますが。ただ、これに近い仕組みを、武力による脅しも含めて構築していく必要は今後出てくるのだと思います。

TB先も拝見しました。ちょうど来週書こうと思っていたネタなので、やられた!という気分です(笑)。今後ともよろしくお願いいたします。

Posted by: 馬車馬 | January 11, 2005 at 09:31 AM

丁寧なご返答ありがとうございます。やられたなんてとんでもない。今後も記事を楽しみに拝読させていただきます。

Posted by: kanconsulting(かん) | January 12, 2005 at 12:51 AM

初めまして。
突然です申し訳ないのですが、金を貸すときに担保を取られますが、あれはどういう位置付けになるのですか。借りている方が、弱い立場になっているように感じるのですが。
住宅ローンの場合、返せなければ家を出て行くことになるのですよね。ま、こんなこというのは素人考えなんだと思いますが。

Posted by: 偏屈物 | March 22, 2005 at 11:37 PM

偏屈物さん、はじめまして。コメントありがとうございます。いえいえ、素人考えではありませんよ。このような問題を考えるときに担保というのは非常に重要な意味を持ちます。

貸し手は、担保を得ることで借り手に対する交渉力を(文字通り)担保するわけです。ただ、この担保を貸し手の手元に管理できるならば問題はないのですが、多くの場合そうしてしまうと借り手は生産を続行できません(例えば、担保として土地を差し出しても、その土地を使えなくなってしまっては返済など不可能なわけです)。そもそも、完全に手放しても構わない担保があるなら、わざわざ資金を借りなくても、担保を売却してしまえば済むわけです。

ところが、例えば土地を担保とし、その土地自体は借り手が継続して使用していた場合、貸し手側には「デフォルトしたときにどうやってその土地を自分のものにするか」という問題が生じます。「金は返さん、土地も渡さん」と言われたとき、貸し手はなす術がないわけです。国内金融では、こういうときのためにやくざがいたり、裁判所から差押の強制執行があったりするので、貸し手にとっては担保を取ることに意味があります。しかし、国際金融においては・・・というのが、本文の趣旨なわけです。

Posted by: 馬車馬 | March 24, 2005 at 12:00 AM

はじめまして。
本筋からそれるのですが、
もともと職業金貸し(笑)が立場として強かったのは、
1)貸す金を持っている
2)労働せずに金が増える
の二点につきるんじゃないかなーと、
とくに1の方が大きいよなーと感じていたんですが‥。
今時の金貸しは借りた金を貸すんですよね‥。

Posted by: Bwn | July 27, 2005 at 12:28 PM

Bwnさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

確かに、近代以降金主と金貸しは分離してしまいましたから、それによって板挟み的に立場が悪くなった面はあるのかもしれませんね。ただ、この場合金主自体が一種の「金貸し」になるので、本文で書いた構造が入れ子になるわけですが。このあたりの話は近いうちにユダヤ商人の話と絡めて書こうと思っているのですが、そう思ってはや半年が過ぎました(笑)。

Posted by: 馬車馬 | July 31, 2005 at 01:32 AM

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