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匿名の重み・実名の重み(4) 匿名ブログの限界(下)

前回、文章の性格は双方向を前提とした議論系のものと、より一般的な読者を想定した一方通行の啓蒙・代弁系のものとに分けられること、前者は匿名でブログに、後者は実名でマスメディアに、と住み分けが成立している、と書いた。

今回はそれでも少数存在する実名ブログをその他匿名のブログと比較しながら、匿名でモノを書くことと実名でモノを書くことがどういう違いを生むのかを考えて見たい。


匿名と実名、書き方の違い

議論することを目的にしたブログと、啓蒙や代弁を目的にしたブログとでは、書き方やコメント欄管理のやり方に大きな違いが生まれる。議論系の匿名ブログは、ブランドネームではなくエントリーそれ自体で読者の耳目を引かなければならないため、分かりやすい極論に走りやすい。また、議論の活性化のためには若干極論を投げ込んだほうが反応しやすいので、そういう発言が人気を集めるという側面もあるだろう。

しかし、これは比較的少数の、そのトピックに興味を持っている読者の存在を前提にしたもので、よりマスなメディアで、議論するつもりのない大多数の読者に極論を放り込んでも微妙な苦笑いとともにスルーされるのがオチだろう。大多数の読者が必要としているのはむしろ一般論であって、だからこそ「みんなこんなことを感じているんですよ」「こういう感じ方をしてもいいんですよ」ということを教えてくれる代弁系のコラムや、「あなたはこう考えるべきだ」と教えてくれる啓蒙系のコラムにニーズが生まれる。

ブログからマスへ進出した人の文章がネットで不評を買ったケースがあったそうだが(読んでないので違いが分からないのだが・・・)、それもこういう文脈で捉えることが出来るかもしれない。マスに向けて単純に極論を投げるわけには行かないが、以前からの読者にはそれが「切れ味が鈍った」と受け取られることになる。よりバランスの取れた議論をすれば絡みにくくなるから当然トラックバックやコメントも減る。ただ、それはこの書き手の筆が鈍ったわけではなく、単に対象となる読者が変わっただけのことなのだ。


匿名と実名、コメント欄に対する態度の違い

匿名と実名とで書き方以上に顕著に違いが出るのが、コメント欄に対する態度だ。議論をするつもりで書いているのであれば、反論が来ることは最初から想定の範囲内であり、むしろ反論がしやすいように文章を組む場合も多いだろうから、基本的には歓迎される(コメント数が数百にも届けば話は別だろうが)。ところが、実名ブログは少なからずコメント欄の管理に失敗しているケースが多い。

ひとつには、実名のブログが、意識的にか無意識的にかは別にして啓蒙・代弁を目的としているケースが多いからだろう。そもそも、代弁と啓蒙は反論を必要としない。むしろ、正当な反論ですらノイズとみなされる恐れがある。例えば、経済学入門を講義している先生に向かって、「そもそも経済学は人々の真の幸せを理解しようとしていない」とか反論しても迷惑がられるだけだ。歓迎される質問とは「そこでなぜ需要曲線は上にシフトするのか」とか、先生の想定の範囲内でかつ彼が容易に答えられるものだけであり、それ以外は授業の邪魔なのだ。で、「勉強してから出直しておいで」とか言ってしまって場が荒れたりする。これは別に書き手が悪いということではない。単に、書き手が求めるものと読み手が求めるものが違っているために、うんこ(ゴミコメント)の定義が食い違い、その結果としてコメント欄が荒れるのだ。

代弁系の文章、例えば「最近のネットの右傾化は問題だ。けしからん(感情を代弁するだけなので理由は不要)」という文章に対して反論が寄せられても、書き手は困ってしまう。謙虚な人であれば「そういう考えもあるでしょうね」とかわすだろうし、自我が強い人であれば「ネットで引きこもってるからそういう考えしか出来ないんだ。もっと広い世界を学んだほうがいい」とかのたまって火に油を注ぐだろう。どちらにせよ、自分が一般的なものの感じ方を代弁しているのだというのは文章の大前提であり、書き手は自分が一般論を代弁していることを迷いなく信じている。その根幹への反論など完全に想定外なのだ。

また、どちらのケースにせよ、文章への反論はそもそも想定外なだけではなく、受け入れがたいものでもある。自分の文章をオーソライズできるだけの立派な肩書きや名前を持つ人にとって、そのブランドネームは金銭的価値を伴う財産だ。だから、同業者からならともかく、そこら辺に転がってる無名の読者に論破/反駁されるというのは非常にまずい。オーソライズの源である権威が失われる恐れがあるからだ。それどころか、周囲の観客が「書き手が論破された」と誤解される状況まで防がなければならないのだから大変だ。

だから、実名の書き手はどのコメントを無視し、どのコメントに反論するかを慎重に見極める必要があるし、ひとたび反論したからには負けは許されない。啓蒙ではなく、代弁している人の場合は、「反駁された」という事実自体が「自分が一般的な感覚を代弁している」というある種の権威を脅かすので、恐らく反論コメントは全て消去するのが最適な戦略になるのだろう。

蛇足すると、同様の理由から、このような啓蒙と代弁が主体となるマスメディアも、反論に対する対応が極めて下手、ないしは鈍い。投稿の中から自分に都合のいいものだけを「読者の声」欄に載せるというやり方は、上の観点から行くと結構合理的なのだろう。


実名ブログの最適コメント管理

こう考えると、実名のブログがコメント欄を用意する合理性というのはあまりない。啓蒙その他を目的とするのであればコメント欄の存在はリスクが高いし、自分の求める類のコメント(質問コメントが最も望ましい)が寄せられるとも限らない。質問が欲しければメールアドレスを公開して適宜本文で紹介するほうが100倍効率が良いだろう。もっと単純に宣伝目的でブログをやっているなら尚更だ。

一方、議論を目的にブログを書くのであれば、そもそも実名である必要がない。前回書いたように実名にはしがらみやらなにやらがひっついて議論の中核になれるような極論を書きにくいし、万が一論破されてしまったときのダメージを考えるとそれほど突拍子もないことは書けない。口頭で論破されるのと違ってログが半永久的に残るブログで論破されるというのもリスクが大きすぎる。むしろ、匿名で好き放題に書いたほうが読み手も書き手も遥かにやりやすいというものだ。

実名でブログを開いてコメント欄管理に追われている書き手は、まず自分の目的意識を再確認したほうが良いのではないだろうか。更に言えば、コメント欄(やトラックバック)を必要としないのなら、そもそもネットにこだわる必要は無い。前回書いたように、ギャラがもらえるところに出稿するというだけの話になる。


匿名と実名の役割分担

随分長い文章になってしまったが、筆者が言いたいことは実のところ随分単純だ。要するに、匿名で文章を書くことと実名で文章を書くこととは全く性質が異なり、また求められているものも異なる。だからどちらが望ましいかはそのブログで「何を書いているか」と「書き手が何者であるか」に決定的に依存するのであって、一概にどちらが良いとは言えない。まして「匿名はけしからん」とか「匿名で書くよりも実名で書くほうが一段上である」みたいな根拠のない断定は全く意味がない。前回説明したように、匿名で書くほうがいい場合も確実に存在する以上、「実名はけしからん」と言えるシチュエーションだってありうるのだ。


一次情報の価値

さて、この項では、文章を大まかに議論のための文章と、啓蒙・代弁の文章のふたつに分けて話を進めてきたのだが、単純な一次情報については特に考えてこなかった。まぁ、広義には啓蒙に入るので別個考える必要がないだろうと思ったから無視してきたという面もあるが、特にブログの役割や新聞の役割を比較するときには良く出てくる論点なので、これについて簡単に触れてこのシリーズを(今度こそ)〆ることにしたい。

結論から書くと、一次情報を匿名ブログが提供するのは結構難しい。まず、ガセネタではないという保証が出来ない。ガセネタではないと言うことを理解してもらえるくらいにリアリティ溢れる記事を書いてしまうと、今度は匿名性が危うくなる。大体、働いている人にとって生活の半分以上は仕事であり、仕事関連のネタなんぞを書いた日には首が飛びかねない。よほど都合のいい仕事についていない限り、匿名のアマチュアがマスメディアに代わって一次情報を発信するというのは難しいだろう。

一方で当然出てくる疑問は、じゃぁマスコミは一次情報をどれだけ発信しているのか?ということだ。実のところ、新聞記事の一次情報の発信者は大半が新聞ではない。政府であり、警察であり、各企業の広報部だ。マスコミはこれらの情報源への独占的なアクセスを生かして仲介業を営んでいるに過ぎない(特ダネと呼ばれるものですら、内実は政府・企業サイドからのリークである場合が少なくない。大体、当事者全てが隠したいと思っている情報がマスコミの手で表に出てきたケースが一体どれだけあるというのだろうか?)。その意味で、一次情報を供給するサービスで重要なのは、氾濫する雑多な一次情報から重要と思われるものを選りすぐるフィルタリング機能であり、「EPIC2014」ではないが、この手のフィルタリング機能はおそらくある程度自動化が効く類のものだ(Google Newsの情報取得範囲を一般企業の広報部などまで拡大したものをなんとなく想像している)。つまり、あまり付加価値は高くない。

そんなわけで、筆者はあまり一次情報の問題をマジメに議論する気にはなれない。その役割をブログが担うべきだとも思わない(念のために書くが、筆者はマスメディアの役割それ自体を否定するつもりはない。その辺りのことは「それでもジャーナリストは必要だ」で書いたのでここでは省略する)。むしろ、ブログは種々雑多な議論の場としてあるのが一番望ましいと思うのだが。百万人単位を相手にするマスメディアでは、議論の機能を付与することだけは絶対に不可能なのだから。


本日のまとめ

匿名でブログを書くときは議論が主目的になるため、議論を喚起しやすい極論が人気を集める。

実名で書くときには啓蒙、ないしは一般論の代弁が主目的となるため、極論は敬遠される。

啓蒙・代弁はそもそも反論されることが想定されていないので、実際に反論が寄せられると書き手は戸惑う傾向が強い。その結果、黙りこくってコメント削除に走ったり、逆に過剰反応したりして火に油を注ぐ傾向がある。実名ブログのコメント欄が荒れるのはその辺りが理由では。

匿名で書くこと、実名で書くことにはそれぞれ意味があり、どちらが上だとか下だとかいった価値判断は出来ない。それは書く内容によって決めればよいこと。

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Comments

馬車馬さんのお考えに従えば、実名でネットによる情報発信をしたいなら、ブログではなく、普通のサイトを構築すればよいことになります。『コメントはメールでどうぞ』としておいて、そこのメールボックスは絶対に開かない。それをわざわざブログにするのは、情報発信側に積極的な戦略(虚構の『双方向性』とか)がなければならないことになりますが、そういう戦略性のないブログが多い、と仰っているのですよね。
私は、コメントが丸見えなのが彼らにとって拙いことの本質なのではないか、と(ここを読んでいて)思いました。どんなキツいコメントでも、メールで届いて、内容が正統であれば、情報発信側は(見た目には)傷つかずに済むはずです。だから、政治家は公開討論にあまり出たがりませんし、出た場合は予めシンパを十分揃えておくのではないでしょうか。

Posted by: roi_danton | May 30, 2005 at 11:27 PM

roi_dantonさん、どうもお久しぶりです。

私もおっしゃることに同感です。実名ブログはリスクをとってやっている、匿名は卑怯だとか言う前に、その自分の大切な権利とやらは自分で守ろうよと思うわけです。単にあんたの考えが足りなかっただけでしょ?と。

実名で啓蒙を図るのであれば反論の余地のない鉄板な一般論を語るべきですし、自説を書き散らしたいのなら反論は覚悟しろと。ギャラリーが増えれば反論の中にノイズが増えるのはネットの内外を問わず同じでしょ、と思うわけです。そこのコストとリスクが大きいと思うなら、適切なコメント欄の管理(とそれによって生じる利害)を自分で考えてくれ、と言いたいですね。

Posted by: 馬車馬 | June 04, 2005 at 07:48 PM

毎回興味深く読ませていただいてます。私は匿名でブログを公開していますが、深い考えは一切なく、ただ簡単に自己表現ができる場がネット上で提供されていたからだったのです。匿名実名ともにメリットデメリットがあると理解していれば、上手に(禍根も残さず損もせずに)利用することができそうです。
なかなか極論を提示することも難しく、私のは人気ブログ(と言っていいのでしょうか?)には程遠いです。馬車馬さんのこういった視点で匿名と実名を検証している点に脱帽しました。

Posted by: vollleben | June 18, 2005 at 05:42 PM

Volllebenさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

まぁ、私もそれほど深く考えて匿名を選んだわけではなく、実名が全く無名だし意味ないよね、程度のことだったのですが。匿名から実名へのスイッチはいつでも出来るわけですから、特別明確な理由がない限り、匿名からスタートするのが合理的だと思います。

極論を書くのは難しいですよね!私は思ったことは全て書いてしまいたい性質の人間なので、一方の主張を書きながら「でも厳密には・・・」「例外もあって・・・」みたいなヘッジも良く書いてしまいます。まぁ、それを書くとツッコミを受ける恐れは減るわけですが、文章自体はより分かりづらくなるので、本当は極力削るべきなんですよね。昔は文章を推敲する段階でかなりこの手の表現は削っていたのですが、最近は推敲なしでエントリーを上げてしまっているので、文章は確実に長く、分かりづらくなってしまっています・・・。

人気ブログってどこまでいけば人気なんでしょうね。なんだか1日1万pvなんてサイトもあるみたいですが、ここのような場末ブログではちょっと想像が出来ません。

Posted by: 馬車馬 | June 18, 2005 at 11:52 PM

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