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「お金であること」を保証するもの(前編)

敢えて副題をつけるなら、『「通貨発行益(シニョリッジ)をめぐる勘違い」の勘違い』の勘違い、ということになるかもしれない(言うまでも無く冗談です)。ちなみにこのエントリーは本石町日記氏磯崎哲也氏Bewaad氏という議論を受けたものなので、興味のある方は順にご覧頂きたい。

中央銀行と民間銀行

さて、通貨発行益の話に進む前に、磯崎氏とBewaad氏が言及されている「日銀のバランスシートの特殊性」について説明したい。結論から書くと、日銀のバランスシートは普通の銀行のそれとさほど違いはない

例えば、我々は銀行にお金を預けることで「預金証書(キャッシュカード)」を保有している。なぜ預けるかというと、利子が付くからという理由もあるが、その方が何かと便利だからだ。大金を持ち歩く必要がないし、デビットカード1枚で大概の支払いは出来る(自動引き落としなども同じ)。

ただし、我々が銀行預金のほうが便利だと感じるには、2つの条件が必要になる。ひとつは、その銀行の預金がどこでも受け入れられること。例え「いわし銀行」のデビットカードを持っていても、デビットカードのネットワークにその銀行が加入していなければ使いようがないからだ。もうひとつは、銀行のバランスシートが健全であること。我々は銀行預金という形で銀行にカネを貸しているわけで、もし銀行が不良債権などで大損をこいて預金の払い戻しに応じられなくなった場合、誰もその預金を持ちたいとは思わなくなる(で、取り付け騒ぎとかが起こるわけだ)。だから、我々預金者は銀行の資産サイドがそれなりに安全に運用されているかどうかに注意しなければならない。第1の条件も、結局のところその銀行の預金は持っていても安全であるという理解に支えられたものだからだ。

現金についても似たようなことが言える。我々が現金という形で自分の資産を保有するのは、それが便利だからだ。最近は大概カードで決済が出来るようにはなったが、やはりいざというときには現金は便利だ。なにしろ、日本国内であればどこでも必ず受け取ってもらえる。この絶大な「現金の信用」は、当然「現金を持っていても損をすることはない」という信用に支えられていなければならない。そのため、昔から現金は金との交換が保証(兌換貨幣)されてきたわけだ。金本位制が崩壊してからも、中央銀行は貨幣を発行する代わりに国債を保有することで、現金の信用を保証してきた。極言してしまえば、現金というのは国債を日常の決済に使いやすいように細切れにしたものだと言っても良い(日銀はCMA:キャッシュマネージメントアカウントサービス(©メリルリンチ証券)を行っている、と言っても良いかもしれない)。

だから、現金というのは従来からずっと中央銀行の負債として取り扱われてきたわけだ。日銀は国債を購入し、その信用を元に現金を発行する。民間銀行が貸付を行い、その信用を元に預金を集める(預金証券を発行する)のと大差はない。中央銀行というのは単に貨幣の独占的発行権を認められているだけで、それ自体は一銀行に過ぎない。だから、国債の信用(究極的にはこれは納税者≒現金保有者の信用)で現金に必要な絶大な信用力を補完する必要があるわけだ。直感的に書くと以下の通り。

money-BS

(ついでに言うと、政府の資産には「将来得られる税金」があり、消費者の負債には「将来支払う税金」があって、それでつながっていると考えることも出来る)


そもそも、お金とは

さて、ここまで長々と書いてきてなんなのだが、実はこの説明は「原則としては」間違っている。法的には、比較的最近までは正しかったが今は正しくない。

なぜかを説明する前に、ものすごく根本の話を確認しておきたい。「そもそも、お金はなぜ必要になるのか?」ということだ。いくらなんでも根本に戻りすぎだろ、とツッコミを入れたくなる方も当然いらっしゃると思うのだが、とりあえずお付き合い頂きたい。

実のところ、世の中にお金というのは必ずしも必要ない。世の中には未だに物々交換でよろしくやっている社会というのもあるわけだし。だが、お金がないと不便な状況というのはもちろんある。例えば、以下のような状況を考えて見ていただきたい。

あるところにエライ経済学者さんが住んでいた。経済学に興味がある人にとってこの人の講義は涙なしでは聞けないくらいにありがたいものだが、当然ながらそれ以外の人にとってはこの人の講義は一円の価値もない。で、エライ経済学者といっても日々のパンを得なければ生きてはいけないのだが、残念ながら多くの場合パン屋の親父は経済学には興味がない。

さて、パン屋である。パン屋を営むためには当然材料の小麦粉が必要だ。ところが、付き合いのある小麦農家は小麦を作っているくせにご飯党で、パンには興味がないと来た。

で、小麦農家である。彼には大学生になる息子がいて経済学に興味を持っている。なんとか経済学者の講義を受けさせてやりたいのだが、学者というのはややこしい数式をこねるのは得意でも小麦粉をこねるのは不得意だ。授業料ですといわれて小麦粉を目の前に積まれても固まるしかない。

このような状況では、物々交換は非常に成立しづらい。もし経済学者が小麦農家の息子に講義をし、農家はパン屋に小麦を渡し、パン屋は学者にパンを渡せば全員がハッピーなのだが、そのためには全員が一堂に会していっせいのせで自分が持っているものを差し出さなければならない。これは結構難しい。パン屋は小麦をもらわないとパンを作れないから、3人はパンが焼きあがり、学者がそれを食べて農家の息子に講義し終わるまでずーっと一緒にいなければならないからだ(そうでなければ、誰かが途中で逃げ出して別の誰かが損をする恐れがある)。これはあまりにも不便である。実際、物々交換社会は皆が一堂に会することがそれほど難しくない小規模な社会でしか成立しない

そこで貨幣が登場する。もしなんらかの貨幣が存在した場合、パン屋は小麦粉を買うのに貨幣を支払えばいい。そして農家は学者が貨幣を受け取ることを知っているのでパン屋から貨幣を受け取って小麦粉を渡し、学者への授業料をこの貨幣で支払う。学者はパン屋が貨幣を受け取ることを確信しているので農家から貨幣を受け取り、この貨幣を持ってパン屋に向かう。もう3人は取引に当たって一堂に会する必要はない。都合のいいときに必要な場所に行くだけで、欲しいものを得ることが出来るのだ。貨幣経済の利便性とは究極的にこの一点に尽きる。

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お金がお金であるために

では、上で言う「何らかの貨幣」とは一体なんだろうか。実のところ、何だって構わない。3人が「他の二人もこれを代金として受け取ってくれるはずだ」という確信を持ってさえいれば、魚の骨だって貨幣になる。実際、日本では黒曜石が、アメリカ大陸ではカカオ豆が、他のどこかでは貝殻が貨幣として使われていたらしい。最終的には、見た目の分かりやすさや程よい希少性から多くの地域で金銀が貨幣として使われるようになったが、これだって「なぜ金を貨幣にするのか」と問われてちゃんと答えられる人はいない。結局、「他の人が金をありがたがっているから」という、非常に主体性のない答えしか返ってこないのだ。

つまり、貨幣が貨幣として存在するためには特に裏付けは必要ない。社会のみんなが根拠無く「これは貨幣だ」と信じているから、原価20円足らずの紙切れを奪うために殺人まで犯す輩が出てくるのだ。


実のところ、この理解は筆者が上で書いた「現金には国債の裏付けが必要」という説明を否定する。磯崎氏が提示された「なぜ現金は負債なのか?」という問いに対する答えも振り出しに戻ってしまった。上の図では、貨幣は負債である必要はない。天からの贈り物として3人のうちの誰かが貨幣を受け取ればそれで良い。

ただし、こういう貨幣の概念というのは比較的新しいもので、一昔前は貨幣には何らかの裏付けが必要だと信じられてきた。だからこその兌換貨幣であり、不換貨幣に変更された後も、旧日銀法はごく最近まで日銀に現金と同額の国債(等)の保有を義務付ける「発行保証制度」を課してきた(最近の改正で撤廃)。筆者が上で「法的には最近まで正しかった」と書いたのはそういうことだ。


しかし、こうすると今度は別の疑問が出てくる。ではなぜ日銀はこれほど大量の国債を保有しているのか?この傾向は別に日銀に限った話ではない。アメリカの連銀もバランスシートの9割近くは国債(+政府債務)だし、カナダも同様だ。現金に裏付けが不要なら、こんなバランスシートは必要ない。

再度議論をひっくり返して申し訳ないのだが、実は貨幣が中央銀行の負債でなければならない理由はやはり存在するし、中央銀行が発行貨幣とほぼ同額の国債を持たなければならない理由もやはりある。その辺りは次回(最近シリーズ物ばっかりですな)。


本日のまとめ

兌換貨幣:貨幣の保有者が要求したら、その貨幣を正貨である金と交換する義務を発券銀行が負っている貨幣。日本では1932年に発行停止。
不換貨幣:今の貨幣。発券銀行たる日銀は我々の持つ現金を金と交換する義務は無い。

日銀は、国債という国内最高の信用を持つ債券を、その信用力をそのままに決済機能を持つ現金に再構成するという作業を行っていると考えれば理解しやすい。

しかし、本質的には貨幣に必要なのは「みんなが使っている」という確信だけであって、銀行預金のように返済可能性について心配する必要はない。だから、そもそも銀行を中央銀行の負債として定義する必要も原則としては無い。

ただし、この理解ではなぜ多くの中央銀行が貨幣を負債としてとらえ、貨幣を発行した分だけ国債を保有しようとするのかが説明できない。


:念のために種明かしをしておくと、前半部で間違っているのは不換貨幣である現金の信用を兌換貨幣的な「返済可能性」という概念で捉えている点です。不換貨幣の信用は全く違う観点で考える必要があります(その話は次回)。ちなみに、後半の議論を使って前半の議論を否定するのではなく、むしろ肯定する論法もあります(たしか)。私自身理解があいまいなのでここでは書きませんが、その意味では前半部の考え方も必ずしも完全に間違っているとは言えません(たぶん)。

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Comments

いつもながら分かりやすく、かつ丁寧な説明の仕方に脱帽です。現状の日銀のB/S構成、会計処理を当たり前のように捉えていると、なぜそうなの、という根本的なところを問われると私も詰まる面もありまして…。後半部分、楽しみにしております。

Posted by: 本石町日記 | May 15, 2005 04:48 PM

本石町日記さん、どうも恐縮です。磯崎さんの「お金はなぜ負債なのか?」という疑問を読んだのが直接のきっかけなのですが、こういうそもそも論って頭の体操にはちょうどいいですよね。ただ、今回一般論8割の中に自分の解釈2割が微妙にまぎれていて、ちょっとそこが気になっています。まぁ、これで間違いないだろうと自分では思っているのですが。

Posted by: 馬車馬 | May 15, 2005 09:28 PM

政府・中央銀行・国民の直感的B/S、慧眼と思います。
「政府の資産には「将来得られる税金」があり、消費者の負債には「将来支払う税金」があって、それでつながっていると考えることも出来る」とは、徴税権と潜在国民負担のB/S的解釈で、わかりやすい指摘と思います。
また「現金というのは国債を日常の決済に使
いやすいように細切れにしたもの」というのは、US連邦準備銀行についてはそのものズバリといった感じですね。
TBしました。

Posted by: kanconsulting | May 21, 2005 02:40 PM

kanconsultingさん、コメントありがとうございます。実はわかっていなかったのですが、FRBって貨幣の見合いでの国債の保有を義務付けられていたんですね(同じくらい持ってるよなー、という程度の理解でして)。勉強になりました。だからこそFRBはほとんど自己資本を持っていないわけですね。

この辺りの話、次回もう少しつっこんで囲うかと思います(いつ書こうかという感じですが・・・最近すっかり不定期更新になってしまって・・・)。あ、どうもTBが届いていないようで。再送していただければ幸いです。

Posted by: 馬車馬 | May 22, 2005 11:48 PM

===お知らせ===

このエントリーに限り、コメント受付を中止します。なぜかスパムコメントがこのエントリーにだけやたらと届きますので・・・。コメントがおありの際は後編をご利用ください。

しかし、ココログも何とかしてくれないかな
ぁ・・・。下手にフィルターをかけると巻き添えも大きいですし。

Posted by: 馬車馬 | May 11, 2009 03:49 AM

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