規制すべきもの・そうでないもの
どたばたして更新が途絶えている間に、違法建築問題が盛り上がっている。特に規制緩和すべきではなかった、という議論が結構あるようだ。このあたり、構造改革ネタとかぶる部分もあるので少し書いて見たい(切込隊長氏からお財布バトンを頂戴しているのだが、流石に3週間も更新をサボった挙句に「財布の中身は2000円で~」とかやると石を投げられそうなので、こちらは次回に)。
とりあえず、いつ崩れてもおかしくないマンションは出てくるわ、当事者は責任の押し付け合いをしているわ、なんだか芋づる式に「次」が出てきそうな雰囲気はぷんぷんしてるわ、何かが間違ってしまったことは確かだ。ただし、悪者探しをするだけの知識も情報も筆者には無いので、そちらは武部幹事長とその道の専門家にお任せして、ここでは「そもそも誰が、何を間違ったのか」をもう一度整理して見たい。(12月6日文末に注4を追記)
結局、規制緩和は正しかったのか
とりあえず結構メジャーな議論は「安易な規制緩和があくどい民間企業を野放しにする結果に繋がった」というものだと思う。しかし、これだけでは流石に安易な結論だ。今回の問題を招いた原因は2つ考えられる。一つは、規制緩和それ自体が間違っていたという可能性。もうひとつが、規制緩和は正しかったが、民間がやり方を間違えた可能性。もし前者ならば話は簡単で、被害者を救済した上で改めて政府ががっちり管理すればよい。政府が「緩和すべきでない規制を緩和する」という間違いを犯したのだから、被害者の救済は税金を使って行うべきだろう。
しかし、後者である場合は話が変わってくる。この場合、民間の間違いは一時的なものであろうから、「市場メカニズム」とか「神の見えざる手」とかがそのうち状況を改善してくれるだろう。この場合、政府は余計なことをすべきではない。今は「より良い市場メカニズム」が構築されている真っ最中なのだから、放っておいた方が良いのだ(被害者の救済も最小限に抑えるべきだろう)。
このあたりを整理するために、まず「世の中でどんなものが規制されるべきなのか」から考えてみることにしよう。
規制のための3条件
まず、真っ先に規制されるべきなのは、放っておくと一社が市場を独占してしまうケース(自然独占)。電気やガスがこれに当たる。サービスを開始するまでにかかるコストが莫大で、新規参入がありえないからだ。一度独占が生じてしまうと、後は値上げし放題メンテナンスさぼり放題になってしまい、しかも消費者はそれを受け入れるしかないので、政府が汚い真似をしないように監視しなければならないのだ。
次が、企業側の持つ情報を消費者側が知り得ないケース(非対称情報)。もろに今回の話である。消費者にはマンションの設計図をチェックできるだけの知識もないし、そんな勉強をする時間もないわけで、建設会社や設計士のだまし放題となってしまう。それを避けるためには、政府が馬鹿な真似をしないように見張っておかなければならないわけだ。
最後が、いわゆる外部性の存在。なんだか見慣れない言葉だが、公害などがこれに当たる。例えば、川沿いの工場が工業排水を垂れ流しているとする。この場合、川下の住宅は大被害を被るわけだが、工場自体は川がちょっと汚れたところでどうということはないので、他人に迷惑かけ放題になってしまっている。このような、「自分が行動した結果生じる迷惑が、自分ではなく外部の他人に及ぶ」ことを「負の外部性」と呼ぶ。この場合、川下の住宅が「川が汚い」とクレームをつけても「別にあなたの川じゃないでしょ」と無視される可能性があるし、誰もこの工場に文句が言えなくなる。これも、政府が出張って卑怯な真似を止めさせなければならない(注1)。
こうしてみると、今回の違法建築のケースは2番目の非対称情報のケースそのものであり、更に「もし崩落したら無関係の周りの住人にまで被害が及ぶ」という意味で若干3番目の要素も含んでいる。じゃぁやっぱり規制緩和しちゃだめじゃん、という結論になりそうだが、実はそうでもない。筆者の結論は「この分野で規制緩和を行ったことは決して間違っていなかった」ということだ。以下、説明してみたい。
民間で出来ること
まず、消費者が十分な情報を持っていないことは間違いない。また、彼らが建築の専門知識を持っていないことを指して「自業自得だ、自己責任だ」と非難するのは明らかに間違っている。高度に分業化が進む現代社会で、あれもこれもと勉強できるほど我々は暇ではない。
しかし、少なくとも消費者は「自分が建築に関して無知である」こと、それゆえに「専門家からはカモがネギしょってるようにしか見えない」ことは自覚していなければならない。これは消費者の責任だ。もしこれを自覚しているなら、例えば消費者は別途専門家を雇い、自分の代わりに設計図と建設過程の検査を頼めば良い(こういうサービスは既に実在する)。つまり、非対称情報というのは、多くの場合政府の力を借りなくても民間で解決可能なのだ。
また、「欠陥マンションの周囲の住民に迷惑が及ぶ」という外部性の存在は多くの場合無視できる。なぜなら、崩落したときに周囲の住民が困るのはもちろんだが、誰よりも困るのはそこに住んでいる住民自身であり、大切な資産としてそのマンションを保有しているオーナーだからだ。この点が、上で書いた工場廃水のケースとは決定的に異なる。だから、「負の外部性の存在」が欠陥マンションを増やすことはない(注2,3)。
政府にできないこと
規制を敷く必要がない一方で、政府が規制するデメリットは存在する。というか、一点に集約できる。つまり、そもそも政府が規制を敷いたところで問題を解決できるとは限らないということ。政府の役人だって建築家に比べれば素人なわけで、彼らに出来ることは「危険な建物を見抜く」ことではなく、「役所で定めた"危険な建物の定義"に合致するものを見つける」ことでしかない。自分では到底チェックできないような高度な騙し方をしてくれるならば、役人としてはそれで問題無いのである。
まとめるとこうだ。政府には検査をする能力がない。その能力は民間に存在する。ただし、民間の専門家が検査する場合、無知な消費者をだます恐れがある(非対称情報)。だから、専門家がマジメに働くような環境さえ整えてやれば、規制緩和は成功する。そして、それは決して不可能なことではない。だから、民間部門に検査をゆだねるという規制緩和の在りようは正しかったのだ。
同時に、こう考えると現状のシステムの致命的な欠陥もはっきりする。検査をする建築士をデベロッパーが選んでいるということだ。検査される側が建築士にカネを払っているのでは、まともな検査など期待できるわけも無い。
専門家をきりきり働かせるには
では、どのような条件が整えば専門家はまじめに働くのだろうか?これは簡単で、欠陥品を作ったときの被害が彼らを直撃するようにすれば良い。彼らを当事者の立場に引き摺り下ろしてしまえばよいのだ。これを満たすメカニズムはいくつか考えられる。
例えば、PL法(みたいなもの)を厳格に活用して、欠陥建築に対してデベロッパー側に無限責任を負わせる方法。こうすることで当事者=設計・建築担当者となって、自分の設計を自分自身でまじめに検査するインセンティブ(動機)が生まれる。ただし、デベロッパーが小規模だとすぐに倒産してしまうため、「無限責任」が有名無実化してしまう。そのあたり若干難易度が高い。
逆に、消費者が専門家を雇って検査をさせるやり方もある。この場合、この専門家が消費者を裏切らないような仕組みを用意する必要がある(賠償責任を分担させるとか)。ただし、小規模の建築事務所では賠償責任を背負いきれない可能性もあり、そうすると上と同じ問題が生じてしまう。それでも、デベロッパーが雇っている現状に比べれば100倍ましだ。
また、当事者責任それ自体を損害保険会社に飛ばす手もある。この場合、損保が欠陥建築の責任を取る代わりに保険料を徴収し、そのお金で損保が専門家を雇うことになる(注4)。筆者としてはこれがイチオシだ。なぜなら、損保は十分なお金を持っているので、「賠償金を払いきれなくて破産→どうせ破産するのなら徹底的に悪さをしてやる→結局泣くのは消費者」という可能性が排除できるからだ。その代わり、損保が適当な理由をつけて住民に金を出し渋るという可能性も出てくるが。
どれも完璧な策とは言えない。100%うまくいく社会システムなどありえないのだから。そのほころびを修復するために裁判という仕組みがある。そして上の3つのどれを採用しても、政府が規制するよりはうまくいくだろう。
だから初めの話に戻ると、筆者の心情とは異なる結論になるのだが、今回の被害者の方々を政府は救済するべきではない。彼らを(全面的に)救済してしまえば、「最後は政府が面倒を見てくれるじゃん」ということになって、上で書いたような損保には誰も加入しなくなるし、それ以前に損保がサービスを用意しなくなってしまう。政府による救済は市場メカニズムをゆがめてしまうのだ。もし救済するのであれば、規制緩和もあきらめて政府管理に戻した方が良い。そうでないと筋が通らない。
本日のまとめ
規制緩和自体が間違っているならば政府が救済すべき。規制緩和は正しいが民間がやり方を間違えたのであれば、救済するべきではない。
規制を残すべきなのは、自然独占・非対称情報・外部性の存在という3つのケース。ただし、この中にも規制緩和が可能なケースは多い。
適切な検査の要件は、専門家自身が検査をするということ、その専門家がやる気と誠意を持って働けるような環境を整えること。規制緩和以後、民間はこの環境の整備に失敗した。
この環境の整備は民間の仕事であり、政府が下手に手を出すと逆効果になる。
注1:ちなみに、正の外部性というものも存在して、やはり政府の規制が必要になる。例えば軍事・消防サービス。もし消防サービスを民営化して「料金を払った家にだけ出動します」と言っても、加入者の隣の家が燃えていたら、延焼を防ぐためにも消火せざるをえない(加入者を助けた結果非加入者まで助けることになるので、「正の外部性」と呼ぶ)。こうなると、「加入しなくたってどうせ消火してくれるでしょ」ということになって、最終的にだれも加入しなくなってしまう。だから、このような場合は政府が強制的に料金を徴収してサービスを実行するしかない。
注2:ただし、ここでは住民やオーナーはそれなりに合理的であることを仮定している。現実問題として「危険なマンションに住むリスク」をちゃんと測ることができないおばかさんはいるし、「もういつ死んでも構わない」というお年寄りもいるかもしれない。こういうケースも考えるならば、消費者が直接専門家を雇うのは危険が大きいかもしれない。
注3:一方で、例えば日照権の問題の場合は「新しくマンションが出来たせいで日陰になった」という迷惑は周囲の住民を直撃するので、「負の外部性」は無視できない問題になる。しかし、その場合ですら、政府の規制は必ずしも必要ない。周辺住民とマンション側が交渉することで問題解決が可能だからだ(マンション側が賠償金を払うか、周辺住民がお金を払ってマンションの計画を撤回させることになる)。要するに、「日照権」という権利が法的に確立されていれば、裁判で争うことで問題は解決できるので、行政の介入は不要になる。つまり、侵害された権利の概念が確立されていて、かつ裁判のコストが高すぎない場合は、外部性が存在しても政府が規制を敷く必要はない。
注4:なお、戸建ではなくマンションの場合、損保加入の際に上で説明した正の外部性が発生してしまう。つまり、損保がちゃんと検査するのであれば、個々のマンション購入者は保険に加入する必要が無くなる。だから、他の全員が加入しているときに、自分だけ未加入を貫くのが合理的になり、最終的に誰も損保に加入しなくなってしまう。これを防ぐためには、デベロッパーが損保と契約し、その保険料を全ての購入者から平等に徴集しなければならない。逆に言うと、消費者は、そういうマンション以外は購入してはいけない。


Comments
細かいコメントは抜きにして、管理人さんの冷徹な分析に感服致しました。 屋根の上のミケより。
Posted by: 屋根の上のミケ | December 05, 2005 at 02:20 AM
馬車馬さん:
すみません。今回の問題についてよくわかってないのですが、
一体どういう規制緩和が問題につながったのでしょうか。
規制があるにも関わらずそれをやぶってしまったのが今回の
ケースだと理解していたので。
運用面で緩和されたということになるんでしょうか。
あと、チェックする専門家をディベロッパーが依頼しているシステムが
問題、、これはまさにその通りだと思います。
ただ、恐らく馬車馬さんのお仕事により近い分野になってきて
書きにくいかもわかりませんが、
これは例えば企業が公認会計士、監査法人に監査を依頼しているのも
全く同じ構図を抱えているんじゃないでしょうかね。。
Posted by: のびい | December 05, 2005 at 02:34 AM
規制緩和については、まさしくそのとおりでしょう。議論はいろいろありますが、馬車馬さんと並び、いちばん説得力のある言説はコチラだと思いました。
参考:http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/11/gizou_0423.html#more
しかし今回の場合、どうやら組織的な不動産詐欺である模様です。
参考:http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20051205
以下、過去の日記をご参照のこと
Posted by: 通りすがり | December 05, 2005 at 12:25 PM
いつもながらキレのある記事に感銘を受けました。私自身も建設技術者であるため、今回の事件は私のブログ「青い炎の日記」でも集中的に取り上げました。
http://blog.livedoor.jp/hamaguri1101/archives/50272981.html
http://blog.livedoor.jp/hamaguri1101/archives/50285817.html
基本的認識は馬車車さんとほぼ同じで、検査を強化するという方向ではなくて、市場の中で、技術力のある設計士、技術力のある施工会社、厳しい検査機関に仕事が集まる仕組みの構築が重要だと思っています。馬車車さんのいう損保に責任を飛ばすというのは全面的に賛成です。私のブログで提案したのは次の4点です。
①全てのビルの施主、建築会社、設計会社、構造計算会社、各担当技術者の情報を各地方自治体のHPで公開することを義務づける。
②瑕疵に対する全賠償責任を施主が負うこと。
③施主は瑕疵に対する賠償を行うため民間の保険会社で保険の加入を義務付けること。
④検査機関は保険会社が選定すること。
例えば検査機関については、これまで検査を甘くすれば甘くするほど仕事が回ってくる仕組みとなっていました。イーホームズはベンチャー企業であり、のし上がるため、仕事を増やすため積極的に検査を甘くしていったんじゃないかと推測します。しかし、こうしたことを実施すれば、これまでは検査のゆるい検査機関に仕事が集まっていましたが、逆に厳しい検査を行う検査機関に仕事が集まるようになりますし、姉歯が「鉄筋をもっと減らさないと仕事を他に回すといわれた」と語っていましたが、逆に鉄筋を減らすような設計屋に仕事は回ってこなくなると思います。結局、きちんとした会社の方が儲かるという仕組みの構築が大切だと思います。
Posted by: 青い炎 | December 06, 2005 at 09:11 PM
>例えば消費者は別途専門家を雇い、自分の代わりに設計図と建設過程の検査を頼めば良い(こういうサービスは既に実在する)。つまり、非対称情報というのは、多くの場合政府の力を借りなくても民間で解決可能なのだ。
そして高額の取引費用が常に生じる市場が出来上がりました・・・
規制の理由はその取引費用を最小化するためでしょうに。
本末転倒ですな。
Posted by: qwerty | December 08, 2005 at 01:46 AM
屋根の上のミケさん、コメントありがとうございます。お褒め頂き恐縮です。
分析といいますか、ミクロ経済の入門書の内容を拝借してきただけなのですが。そうでないとなかなかバランスよく冷静な議論ってしづらいですよね。
Posted by: 馬車馬 | December 08, 2005 at 01:58 AM
のびいさん、コメントありがとうございます。
私も詳しい事情は良く分かっていないので、TBをくださった青い炎さんや、Bewaadさんのところで紹介されていたhttp://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051129/1133237798
を参照なさった方が早いような気がします。
そして、ご指摘の通りこの手の問題は社会に幅広く残っています。だからこそ最近会計事務所周りで問題が絶えない
わけで。格付け機関に金を払うのが格付けされる側だというのも問題ですよね。これらの多くは、注4で書いた正
の外部性に起因するところが大きいと思います。
この場合、損保のような取り纏め役がいないので(敢えて言えば信託)、問題解決は一層難しいと言えると思います。
Posted by: 馬車馬 | December 08, 2005 at 02:04 AM
通りすがりさん、コメントありがとうございます。R30さんのエントリーは私も拝見しました。考え方自体はかなり似通っているのですが、消費者に対する態度がはっきり違っていて面白いですよね。TBしようかと思っていましたが、面倒くさくなってそのまま忘れていました・・・
それから、そもそも詐欺事件が発生してしまうというのも社会システムに不備があったからで、詐欺は刑事訴訟で対処するとしても、そもそも民間の力でこれらの詐欺は防止できたはず、というのが私の考えです。それにしても、リンク先の記事ずいぶん詳しいですねぇ。感心しながら全部読んでしまいました。ありがとうございます。
Posted by: 馬車馬 | December 08, 2005 at 02:10 AM
青い炎さん、コメントありがとうございます。業界事情などを一切知らないまま書き上げた頭でっかちなエントリーですので、「関係者が読んだら失笑モノ」という可能性も覚悟していたのですが、どうやら外してはいなかったようで安心しました(エントリーも拝見しましたが、損保の活用って実際に行われていたのですね)。
コメント後半部についてはただただ同意です(私にはこういう緻密な部分を詰める知識がないので、勉強になりました)。結局、最後の一文が肝ですよね。非対称情報や外部性が存在するときには、「いかにして彼らがマジメに働きたくなるような環境を作るか」が勝負であり、規制という観点から見ると、それは政府にしかできないか、民間にしかできないか、が論点になると思います。今回の場合は明らかに後者でしょ、という意見がネット上には多いような気がしますが、気のせいでしょうか(笑)。後程そちらのコメント欄にもお邪魔させていただく所存です。
Posted by: 馬車馬 | December 08, 2005 at 02:17 AM
qwertyさん、コメントありがとうございます。
うーん、取引費用をどう定義してらっしゃいますか?このような問題を考える際には、取引費用の大小それ自体は「直接的には」問題にならず、また政府が行った方が取引費用が小さくなる、という議論の組み立て方は見たことがありません(勉強不足でしょうか・・・。ただ、直観的には強すぎる仮定のように思います)。
問題なのは、取引費用の存在によって効率的な資源配分が妨げられてしまう場合であり、民間の力だけではこの効率的資源配分が達成不能であるときに政府が必要になります。この時政府の役割は取引費用の縮小ではなく、効率的資源配分へと経済を誘導するsocial plannerであることに注意してください。
そもそも、非対称情報それ自体が広義の取引費用であるという点も重要です(このエントリーではまさにそう扱っていますし、最近の経済学のメジャーな考え方でもあるでしょう)。消費者が建築士に払うお金はサービスの対価であって、取引費用ではありません(そう定義されているのかどうかは私にはわかりませんが・・・)。
Posted by: 馬車馬 | December 08, 2005 at 02:27 AM
リンク先を読んで、検査を民間にという話だったと理解できました。
ありがとうございました。
保険会社に、、というのはよい考えと思いました。
自賠責保険のように強制にするという手もあろうかと思います。
モラルハザードになるから、政府が金を出すわけではないというのは、
理屈としてはまさにその通りですが、やはり欠陥建築は命に関わって
くる問題なので、そうとばかりも言っていられないということになるの
でしょう。
Posted by: のびい | December 08, 2005 at 06:14 AM
のびいさん、リプライが遅れてごめんなさい(週末寝込んでまして)。
命にかかわってくる問題なので、政府が救済してもその後の「望ましいシステム構築」の致命的障害にはならない、というご指摘はごもっともだと思います。特に、私が「平和主義を唱える人たちへ」で仮定したような、「殺されるコストはマイナス無限大」であれば全く障害になりません。
ただし、そうでない場合(例のエントリーとは矛盾する仮定ですが)、政府救済によって損保に支払いたくなる保険料の上限が低下してしまう可能性はあると思います。もちろん、そこまでしなくても、十分な検査を行うだけの料金を消費者は支払う用意があるのかもしれません。ただ、そこは未知数ですので、厳密に市場原理にゆだねておいたほうがいいだろうなと。なにより、保険料を払っていない彼らを救済する理由が政府には無いのです。規制緩和の判断に問題が無かったとする限り。
Posted by: 馬車馬 | December 13, 2005 at 01:26 AM
馬車馬さん、すみません。私の書いたことが誤解されてしまったようです。
そういう意味で(命に関わるから政府が救済してもその後のシステム構築の障害にならない)書いたのではありません。
政府としても「貧乏人は死ね」というような事は言えないという意味です。
全て自己責任というのでしたら、莫大な金を使ってイラクから人質を救出したりする意味もありません。やはり人命はおそろかにできないのです。
私としては自動車の保険のように強制加入にするのがよいのではないかと思っています。
Posted by: のびい | December 18, 2005 at 08:31 AM
のびいさん:
なるほど。すいません、勘違いしていました。強制加入ということは、そのコストが払えない人は結局マンションを買えなくなるわけで、結果的に「貧乏人フィルター」としても機能してしまう可能性はあるとは思いますが、ご趣旨には基本的に賛成です。強制加入の方がシンプルですよね。
Posted by: 馬車馬 | December 21, 2005 at 05:47 AM
あなたは結局、アメリカ的社会を望んでいるようですね。保険加入を強制したいのだけど、それも官僚の「規制」になるので、強制と言い切れない。保険加入し、保険会社が検査するのは、いい案ですが、結局だれの責任かで、訴訟になり、アメリカ並の裁判社会になります。つまり、官僚にうまい汁を吸わせたくないといって、民間でやれば、今度は弁護士ばかり儲ける社会になる。アメリカを良く見てくださいよ。
官僚や政治家がうまい汁を吸っているから、小さな政府、民間主導、競争原理にすると、結局、日本の中流階級は、ほとんどが滑り落ちて、下層階級になる。官僚政治家に、吸い取られるのではなく、一握りの金持ちに、お金を吸い取られることになる。どちらが悲惨かを見れば、アメリカ的社会のほうが、貧乏人が多く、旧日本的社会が、中流が多かった。
官僚政治家のうまい汁は、必要悪として、ある程度認めなくてはいけない。アメリカ的弱肉強食社会を、一度でも体験した人間は、その恐ろしさに気づくのだが、、、、あなたに渡米経験があるのかどうか知らないが、おそらくないと思う。
Posted by: M78 | December 28, 2005 at 12:44 PM
M78さん、コメントありがとうございます。
もしかしたら少し誤解があるかもしれないのですが、私がこのエントリーで書いたやり方は裁判の仕組みに頼るものではありません。私が書いたシステムで裁判所が必要になるのは「システムがちゃんと機能しなかった」という理論上例外的な場合だけです。もしこのような「例外的な裁判所の利用」が問題視されるのであれば、役所による規制を採用した場合にも行政裁判が行われることがあるわけで、どちらも大差ありません。
ただし、私が注3で書いたようなケースの場合では、裁判所はより大きな役割を果たします。しかし、この場合でも、「侵害された権利」について十分詳細な定義が成されていれば、係争の余地など残らず、同時に弁護士が活躍する場も残らないわけです。「弁護士次第で結果が変わる」というのは法律の不備が原因であって、そのような社会システムの致命的な欠陥とは言えないでしょう。
第1、第2段落の文意がちゃんと取れなかったので(すみません)単に読み取れていないのかもしれませんが、訴訟社会→社会格差の拡大、というご趣旨でしょうか?ちょっとこの因果関係は良く分かりません。論理が飛躍しているように見えるのですがいかがでしょうか。
Posted by: 馬車馬 | December 29, 2005 at 02:10 AM
訴訟社会と社会的格差の増大は同時にやってきます。小さい政府と、民間に大きな裁量を認めるとそうなります。
>この環境の整備は民間の仕事であり、政府が下手に手を出すと逆効果になる。
は、民間への過剰な期待です。どうも、今の若者~中年は、官僚は汚い、民間は競争があるからフェアーと思い込んでいますが、昔の日本人は、民間は競争するから、どんな汚い手を使っても勝とうとする。官僚は競争がないというか、直接利益を得るわけではないので、民間よりはましだと考えていました。
官僚主義が非効率だと言って、反対の市場原理主義も非効率。中間が一番効率がいいのではないでしょうか?民間主導になれば、アメリカのような、異常な訴訟社会、社会的格差を容認する社会になります。そのために大いなる無駄が生じてきます。行き着く先まで、きちんと分析した上での改革でなければ、意味がありません。今よりましだろでは無責任です。
マンションについては、公的規制の復活。規制の有効化を図ることが大事ですが、それができないのは、アメリカの企業にとっては、今の状況のほうが、儲けが出る。したがって、再規制は、アメリカ政府に反抗することになるのです。
Posted by: M78 | January 04, 2006 at 07:10 PM
難しい言い回しはできませんが、M78さんが行っている事は、概略的には、理解できます./??なにせ55歳のど田舎主婦だからまるっきりテーマからはずれてるかも。日本民族とアメリカ(ゲルマン民族)とは、同じ血潮とは、わたくし的には、考えられません.農耕民族と、?けだものの違いと、思う時があります.戦後民主化のもとに、教育を受け此処まで着てみたら、ものの捉えかたも、生活様式も、アメリカナイズされ、今ごろになって慌てて昔をふりかえる。官僚政治家のうまいしるの容積は、解かりませんが、堕落した官僚のことはなんとしてもいいかげんせき止めていただきたいです。
Posted by: 無学主婦 | January 16, 2006 at 04:18 PM
M78さん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。見落としてしまっておりました・・・。
さて、小さな政府と民間の自由裁量が訴訟社会と格差の増大を招く、とのご指摘ですが、ちょっとまだよく分かりません。小さな政府を「税金による所得の再分配をあまりしない政府」と捉えるのであれば格差の増大は説明できそうですが、ここでの規制緩和の議論とは次元が違う話です。また、民間へ自由裁量を認めることが即訴訟沙汰の増大にはつながらないことは前のメールで申し上げた通りです。
民間も官僚も非効率だから中庸をねらうべき、とのご指摘はごもっともだと思います。たとえば、本文で書いた「デベロッパーの損保への強制介入」は一種の折衷策だと思うのですがいかがでしょうか。行き着く先まで分析すべき、という点もごもっともですが、そこまで考えてもなお規制緩和は実行すべきだ、というのが本文の趣旨です。
お役所の規制のあり方については、von_yosukeyanさんが大変緻密ですばらしい論考をなさっておられるので、
http://slashdot.jp/~von_yosukeyan/journal/338448
こちらも是非あわせてご覧頂ければと思います。私のエントリーは基本的に抽象論ですので、こちらのエントリーと合わせるとバランスが取れるように思います。
Posted by: 馬車馬 | January 17, 2006 at 02:48 AM
無学主婦さん、コメントありがとうございます。おかげでM78さんのコメントを見落としていたことに気がつきました。
お役人さんも人の子ですから、堕落できる環境があれば堕落するでしょう。民間と同じです。それを防ぐには、結局お役人に頼らず、自己責任でやっていくことが大切なのだと思います。さまざまな物事の判断を彼らに委ねれば我々は楽ではありますが、それだけ利権の類も彼らに集中するのは自明の理です。これはどちらかというと観念論の類ですが、そのための規制緩和であり、そのための自己責任ではないかと思います。そこで何か起こるたびにお役人に責任を押し付けてきた結果が現状の体たらくを招いている、ということは言えるのではないかと思います。
Posted by: 馬車馬 | January 20, 2006 at 07:55 PM
注3とM78さんへの馬車馬さんのコメントについて、場末の法律家として少し。
『「侵害された権利」について十分詳細な定義が成されていれば、係争の余地など残らず、同時に弁護士が活躍する場も残らない』とまでいうのは、一般論としてはなかなか難しいと思います。
法律の条文は抽象的なものですし、ある程度判例として確立しているような権利についても、事案ごとにそれぞれ内容が異なるので似ている事案でも異なる結果になることもありますし、時代背景によって権利の捉え方も変わってきますので。
そういう意味では、規制緩和により民間の自由裁量をふやすことと訴訟社会が訪れることには論理的必然性はないわけです。争いごとなどというものは浜の真砂のように尽きることはないわけですから、それをどのように解決するかの判断は、裁判にかかる経済的・社会的コストや国民性などさまざまな要素が絡みあって為されるものでしょうから。
反面、現実に訴訟が増えてきていると実感しており、このことが訴訟社会化と指摘されているのかなと思います。しかし、これは経済活動・社会活動が活発化して個人・企業の活動の外延が広がることで、権利の衝突が頻繁に起こるようになったためではないでしょうか。(経済活動・社会活動の活発化の原因として、規制緩和は一つの要因でしょうから、M78さんはその意味で訴訟社会の原因と指摘されているのかもしれません。)
Posted by: 麒麟 | January 21, 2006 at 06:12 AM
麒麟さん、コメントありがとうございます。コメントが大幅に遅れてごめんなさい。体調を崩しておりまして・・・。
しかし、やはり本職の方のご指摘には重みがありますね。確かに、法律が完備されていれば係争の余地は残らない、ということは実際にはありえないのでしょうね。
訴訟増加の理由が経済活動の活発化に起因するという麒麟さんのご指摘は私ももっともだと思います。取引が増えるほど(ウェットな意味で)関係が浅い企業とも付き合わざるを得なくなるわけで、そうなると不文律よりも法的に有効な契約で取引先との関係を構築するのが効率的となり、その結果訴訟が増えるのかな、とも想像しました。
Posted by: 馬車馬 | January 28, 2006 at 09:46 PM
まず、弁護士や医師は、規制により特権化しています。この規制を解除すれば、弁護士は特に増加する可能性が高い。欧米に比べ、少なすぎる。それでも社会秩序が保たれているのは、日本人の道徳観のおかげであったが、今後は期待できません。また。裁判手続きも規制されており、敷居の高いものである。これも規制緩和すれば、裁判が増える。そして、官僚の裁量権を、馬鹿にしてはいけません。細々したことは、たいてい裁判まで行かずとも、公務員の裁量権で、片がつくのです。だから、賄賂を贈る民間が出てくるのでしょうが。
したがって、弁護士資格の規制緩和、裁判手続きの規制緩和、官僚の裁量権を剥奪する。という規制緩和の後には、大量訴訟社会が待っているのです。
アメリカに住んでいたときに、裁判に負けたら、お金は要らないとテレビ広告している弁護士を見たことがあります。、貧乏人に訴訟させ、確実に勝つものだけ争って、勝てば、もらえる金の大部分をふんだくるという金の亡者のような弁護士を大量に生むことになる。
Posted by: M78 | February 03, 2006 at 09:05 AM
>小さな政府を「税金による所得の再分配をあまりしない政府」と捉えるのであれば格差の増大は説明できそうですが、
大きな政府でも、小泉さんは所得の再分配を、金持ち有利に変えています。ただし、小さな政府は一般に、所得の再分配にはかかわらず、福祉も最低限のものしかしません。
>ここでの規制緩和の議論とは次元が違う話です。
規制緩和すれば、今まで競争にさらされずに来た部門でも、過当競争になります。規制緩和の中に、官僚による指導などを廃止することも含めば、民間どうしの叩きあいになり、アメリカ同様の訴訟で相手を屈服させるという風になります。
小泉改革のモデルは、明確にアメリカ社会です。アメリカ政府が、日本をアメリカ的社会にすれば、アメリカ企業が有利になることを、ちゃんと知って、仕掛けているのです。訴訟はまず、日本に入ってくる米企業から、日本の企業に行なわれ、日本企業も身を守るために、訴訟合戦になります。
>また、民間へ自由裁量を認めることが即訴訟沙汰の増大にはつながらないことは前のメールで申し上げた通りです。
小泉構造改革の目標、モデルであるアメリカ社会まで緩和するのか、アメリカほどは緩和しない方向を目指すのか、はっきりしないと、知らないうちに、アメリカ並みに緩和させられてしまいますよ。
>たとえば、本文で書いた「デベロッパーの損保への強制介入」は一種の折衷策だと思うのですがいかがでしょうか。
それは、アメリカ的やり方の中では、正しいといわざるを得ない、しかし、強制するのは、陽的機関でなくてはならないから、公共機関が、民間の保険会社に丸投げするようなもので、建築に関して、保険会社支配のようなものができる可能性がある。アメリカの医療制度は、国民皆の保険がないため、民間保険が中心であり、医療の質は、科学的な根拠や、専門の医学者の判断よりも、保険会社の儲けの予想値によって決定される。保険会社の医療、医者支配が起こっているのである。民間の企業、数社による寡占カルテルに、米国民の健康を支配させている。民間企業にそこまでの権力を与えれば、官僚化し、しかも、利益を貪欲にかき集めるという恐ろしいシステムになる。
(日本のシステムは、検査費が無駄になっても、ある一定の癌が見つけられれば、よしとするが、アメリカの保険会社は、発見にかかる金と、見落とした場合、保険会社が払わなければならない金を見積もって、よりやすいほうを選ぶ。つまり、保険会社が儲かるために、ある一定量の癌を見落としてもいいという体制になるかもしれないのだ)
>行き着く先まで分析すべき、という点もごもっともですが、そこまで考えてもなお規制緩和は実行すべきだ、というのが本文の趣旨です。
つまり、アメリカ並まで規制緩和しろという考えであれば、井の中の蛙といえよう。アメリカの自由競争社会の非常さ、不平等さを、身をもって体験しないのに、安易にアメリカ並に規制緩和する事は、めくらが首都高に迷い込んだかのごとくであろう。
Posted by: M78 | February 03, 2006 at 01:45 PM
M78さん、コメントありがとうございます。
とりあえず、あまり議論を大きくしてもこんがらかるだけですので、このエントリーでの規制緩和に話を絞りたいと思います(弁護士や裁判手続きの規制緩和については私は何のアイデアもありませんし、そもそもよく知りませんもので)。
私がエントリーで書いたのは、この建築問題について、公務員の裁量が必ずしも社会厚生にとってよい結果をもたらさない(非対称情報のため)ということです。また、それを民間に委ねても、その民間システムは裁判のしくみを活用したものではありませんので、それによって訴訟社会が訪れるという議論はできないのではないかということになります。
後半部については、すいません、文意を取れない個所がいくつかありましてコメントしづらいのですが、規制緩和→過当競争→訴訟の多発という2つの矢印はロジックが飛びすぎているようにおもえます。
Posted by: 馬車馬 | February 07, 2006 at 02:21 AM
経験したことがないとわからないのでしょうか?
目先の利便さの裏にある日本社会構造破壊について、理解できない方には言ってもしょうがありません。
実際に、そうなったときに、ああ、アメリカ社会を目指せば、過当競争、独占企業、格差増大、訴訟社会は免れないといっていたことを思い出していただければよい。
つまり、規制緩和には、必ず歯止めをもうけておかなければ、どんどん自由化の流れが強まり、アメリカ的社会になってしまうということです。その証拠が、今回の姉歯事件です。道徳心があり、法律を守るはずの日本人が、ここまで堕落してきたことは、アメリカ化が骨の髄まで届いてきた証拠です。それに気づかないのは、自分もまた、昔の日本人から遠く離れてしまい、見た目は日本人でも、頭の中はアメリカ人という、「バナナ」人間になってしまっているからです。バナナ人間から脱却するには、戦前生まれのお年寄りに、戦前の日本人の道徳心について、よく聞くことです。
Posted by: M78 | February 08, 2006 at 05:28 PM
いきなりの横レスですいません。
ただ、傍から見ているとM78さんの批判?は的を外しているように考えます。
このエントリでの馬車馬さんの趣旨は、タイトルの「規制すべきもの・そうでないもの」が示す以上のことはありません。M78さんのいう訴訟社会の到来というのは「この」エントリとは無関係です。更に内容を見ていくと、「規制を残すべきなのは、自然独占・非対称情報・外部性の存在という3つのケース。(逆にいえばこれ以外を民間に開放すべき)」とあるのですから、批判するとしたらまずはこの部分になるのではないでしょうか。
どうしても規制緩和→訴訟社会というモデルを提唱したければ、その具体的な論拠を示していただけませんか。「アメリカを見れば分かる」というのではあまりに飛躍が過ぎます。
M78さんの危惧する社会は私にとっても好ましくはありません。しかし、紋切り型のアメリカ訴訟社会モデルを持ち出して規制緩和に反対しても無意味です。「戦闘機1機のお金でアフリカの子供たちが(以下略)」と同じレベルで論点がずれていないでしょうか。
どのような政策であれメリットもあればデメリットもあるのですからその辺りを踏まえ、M78さんなら今回の偽造問題はどう処理すべきか、そして建築関係については以前のように国の規制に任せるべきなのか、またそうだとする根拠は、ご意見を聞かせていただきたく思います。
私個人の意見としては、今回の事件は政府が管理していた所で防げなかっただろうという馬車馬さんの意見と同じです。逆に規制していた場合、賄賂やらなんやらで逆に発覚が遅れていたかもしれません。これは、古きよき日本の道徳がもたらす負の一面だと思われますが、その点に関してもM78さんのご意見をいただきたい所です。
Posted by: はりぼで | February 10, 2006 at 05:30 AM
はりぼでさん、コメント・フォローありがとうございます。
私の思うところは、ほとんどはりぼでさんのコメントできれいに説明されていますので、私もM78さんのリプライを待たせていただこうと思います。
最終段落についてですが、経済学的にはまず「市場の失敗」(自然独占etc)の問題がクローズアップされ、完全な自由放任には問題があるという結論に至ったわけですが、この当時は政府は無謬の存在だと仮定されていたんですよね。その後「政府の失敗」も同様に存在することが分かってきて今に至る、という流れになっているのだと思います。こうなると、「どちらが正しい」ということは軽々に判断できなくなり、「ケースバイケース」という玉虫色の回答になってしまうのがつらいところではありますよね。
Posted by: 馬車馬 | February 14, 2006 at 07:45 PM
規制緩和ということは、民間に自由にする権利を与えると言うこと、つまり、民間同士で、相反する利害を持つものが、対立するのが当然の社会になることです。そして、政府は、もはや、それを調停する権限を持たないと言うことです。
そうなれば、大昔なら、A組とB組が、殺し合いをして、勝ったほうが利益を得ると言うのもあるが、そこまでの自由放任ではないとすれば、何かしら、自分が優位になる法律を見つけてきて、ライバルを規制しようとする。それが、訴訟社会です。
日本ほど訴訟の少ない社会は、異常ですが、これは、昔は日本人の道徳性の高さから来ていた。しかし、現状では、官僚の裁量権、行政指導によって、訴訟が未然に減らされているのである。
今回の偽造事件は、規制緩和がなければ、ここまでおおっぴらにはできなかった。つまり、犠牲者の数が少なくても済んだと思われる。また、開発されたソフトで計算すれば、国や市は、それを疑わないと言うのも、公の側から提案された規制緩和の一つであり、そのようなソフトを開発しなければ、そしてそこまで権限を与えなければ、未然に防げた数も増える。
結局、規制緩和をすれば、するだけ、民間を見張る公的機関の人員を増やさなければならないと言う矛盾が、ここに出てくるのである。(見張らなければ、今回のように、素通りになり、姉歯やヒューザーを訴える社会となる)
規制緩和が一切なければ、見落としたのは、国や市の責任となり、補助金ももっときちんと出ただろう。規制緩和=自由=自己責任となれば、国や市も、金を出したくないということになるだろう。
Posted by: M78 | February 21, 2006 at 06:38 PM
M78さん、コメントありがとうございます。
うーん、議論がすでに平行線になってしまっているようですので、この件はこれまでということでいかがでしょうか。究極的には、政府の管理能力をどれだけ高く評価するかによって(もちろんそれ以外の要素もありますが)、議論の帰結は大きく変化するのだと思います。
Posted by: 馬車馬 | February 27, 2006 at 09:58 PM