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救われない「不運」について

シリーズ物の準備に時間がかかっているので、少し小ネタを。小ネタというか、単なる思いつきなのだが。


昨日になって、最近(それとも今更、なのだろうか?)話題の赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』を読んだ(丸山眞男と聞いただけで難しそうだったので敬遠していた)。色々な意味で救いの無い話だなと思ったのだが、以下感想を。

氏の議論の持って行き方を自分なりにまとめると以下のようになる(なお、私は右翼だ左翼だ論壇だという話題には興味が無いので、そういう視点からの理解はしていないという点はご承知おき頂きたい)。

  • フリーターで生活が厳しい。
  • これは不景気のしわ寄せが若年労働者に集中したからであり、企業がフリーターやニートを働かせようとしないからである。
  • よって、『過去に遡って、ポストバブル世代に押しつけられた不利益を是正』すべき。

  • 不景気のしわ寄せが若年労働者に集中したのは、平和な日本社会が現状維持を志向しているから。
  • よって、現状維持が出来なくなるような突発的なイベントが起これば自分も救われるかもしれない。

議論の本筋は前半部であって、後半部の「平和が問題なので戦争を望みます」というくだりはレトリック以上のものではない。当初の問題意識は「自分の生活の苦しさと閉塞感の解消」であるはずなのに、氏の文章からは戦争(またはそれに類する秩序の崩壊)がこの問題を解消する、ということを示す議論は見当たらない(肝心な部分で「かもしれない」「可能性」「希望」というあいまいな表現が増えている)。「現状維持→若者の苦しみ」という因果関係が仮にあったとしても、それは「現状打破→若者の幸せ」には論理的につながらないのだ。しかも最後の部分に至っては、自分が不幸だからみんなにも不幸になってほしいというなんとも正直な感情の吐露でしかない(その正直さこそがこの文章の価値と魅力を高めているとは思うのだが)。

さて、では戦争だの平和だのという話はとりあえず措いておいて、彼を救う道というのはあるのだろうか。そもそも、「今の苦境は不景気のせいである」という彼の主張は、なにかしら救いへの道につながるのだろうか?


マクロな原因、ミクロな原因

さて、彼の言う「自分の苦境は不景気に原因がある」という主張は正しいのだろうか。当然のことながら、「それまでちゃんと頑張ってこなかったお前が悪いんだろうが」というツッコミはあり得る。なにしろ、就職氷河期といわれた10年前ですら若年失業率は10%以下である。残りの9割はちゃんと就職しているのだから、不景気という不運だけが氏の苦境の原因ではないことは明らかだ(注1)。『ポストバブル世代に押し付けられた不利益』と彼は言うが、ミクロに見るならば、彼が代表しているのはその「ポストバブル世代」の1割に過ぎない。

だが、仮に彼が頑張って、9割の中の一人を蹴落として正社員の座をゲットしたとしても、マクロなレベルでは問題は全く解決していない。氏の代わりに苦境に立たされる人が生まれるだけの話で、1割の若者は確実に職からあぶれるのだ。これはもう不運としか言いようが無い。後10年早いか、10年遅ければもっと楽だったのにね、という話である。

その意味で、自分の苦境の原因をマクロな不景気(及び労働組合を含む日本社会)に求め、自分(たち)哀れな犠牲者の救済を社会に要求する、というのは筋道としては必ずしも間違っていない。ミクロな苦しみの原因をマクロに求め、マクロな救済を要求しているわけである。

救われないのは、マクロな政策では赤木氏を含む個々の「犠牲者」を救うことは出来ない、という点にある。例えば、フリーター他不正規雇用者等を対象とした「再チャレンジ政策」の一環として役人の中途採用が計画されたが、すったもんだの挙句にほとんど「誰でも応募できる」ものに変更された。マクロレベルで政策を組めばそういう流れになるのは当然だ。恣意的な基準で募集をかければそれこそ不平等につながりかねない。職業訓練なども目立つ成果を挙げたという話は聞かない(予算が消化できなくて、TOEIC対策講座に専業主婦まで受け入れていたと聞いたことがある)。そもそも、社員教育が各社内で「内部化」されている日本では、一般的な職業訓練が就職に結びつきにくい。むしろ、マクロな観点から最適な政策とは、「このような不幸な人をこれ以上生み出さないように、景気対策に全力を注ぎます」というものであって、この場合彼らは犠牲者どころか、政治的な生贄に等しい。

そして、ミクロに彼らを「救済」出来る企業の採用担当者としては、これらマクロな事情は全く興味の埒外であって、「うちで働いている同世代の社員に比べ、努力・能力・運のどれかが足りなかった人+その後も職業訓練という点で後れを取った人」という、ミクロには全く正当な評価が下されてしまうことになる。


ヘッジされる不運、ヘッジされない不運

マクロ政策が残念ながら彼らに職を与えることは出来ないことは分かった。しかし、せめて当座のお金を配ることは出来るのだろうか?それを考えるために、少し保険の話に寄り道したい。

世の中には様々な不運があふれている。90まで生きる人がいれば、20代で早死にする人もいる。大学受験の当日に風邪を引く人もいれば、人生これからというときに事故にあう人もいる。そして、世の中大概の不運は補償されるようになっている。早死にのリスクに対しては生命保険が、長生きして生活費が足りなくなるリスクに対しては年金が、失業のリスクに対しては失業保険が、それぞれ存在する。

では、就職活動期に不景気にぶち当たるという不運をヘッジする保険はありえるかというと、これは非常に難しい。理由は2つ。まず、ほとんどの人にはこの保険料を払う理由が無い。「人間いつ死ぬか分からない」というのは、あらゆる人間に平等にのしかかるリスクであって、それゆえに多くの人が保険料を払う=保険が成立する。しかし、赤木氏が直面したリスクは25歳以上で就職経験のある人には全くの他人事である。彼らには保険料を払う理由が無い。敢えて言えば年頃の子を抱えた親御さんということになろうが、これも保険料が高すぎて買えなくなる可能性が高い。なぜなら、確率的には低所得家庭の子供ほど学歴が低くなり就職率が下がることが予想されるわけで、「低所得家庭になればなるほど保険料が上がる」ことになってしまうからだ(部分的な統計はこちらのp12-14を参照)。(注2)

もうひとつの問題点は、このような保険に入ると子供は努力をしなくなるというモラルハザードだ。就職に失敗しても一定の所得が保証されるから、大学で頑張って勉強する必要性は薄れるし、「第一志望に受からなかったら就職浪人しよう」と選り好みする傾向も強まる。もはやこれは運不運の問題ではない。彼らは自発的に就職に失敗するのだ。保険というのは不運をヘッジするための商品であって、怠け心は商売の対象外である。このような場合、保険は成立しない(生命保険や自動車保険の場合は、幾ら保険金がもらえるからといって死ぬのはいやだと思う人が大半なので、こういった問題は起こらない)。

こう考えると、保険という民間部門でもマクロな救済策は成立しづらいといってよいだろう。そして、保険料を払いたい人が少ないということは、政府が税金を使って彼らを単純に救済する(例えば、ニートには一律月10万円支払う、とか)ことを納税者の大半は支持しない、ということでもある(所得分配を行っているという点で、政府は日本最大の保険会社である)。「かわいそう」「不運だ」という理由だけで救済してもらえるのは、それが納税者にとっても起こりうる問題であるか、救済のコストが著しく小さいときだけなのである。


救済のための「戦争」

では、彼らには現状を打開する手段は存在しないのだろうか?筆者が思いつく限り2種類存在する。筆者が過去に何度も繰り返してきたとおり、交渉の要諦はアメとムチである。ムチとは、この場合「われわれの存在を無視し続けると社会不安を醸成するぞ」という脅しである。赤木氏は海外との戦争を想定していたようなのだが、よほどの負け戦にならない限り社会システムは崩壊しない。社会システムを崩壊させたいのなら国内で暴動を起こすべきである。その方が効率が良い。こうすることで、今まで彼らを救済する理由が全く無かった人々に、幾ばくかの動機を与えることが出来るわけだ。

ただし、これを実行するには「犠牲者」の数が少なすぎる。若年失業者の数はせいぜい10%、非正規雇用者が雇用者全体の2割で、その半分以上は正規雇用者候補(注1参照)なので、潜在的「犠牲者」候補は就業者全体の1割以下である。この中に「もう俺は捕まってもいいんだ」と自棄になる人間が相当数存在しなければ暴動は成立しない。ちなみに、昨年(?)暴動が起こったパリでは、若年労働者の失業率が過去20年間20~25%の間を推移している。そして、彼らの要求は一切聞き入れられることは無く、暴動に対して強硬姿勢を維持したサルコジは多くの国民の支持を集めて大統領に当選した(蛇足だが、ブラジルでは、2000年3月の新規雇用者数62万616人のうち、正規雇用者は9万2424人に過ぎなかったそうである。 これはこれですごい)。

もうひとつのムチは、非正規雇用者の組合をもっと充実させること。最近になって非正規雇用者の数が増えているということは、組織化すれば一定の交渉力を獲得できるということでもある。ただし、この組合は会社だけでなく正規雇用者の労働組合を敵に回すことになるので(労働組合にとって、非正規雇用者や失業者は自分の職を奪いかねない敵である)、実現のハードルは高い。更に、正規雇用を狙う人には、正規の組合と敵対しかねない組合運動に参加する理由が無い。この点については、政府の支援があっても良いと思うが、正直これは「言うは易し」の典型例だろう。ただでさえややこしい労使問題に更に参加者が増え、そこに政府が介入するとなれば、現場の混乱は想像するに余りある。

ムチに現実味が無いとすれば次はアメである。これは、結局のところ「私を雇えば御社の得になりますよ」と言えるだけのスキルなり資格なり評判なりを手に入れることである。ミクロなレベルでは、これしか選択肢は無い。個々の企業にとって、就職希望者の過去の不運を考慮する理由は無いのだから。「日々の暮らしが忙しくて自己研鑽の余裕など無い」「どちらにしても彼らは新卒しか取らない」などなど、このやり方が実行不能だという意見はあるのだろうが、筆者にはこれ以上に現実的で確実な解は思いつかない。


本日のまとめ

就職氷河期に就職に失敗した人たちが、その不運を不景気や社会に帰する正当な理由はマクロなレベルでは存在する。

ただし、その正当な理由は彼らを救済してはくれない。


注1:統計誤差の問題は失業率では色々ありそうだが、ここでは考えない。また、「不正規雇用が増えたから失業率が低く見えるだけ」という批判は考えにくい。赤木氏が就職活動を始めたのは90年代のはずであり、不正規雇用が増えてきたのは2000年以降である。ついでに書くと、「非自発的に」不正規雇用を選んでいるのは、直近で2割ほどいる不正規雇用者の3割~5割程度。こちらの資料を見ると、そのうちの5割程度は正社員へと変わっていくらしい。

注2:念のために書くが、この状況を筆者が肯定しているわけではない。日本には給費の奨学金が余りにも少なすぎる。この際貸費でもいいから、奨学金の制度は大幅に拡大すべきだろう。

注3:筆者は皮膚感覚のレベルで労働組合(のノリ)が嫌いなのだが、存在意義を否定してはいない。

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Comments

散々没にするかどうか迷ったのですが、迷いながらも最後まで書いてしまったので、載せてしまうことにしました。本当は「世の中にはヘッジされる不運とそうでないものがあるよね」という所をクローズアップするつもりだったのですが、書いているうちに保険とかの知識が曖昧すぎて掘り下げようが無いことに気がつきまして。そこからだらだら方向修正していたらまとまりの無い文章が出来上がりました。(よく考えると、不運とヘッジのセクションを捨ててしまえばもっとすっきりしたんですね、これ)。

Posted by: 馬車馬 | August 26, 2007 at 02:51 AM

はじめまして。興味深いエントリです。
自分はむしろ不運とヘッジのセクションがおもしろいと感じました。今まで考えたこともなかった、不景気というリスクに保険の考え方をあてはめるという新しいものの見方を提案され、目からうろこでした。

Posted by: esbee | August 26, 2007 at 09:32 AM

こんにちは。興味深く読ませていただきました。
「世の中大概の不運は補償されるようになっている」という部分には、違和感がありました。本当に補償されていれば、もう少し不公平感はマシになったのではないかな…などと思いました。

Posted by: 北博士 | August 26, 2007 at 11:30 AM

祝復活、おひさしぶりです。

不公平感の中身ですよね、問題は。自分も大企業の正社員で、まあ世間一般で言う勝ち組なのかもしれませんが、つい最近まで40℃に達する自分の職場に辟易していたのも事実です。
それとこの赤木という人、戦争の悲惨さを理解してない節がありますよね。たしかに戦争は富裕層を痛めつける、でもそれと同じぐらい貧乏な人にもダメージを与えるんですよね。私の祖母は80ちょいですが、しょっちゅう戦争中(およびその後10年ぐらい)の話をします、それ以外で自分の過去など話したことはありません、そして内容はいかに生活が苦しかったかです。はっきり言って強迫神経症の一種かと思うぐらいですが、そのぐらいの影響を戦争は与えてしまうということでしょうね。

Posted by: SLEEP | August 26, 2007 at 01:21 PM

esbeeさん、コメントありがとうございます。

人生の不運をヘッジすると言うのは、経済学ではたまに出てくるアイデアだったりします。(ちょっとパクらせてもらいました)

1つ下のコメントでもう少し書きますが、人生の不運をどうヘッジするかというのは、おっしゃるとおり結構面白いアイデアだと思いはじめました。あと1日掘り下げてから書いていればもう少し出来が良いエントリーになったかと思うと少し悔しいのですが(笑)。しょうがないのでコメント欄で補完しますけど。

Posted by: 馬車馬 | August 26, 2007 at 06:12 PM

北博士、コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、実際には社会の不平等は必ずしも補償されていないと思います。まず、保険があったとしても、それに皆が加入しているとは限りません。保険料を払っていなければ、補償は受けられないのは当然です。もうひとつは、保険でヘッジしようの無い不運もあるということです(子供がぐれるリスクとか、上司にいじめられるリスクとか)。後者についてはどうしようもありません。

更に書くならば、不運のヘッジとは保険料を払うだけではありません。「将来どうなるか分からないから勉強しておこう」というのは立派なヘッジであり、勉強に費やした時間は保険料です(勉強すれば必ず不運を回避できるとはいえないので、不完全ヘッジではありますが)。もし赤木氏が代表するグループがこの保険料を払っていないのならば、補償を受けられないのは当然、という見方もあり得ると思います。結局のところ、自分のリスクをヘッジ出来るのは自分だけなのですから。

Posted by: 馬車馬 | August 26, 2007 at 06:24 PM

SLEEPさん、どうもお久しぶりです。

結局のところ、何を持って不公平というかという定義の問題にもなってしまいますよね。上のコメントではないですが、勉強時間という保険料を支払った人間とそうでない人間を一律に救済するのが公平かどうかは微妙な問題です。

後半部については、私もその辺りの現実感の無さを感じてレトリックであろうと書きました。もちろん、戦後世代のわれわれには戦争の恐ろしさを現実としては捉えられないわけですが、考えを突き詰めていけば見えてくるものはあるはずだと思います。そういう突き詰めを彼の文章から感じることは出来ませんでした。あれは彼の絶望感の素直な吐露であって、それ以上のものではないように思います(そもそも、自分で戦争を起こすというよりも、どこかで誰かが戦争を起こすのを待っているというスタンスに読めましたし)。上のコメントでも書きましたが、リスクの補償にしても、救済にしても、(ミクロでは)結局自分が行動するしかないと思うのです。

Posted by: 馬車馬 | August 26, 2007 at 06:41 PM

「就職活動期に不景気にぶち当たるという不運」というか、そもそも資本主義国で「就職活動期」というものが存在すること自体がアンフェアなんじゃないの?
すべて自己責任の世の中にしようってのに新卒しか採らないって無茶すぎでしょ。
腐ってる。

Posted by: き | August 26, 2007 at 09:12 PM

もういっぺん労働法の原点に立ち戻って、派遣労働禁止するというマクロ政策もありではないかと思いますが。
(非正規雇用者の多くに現状より厳しい切捨てが待ってるであろう事は百も承知で)
それと、単純な生活保護拡大にも雇用不安定な時代には一般人にも十分ヘッジとして受け入れられる素地はあったのではないかと。(団塊退場等で雇用改善してる現在ではちょっと手遅れかもしれませんが)

Posted by: Cru | August 27, 2007 at 12:36 AM

復活おめでとうございます。読者として素直に嬉しいです。今回も楽しませて頂きました。

赤城氏は今回の件をきっかけに安原宏美氏とかから「かわいい」などと言われているようですから、ま、あれはあれで良いのではと。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10039530612.html

私が赤城氏の論説とその反応を読んだ時の感想は、なんで皆、戦争というレトリックの部分にばかり反応するんだろう、です。正直不思議。あれは、馬車馬氏がアメとムチ「だけ」で森羅万象全てを説明するのと同じなのに (笑) と私は理解しました。

Posted by: forsterstrasse | August 27, 2007 at 06:49 PM

待ちにまった復活おめでとうございます。
以前書きかけてやめられていたという欧州経済ネタの復活もお待ちしております。

今回のエントリの馬車馬さんの論はその通りだと思いました。しかし、元ネタ(赤城氏の文章)には首を傾げてしまいました。

そもそも31歳フリーター氏が丸山真男云々が違和感があります
人間にはどうしても考え方に癖があります。思考のフレームといいますか一定の考え方のパターンやよく使われる概念のようなものです。赤城氏の思考のパターンは団塊世代A紙記者のそれに他ならないような気がしてなりません。

そもそも赤城氏程度の文章が書けるということは新聞社社員なみの能力はあると考えられます。フリーターでこの文章ということは潜在能力は更に高いかもしれません。そんな人が資格なりスキルなりをアップするために努力することすらもしないというのは非常に不自然です。

私は彼らが反中、反韓なのは、不満をぶつける対象を外部に見つけたいということと、労働市場での競合関係が理由かなと思います。本気で戦争をしたがっているなどというのはA紙系の人に共通する思い込みから来ているのではないでしょうか。

Posted by: のびい | August 28, 2007 at 04:05 PM

き さん、コメントありがとうございます。

まぁ、アメリカでもイギリスでも新卒採用活動の時期というのはありますし、そこで失敗すると色々と不利益を被るというのは同じだと思います。友人の話では、アメリカなどでは"キャリアの空白期"に対しては厳しく、どの企業でも、3カ月以上間が開いた場合はその間何をやっていたのかをアプリケーションレターに書入れるよう要求されるそうです。

どちらにしても、日本の新卒志向の度が過ぎているというのは全く同感です。この点については次回以降のシリーズ物で少し触れるかもしれません。

Posted by: 馬車馬 | August 28, 2007 at 11:44 PM

Cru さん、コメントありがとうございます。

ある意味、西ヨーロッパがそれに近いことをやってひどいことになっているので、個人的には副作用が大きいかなとは思うのですが、筋道としては理解できる考え方です。

確かに、不景気の時期であればセーフティーネットの拡大にももう少し支持が集まったかもしれませんね。ただ、我々国民が不景気脱出のために選んだのはその様な"大きな政府"とは真逆の方向であったわけで、それを考えるとやはり難しかったかもな、とも思います。また、長期的には、"彼らのような不幸な人々を今後生まないようにするために"小さな政府と構造改革の道を選んだ日本の選択は正しいのだと思っています。もちろん、それで救われない人も確実に存在するわけですが、マクロ政策である以上、"不幸な人の数を最小化する"選択肢を選ぶしか道はないわけで。。。

Posted by: 馬車馬 | August 28, 2007 at 11:53 PM


forsterstrasse さん、コメントありがとうございます。お待たせしてごめんなさい。

かわいい、ですか(笑)。まぁ、あれだけ正直なことを書ける人ですから、母性本能を刺激されたりするんでしょうかねぇ。

>馬車馬氏がアメとムチ「だけ」で森羅万象全てを説明するのと同じ

あははははは。確かにそうですね。

ただ、何というか彼の"戦争"という言葉からはそこまでの重みを感じないんですよね。自分の苦境や屈辱を語る言葉に比べて突き詰められてないというか。何となく、編集者の影を感じるのですが、丁度のびぃさんのコメントで編集者の話
が出ているので、そちらでまとめて書くことにします。

Posted by: 馬車馬 | August 29, 2007 at 12:07 AM

のびいさん、コメントありがとうございます。お待たせしてすみません。それほど頻繁には書けないかもしれませんが、時間の取れる時に書いていこうと思っています。

私もこの文章を読んだ時に、結構編集者の手が入っているのかな、 と感じました。まずサブタイトルの"31歳フリーター。希望は戦争。"というコピー自体第三者視点ですし。赤木氏の文章からいって、自分の文章をここまで客体視出来るタイプの人だとは思えません。

戦争と平和の話の趣旨からの乖離具合を考えても、初期校ではそれほど戦争の話はクローズアップされていなかったのではないかと思います。そもそも、丸山眞男を引っぱたくのに戦争は必須ではありませんし。それが、編集者的には多分戦争の話がツボだったのか、"丸山眞男を引っぱたくための1手段としての戦争"をサブタイトルにまで格上げしてしまったので、逆に議論がおかしくなったのかな、と思います。もちろん、コピーとしては面白いですし、もしこれが本当に編集者の手によるものだとしたら会心の作といって良いように思いますが。

もちろん、この編集者が赤木氏自身の脳内編集者である可能性もありますが、そうだとしたら彼は相当に優秀な批評家になれそうですね。

今の閉塞した状況を描き出すことについてはなかなか説得力があるのに、最後の最後で議論を外してしまったように見えて少し残念です。ここまで正直に書いたのですから、変に戦争の話をクローズアップしないで、彼自身の他力本願な"破滅願望"をそのまま書いてしまった方が良かったのではないかなぁと。"戦争を選ぶことを躊躇しない"、という表現がありますが、そもそも"屈辱を晴らせる"ような名誉ある戦争を彼の選択によって行えるはずもないのですし。

Posted by: 馬車馬 | August 29, 2007 at 06:01 AM

はじめまして、復活おめでとうございます
#遅いですが(^^;;

私もこういう人を救うには

> 「私を雇えば御社の得になりますよ」
> と言えるだけのスキルなり資格なり評判

を教える教育の場を政府が設けるしかない、と思う。
今もあるにはあるんだけどだれでも通っちゃうような価値が無い資格が多いので
取っても意味無いんだよね。
でも厳しくすると救われない人がまたも多数出る。
どうにも袋小路。
なら政府は赤字まみれだからなにもしない、と言うのが最適に思えてしまう…。

#関係は無いけど昔ポリテクセンターでExcel VBAとAccessの講習を受けました。
3日間の講習と3000円くらいのテキスト込みで9800円とか信じられない値段でした。
でも受講者4人(^^;;
もっと宣伝した方がいいよなあ

―――――――――――――

でもこう言う話って実は古来ずっと続いてきたんじゃないかと思う。
持てるものと持たざるものの争い。
ただ今は持てるものがうまくなって、アメをうまく与えて安定させているのではないかと思う。
それで取り分が多少減っても多数をうまく形成する方が得だから。
(中世王族の当時を庶民と比べれば今など考えられないほど差があると思う)

けれどもやっぱり救われない人は出るわけで、戦後の日本はたまたまそう言う人が非常に少ない時期であったに過ぎないと思う。
(まあでも日本は西洋ほどは貧富の差が激しくなかった気もする)

Posted by: mastacos | August 29, 2007 at 11:09 AM

うーん、馬車馬さんは「編集者」とみますか。良心的ですね。私は赤城なる人物は脳内にしか存在しないという気がしてならないのですが...

なぜ戦争の話がクローズアップされているかというと、A紙系の人自体が「戦争か平和か」という視点に基づいてしかモノを考えられないからだと思います。

小泉・竹中的な構造改革は非常に大ざっぱにいうと日本社会をアメリカのような形にしていくことだと思いますが、その方が旧来の日本的なシステム(終身雇用)よりも、就職氷河期で不利益を被った世代にとっては一発逆転のチャンスが生まれてくるわけでもあり、そういった従来とは違う成功の形を具現化したのがホリエモンであった、だから支持されたわけですが、A紙系の人はそういったところに目をつぶり、あくまで戦争と平和という彼らの得意分野に話を持って行こうとするわけです。

Posted by: のびい | August 31, 2007 at 06:27 PM

問題は単純です。
「生存権を認めるか否か」
赤木氏は、もしこのまま推移すれば親が死んだら自分は餓死するか自殺するしかない、と分析しています。
しかし社会は、彼らの「リスク」を「ヘッジ」する気はないのですから、その餓死・自殺も「自己責任」とされるわけですし、救済は不可能です。
某少年漫画の台詞どおり「所詮この世は弱肉強食、強ければ生き弱ければ死ぬ」、「日本株式会社」が不要とする人材不良債権には公共の名において死を命じるべきでしょうか?

僕は「人は無条件に生存権を持つ」と信じています。
赤木氏もそれを求めているのでしょう…まあ少しはそれ以上、仕事をし、結婚して世間に恥ずかしくない一人前の市民となることも。

Posted by: Chic Stone | September 05, 2007 at 10:34 PM

mastacosさん、コメントありがとうございます。
私事のピークを乗り越えるのに精一杯でリプライが遅れました。#本当は1ヶ月前に乗り越える予定の私事で、これが遅れたせいで次のピークがもうすぐそばに迫っているのですが・・・

日本の場合、社員教育=電通マンを育てること、だったり、ホンダスピリッツを植えつける、だったりするので、効果的な社外教育というのが成立しづらいんだと思います。(この辺りは次回以降に)

緩やかな資格では誰も救われず、厳しい資格では落伍するものが出る場合、後者を選んで落伍する人を見捨てるのがマクロ政策としては正しく、それゆえにマクロ政策に救いを求めた赤木氏が救われることはありえない、と私は思います。もちろん、より効率的な再教育プログラム(宣伝手法も含めて)は追求していくべきだと思いますが。そういうの、厚生労働省はいかにも下手くそっぽい感じがしますねー。

社会が形成されて以降、そこに相対的な貧富の格差は必ず存在してきました。弱者への施しはそれこそ古代から王様や教会といった「勝ち組」から絶えず行われてきましたが、これは仰るとおり、自分に望ましい体制を維持するためですよね。

日本の場合、戦後に個々人のレベルでの富の蓄積がゼロからやり直しになったこと、それと世界的に見ても高い相続税が貧富の格差を目立たないものにしていたのだと思います。経済成長を遂げた今になって相続税を施行しようとして、金持ち=政治家から大反対を喰らって頓挫する例を見ていると、日本の相続税は国の宝だと思いますね。もっと厳しくしてもいいと思うのですが。(節税対策は山ほどあるので、バランスが大切ですが・・・)

Posted by: 馬車馬 | September 08, 2007 at 07:23 PM

のびいさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

読みが深いですね。それは考えていませんでした。それなら尚更編集者グッジョブ、ということかもしれませんが(今風に言えば、うまく釣ったな、と)。

後段の話については私も同感です。赤木氏のホームページで「続・~」が載っており、そこで赤木氏の文章に対するリベラルな論客の返答が紹介されているのですが、これが致命的なまでに話を読めていない。戦争と平和に無駄にこだわっていて、本質的な話は皆無であったようです。当然ここには編集部(朝日系列でしたっけ)の意向が反映されているわけですから、彼らのモノの考え方は明らかですよね。なんとも情けない話ですが、50歳にもなると違うモノの考え方は出来なくなるのかもしれませんね。そうなったら人を入れ替えるのが経営陣の仕事なのですが、彼らにそれを期待するだけ無駄でしょう・・・朝日に限らず。

Posted by: 馬車馬 | September 08, 2007 at 07:25 PM

Chic Stoneさん、コメントありがとうございます。

まず、親が死んで、かつ彼に最低限の所得を稼ぐ手段が仮に無かったとしても、生活保護を受けるという方法が残されていますから、彼が餓死することはないと思います(最近餓死した例がありましたが、それをもって生活保護という手段自体を否定するのは行き過ぎでしょう)。それで彼の尊厳が満たされるのかどうかは分かりませんが、心の問題は彼自身のみが解決できる問題であって、社会にはどうすることも出来ません。「自分の尊厳を守るために社会が動け」と言うのは傲慢でしょう。

あらゆる権利は社会によって認められ、成立します。生存権はそうして社会に認められた権利のひとつです。ですが、生存権の定義自体は極めて曖昧です。アフリカの最貧国と比べれば、彼の享受する生活は贅沢に属するものでしょう。日本においてはどうか?という点はもう少し議論が必要だと思います。赤木氏がこのまま生活保護を受ける身分になったとして、そのコストを支払うのは我々納税者です。我々は彼にどこまでのお金を支払うべきなのでしょうか?車?結婚費用?エアコンは?遊興費はどの位まで認められるべきか?Chic Stoneさんは彼のコストをどこまで負担することを望みますか?彼の尊厳とやらのために何万円を支払えますか?

彼らは、少なくともミクロな個々人のレベルでは、自分自身の選択の結果として今の境遇を得ています。彼らが遊んでいる間に頑張って勉強していた人たちや、生活の安定のために夢をあきらめて就職した人たちにとって、赤木氏の発言はどう響くでしょうか?納税者の大半は多かれ少なかれ何かを犠牲にして今の地位を得ています。その時、夏に遊びまくったキリギリスが門を叩いたとして、アリはキリギリスの生存権をどこまで認めるべきなのでしょうか?更に言えば、ここでキリギリスを助けてしまうと、来年世に出るキリギリス予備軍たちに「働かなくても何とかなるんだ」という間違った教訓を与えることになります。社会全体で見たときにそれは正しいのでしょうか?

むしろ寓話のとおり、キリギリスにはきっちり飢え死んでもらったほうがキリギリス予備軍を事前に救済できるかもしれません。赤木氏を見殺しにする(=ごく最低限の生存権しか認めない)ことで、我々は未来の赤木氏に勉強する動機を与え、真の意味で彼らを救うことが出来るかもしれません。今の赤木氏を救うことで若い世代に新たな赤木氏を作り出してしまうのと、どちらがより望ましいと思いますか?(もちろん、勉強しても一定数の「就職できない人」は生まれます。ですが、「働かずとも何とかなる」と思う人を放置すれば状況がもっと悪化することは自明ですよね)。

社会というマクロなロジックからは、赤木氏らを救済すべきという結論は出てこないと思います。だからこそ、マクロに救済を求めてしまった赤木氏は「救われない」のです。

Posted by: 馬車馬 | September 08, 2007 at 07:29 PM

直接知ってるのは欧州のサイエンス系の学生さんだけだけど「卒業して何ヶ月かぶらぶらしてから就職活動はじめるわ」とかざらでした。「2年間ブラジルでカソリックの奉仕活動してから先のことはその後考える」とかいう学生さんもいました(^^;
アメリカは言うに及ばず→ http://satoshi.blogs.com/life/2007/09/post-2.html
失礼ながら搾取階級(笑)であるところの金融エリートの狭い世間しかご存じないのかなという風に思いました。

Posted by: き | September 09, 2007 at 09:12 AM

返信ありがとうございました。
ただ、やはり赤木氏の側と、成功者の側には本質的にどうしようもない溝があるのか、という気がします。もちろん僕も両方の立場から考える努力はしてはいますし、返信についても正しい面が多くあることも理解できますが。

>彼が餓死することはないと思います(最近餓死した例がありましたが、それをもって生活保護という手段自体を否定するのは行き過ぎでしょう

今後数百万の団塊ジュニアフリーター・ニート層、加えて相当数の無年金団塊老人の生活が破綻することが予想されます。さらに財政再建・破綻の圧力、エネルギー・食料・環境問題(文明崩壊問題)などもあります。
生活保護制度などが現状の延長で、ある程度以上の経済的な破綻が起きれば、生活保護が事実上存在しなくなり百万単位の餓死者・自殺者が日本にも発生する可能性は低くないでしょう。
赤木氏らにとっては、北九州市の餓死事件は他人事ではなく、明日の自分なのです。

>Chic Stoneさんは彼のコストをどこまで負担することを望みますか?彼の尊厳とやらのために何万円を支払えますか?

クーラーは生存に必要です。
また、地域奉仕を中心に、無給に近いフルタイムでない仕事に半強制的に動員してでも仕事を与える必要はあるはずです(介護などでは今後大量の労働を必要とされます)。何らかの仕事があれば社会とのつながりも実感でき、出会いのチャンスもあり、就職できる可能性も高まるでしょう。
確かに金で彼が求める「結婚し、子供を育て、一人前の社会人として認められる」レベルの生活を保障するのは困難でしょう。
でも金しかないとは限りません。

>アリとキリギリス
赤木氏らの現状の本質が「椅子取りゲーム」であること、皆それなりに努力したにもかかわらず(赤木氏は学校には行きましたし、アルバイトも勤勉にこなしています)何割かが蹴落とされることを理解しながら、それにも「アリとキリギリス」を当てはめるのは僕は残酷に思えます。
赤木氏も『念のために言っておくが、私は「努力」などという、結果から遡及してはじきだされた、彼らに都合がいいだけの言い分を認めるつもりはない。』と、「椅子取りゲーム」の側を強調し、「自己責任論」には強い憤りを表現しています。
あくまで…「椅子取りゲーム」の面から自覚的に目をそらしてまで「アリとキリギリス」「自己責任論」によらなければ…赤木氏らに対し、「努力しなかった」という烙印までつけ、人間性をも否定して踏みにじらなければ維持できない世界には、僕も激しい憤りを感じます。
もちろん僕が考えている解決は、赤木氏とは別ですが。

また、赤木氏らを見殺しにすることによって次の世代がいっそう努力しても、「椅子取りゲーム」の本質には変わりないでしょう。

どうすれば尊厳を無条件に与えることができるのか…赤木氏は、「嘘と知りつつ」右翼の「日本人男性としての尊厳」の可能性を、むしろレトリックとしてほのめかしました。
しかし赤木氏は本音としては、無条件のベーシックインカムと社会が何らかの仕事を割り当ててくれることを求めているのでしょう。

Posted by: Chic Stone | September 09, 2007 at 10:34 AM

すみません、少し未整理で投稿したようです。
連続長文投稿の与える不快感も理解しています。申し訳ありません。

まず赤木氏の要求を整理します。
「自分達の現在の苦境はマクロ的要因による(これは正しい)」
「現状の格差に対する償いを要求する(これは無茶)」
「最低限の生存」「結婚できる生活」「社会的名誉の回復」(どうやって?)

それに対し、社会は「努力の動機付けが必要」だから赤木氏ら「椅子取りゲームの敗者」に
「努力しなかったキリギリス」というレッテルを張り名誉も奪って生存ぎりぎりに
追い詰める(または餓死させる)ことが必要、と分析されています。
ただ両者とも、「努力していない」者と「(ある程度)努力したが報われない」
者を区別していないように思える点が共通しているように見えます。

福祉を削って規制を緩和し、経済を成長させれば「努力していない」と「努力が報われない」
を分けて前者を罰し後者に報いることができる…でしょうか?
好景気が続いていても、勤勉なフリーターを採用する企業がないこと、
経済システムが一部成功者に富が集中するシステムになっていることが
反証だと思います。

また、富の集中は努力の動機付けにも悪影響があります…音楽業界を比喩に用います。
音楽業界が求めることは「多くの人が努力して音楽業界に参加しようとする」ことです。
それに対し、全員に同じ報酬を与えたら誰も努力しません。
反面、現状のように格差が激しくなりすぎ、上百分の一の努力した者の、さらに千分の一が
巨大な成功を収め、他は生活もできないシステムだと「成功した奴はお偉いさんと寝ている」
と信じられるようになり、また食えないからと親が音楽に進むことを止める圧力が強まり、
逆に努力の動機付けが弱まることにつながります。

「適度な努力は常に報われる」保証…山田昌弘氏の立場…が必要ではないでしょうか。
ただし、社会の趨勢としてはますます、ビル=ゲイツ氏を初め少数の成功者が
全ての果実を独占し、「適度な努力」程度では何も得られない経済構造に
なりつつある気がします。そしてそれは、上の例のように努力への動機付けを
弱める弊害があるのではないでしょうか。問題は、それが技術革新による…
音楽で、レコード以前はどこのカフェも楽団が必要だから多くの音楽職があったが
今は安価なCDがあるので最も成功している音楽家以外報酬を与える必要がない…ことですが。

また、赤木氏への生活保障が努力への動機付けを弱めるという批判ですが、
それは現行の生活保護制度を前提としているからです。
また餓死の恐れが強まっているのも、批判すべきなのはむしろ現行の生活保護
制度(親族扶養義務を含めた)でしょう。
生活保護制度を、給付を受けつつ働いてよりよい生活を追及できる
ベーシックインカム制度にすれば、たとえその代償としての増税などがあっても、
多数の人間を犠牲者にせず社会を安定させるプラス面があるのではないでしょうか。
その財源面の批判と、金だけで尊厳は得られないという問題に対して、僕は社会が
必要とする様々な仕事にフリーター・ニート層を動員することを提唱しておきます。

まとめると、僕自身の要求事項はまず絶対的な生存保障です。
そして全員を保証する結果の平等と、努力しても報われない者からも名誉さえ
奪って餓死に追い込む弱肉強食の両極端を拒否し、別の方向のシステムで
全員に仕事と「機能する機会の平等」を与えることを提唱します。

Posted by: Chic Stone | September 09, 2007 at 02:23 PM

>アメリカは言うに及ばず→ http://satoshi.blogs.com/life/2007/09/post-2.html

のリンク先の内容に失望しました。リンク先に出ている例は日本でも実現している人はいるだろうし、別に不可能な例でも何でもないと思います。むしろ世間が狭いのは、こんな戯言を聞いて「アメリカすごい日本だめ」と思えてしまう見識のない人のことではないかと。
結局、がんばらないでもそこそこいい目を見させて欲しいという我が儘にしか見えないんですが。本当に外の世界を見る根性もなくて、喚いているだけなんじゃないかと思ってしまうのはいけないことなのでしょうか。
親の貧乏が子に引き継がれてしまうのは問題だけれども、現状を否定しつつも何もしない大人の言うことなんて聞きたくもない。。。

Posted by: k | September 13, 2007 at 12:57 PM

き さん、コメントありがとうございます。

もちろん、卒業から就職まで一定の期間を置くことは「可能」です。特に西洋ではその手の選択は日本に比べて容易でしょう。(そもそも、NEETとはそのような人たちをさす言葉でした)

ですが、アメリカでもイギリスでも、大多数の新卒学生は同時期に就職活動を行い(そもそもJob Fairに参加しなければ就職の選択肢はかなり限定される)、同時期に就職します。日本と違って入社式は無いケースが多いですし、数ヶ月の時期の差は許容されるケースはあると思いますが。そもそも、そうしなければ新入社員を効率的に集めることも、彼らに対する教育を効率的に行うことも出来ません。

人とは完全に違う時期に就職する人は、新人向けのトレーニングを必要としないだけのスキルを既に身に付けているか、または一定のハンディキャップを覚悟している人が中心だと思います(後、何も考えていないお馬鹿さんもいるでしょうが)。これは別に金融業に限った話ではありません。「一般的に」学生たちが似た時期に就職するのは、少なくとも「資本主義的社会」の典型例と言われている英米において間違いの無い事実です。大体、皆似たような時期に卒業するわけですから、似た様な時期に就職するのはアンフェアでもなんでもないと思いますよ。

Posted by: 馬車馬 | September 14, 2007 at 08:39 AM

Chic Stone さん、コメントありがとうございます。私も長文はよく書きますので、お気になさらず。

まず、努力が報われる保証を、という点ですが、私はこれは不可能であるだけでなく、不適切な目標であると思います。もちろん、万人の努力が等しく報われるならばそれはそれで結構なことでしょうし、私の人生も随分楽になったと思います。ですが、天才がひらめいたその一瞬と、凡才である私の1年間の努力と、どちらにより価値があるかは自明です。適度な努力どころか、過度の努力をしたところで、無能であったり不運であったり努力の方向を間違ったりすれば、その努力は社会に何も生み出しません。そのような努力は報われるべきでしょうか?それぞれの人間はそれぞれの為した成果によって報われるべきであり、努力そのものに報いようとするのは悪平等というべきだと思います。努力の積み重ねは人間の価値を高める重要な一要素ではありますが、全てではないのですから。

残念ながら、自分に努力の成果を保証する能力や運が備わっているかどうかは、努力してみなければ分かりません。それはビルゲイツ氏ですら同じだったはずです。「報われる保証が無いから努力しない」などというのは、少なくともミクロなレベルでは、唾棄すべき甘えでしかありません。私の目の前にそんな人間が現れたとしても、一片の共感を感じることも無いでしょう。一方で「報われる可能性がゼロだから努力しない」というのは、それが正しい現実認識であるという仮定の下では、社会問題になりえます。それはそもそも機会が与えられていないことと同義だからです。しかし、私の知る限り、いくつかの特殊なケースを除いて、努力が完全に無駄に終わることが事前に明らかになっている人は少数であろうと思います。もちろん、今の私がプロ野球選手を目指しても無駄なのは明らかです。しかし、私にも「努力すれば報われる」キャリアパスは恐らく存在し、もし私がそのパスを正確に選択できたなら、私はこの社会で生き延びることが出来るでしょう。その選択は間違いなく自己責任です。その選択を誤ったからといって社会に助けを求めても、誰も応えてはくれません。誰もが同じ条件で自分の人生を選択しているのですから。

そして、当然のことながら、不幸にもいかなる努力の成果も期待できないことが自分自身の選択の外側で決まってしまっている人に対しては、社会はサポートしていかなければならないと思います。それ以外の人たちをどこまで税金でサポートするかは国民の判断によります。強制労働という話ですが、とりあえずその合法性はさておいても、給料がもらえない人に政府が仕事を与えるという点では公共投資と経済的にはイコールであり、そのために税金が必要である点も同じです。その税金を誰が出すのか?国民にその負担を要請する合理的な理由は何か?私には答えが見つかりません。社会が安定する、との話ですが、現時点では赤木氏の代表するグループは社会において圧倒的少数派であり、かつ現状は好景気で彼らの予備軍も少なくなっているわけで、彼らが社会の不安定要因になっているとは思われません。だからこそ、やるなら暴動を起こす覚悟でも決めるべきだ、と書いたのです。

結果に恵まれた人間が富みすぎるというのは日本に限らず、古今東西どの社会にも存在した問題です。そもそも、どの水準を持って「富みすぎる」と考えるのか、その水準が明らかでない以上、解決できない問題でもあります。分配が偏りすぎると社会不安が醸成され、暴動やら革命やらが起きたりする訳ですが、過去の歴史では、暴動がおきたりするのは分配の過度の偏りが世代を超えて固着してからであり、現状の日本がその状況に近づいているとは思われません。所得の分配がどの程度まで行われるべきかは分かりませんが、私は、その「程度」をぐだぐだ議論するよりも、世代間の分配を推し進めるほうが良いと思います。相続税を更に強化するとか。

Posted by: 馬車馬 | September 14, 2007 at 08:40 AM

k さん、コメントありがとうございます。

なぜかは知りませんが、この格差の話はミクロな例を枕に出してマクロを語るという手法がおおはやりですよね。全く意味が無いと思うのですが。

中途採用が容易な社会が望ましいという話のようですが、これには当然マイナスの要素もあるわけで、そこを無視して議論してもただの「いいとこどり」でしかないんですよね。過去の経歴を問わないということは、その会社での過去の実績も必ずしも考慮されない(景気が悪くなれば、勤続20年でも能力がイマイチな人間はクビになる)ということであり、そういう社会を彼は望んでいるのでしょうか。文章からはあまりそういう志向のある方とは思えないのですが。

格差の相続が問題であるという点は私も同意です。少なくとも、金銭に由来する格差くらいは、相続税や奨学金でもう少し解消する努力があってよいと思います。

Posted by: 馬車馬 | September 14, 2007 at 08:41 AM

どうやら平行線の部分が大きいし、僕の言語力・認識も低すぎるようなので、あとは読者に考えてもらいたいです。ありがとうございました。

僕は「結果平等」ではなく、「最低限の保障」しか言っていません。
音楽のたとえで言えば、「上百分の一の一定の実力がある人(努力していない天才も含め)は音楽で食ってはいける」状態です。運のいい人が大金を稼ぎ、格差があることは否定していません。
同じことでしょうか?
結果平等と弱肉強食のオールオアナッシングではなく、適切な線を探ることはできないでしょうか?最初に「生存権を認めるか否か」と二項対立を出したのは自分ですが。

>「報われる保証が無いから努力しない」などというのは、少なくともミクロなレベルでは、唾棄すべき甘えでしかありません。

赤木氏らの世代および(より未来にとっての害が大きいと思います)私立学校に行けない子供達にとっては「どの方向の努力も期待値が低すぎる」という相当合理的な判断でもあるのです。報われる可能性が低くなりすぎることが努力の動機付けを弱めることは真であり、責められないはずです。
そしてこれからの時代は歴史の流れレベルで、一般に努力が報われる可能性が低いのです…少数の中核労働者、あとはロボットと途上国の最貧層と低賃金競争をする未熟練労働者となり、これまでのように大量の熟練労働者や中間管理職を必要しないのですから。

報われなくともどんどん狭くなる門に向けて努力せよ、報われなければ「努力しなかった」という非難も甘んじて受けつつ餓死せよ、というのならばあまりにも「社会の要求に対する忠誠」が強すぎませんか?
また正しい方向に努力せよ、というと、たとえば音楽業界は衰退しても仕方がない、ということになります。もちろん過剰な補助金産業はマイナスが大きいでしょうが、程度問題では?
市場に文化・学問・産業そのものの盛衰まで、歴史的なレベルでの必要さえ無視して選別させるのは危険ではないでしょうか?

また、仕事(と食)を与えるのが本質的には公共事業だというのはおっしゃるとおりですが、それをしないままで多くの人が能力を開発されずじまいなのは、原理的には義務教育廃止と同様に社会にとってマイナスが大きいのでは?
赤木氏らの、高等教育を受けながら職能を開発されずに腐っている人間集団は、巨大な艦隊や工場設備が錆び朽ちているようにさえ見えます。その無駄になった学費の総額を戦艦や工場で想像してみましょう。
ここで、「企業は仕事によって身につけた技能しか評価しない」という前提があります。
それについては合意が得られるでしょう…だから仕事を与える必要があると僕は提言しているのです。同時に多くの人には仕事が尊厳になるだろう、というやや温情主義的に赤木氏の求めに応えようとした面もあります。
特に介護や農業のように大量の高い能力を必要としていながら慢性的な労働力不足に悩み、単純な市場化では社会にとって必要でありながら衰退が避けられない分野もあるのですから。

最後に。赤木氏らの世代は少数ですから、低賃金未熟練労働力が必要なうちはこき使い、使えなくなったら「努力しなかった」とレッテルを貼って自殺させれば社会は安泰でしょう。
暴動をおっしゃいますが、社会はあらゆる手段で暴動を事前に抑え込み、絶望を深めることで自殺を強要するでしょう。
でもそんな世界は生きるに値しますか?

Posted by: Chic Stone | September 15, 2007 at 11:56 AM

議論を終了する旨、了解しました。どうもありがとうございました。以下、私のほうからは思うところを書いておきます。(すれ違いを避けるため、これでもかという位にしつこく書いています)

うーん、その「最低限の保障」の話と、報われるべき努力の話とはどこかで繋がるのでしょうか?それから、最低限の保障とは現状の生活保護で十分なのではないでしょうか?それとも、一部ヨーロッパ諸国のように、もっと寄越せという話でしょうか? 上で「将来的に今の生活保護を維持できるはずが無い」ことを前提に「(生活保護のシステムがあったとしても)現状は問題である」という立論がありました。しかし、この維持不可能性を前提とするなら、そもそも彼らを救済する能力が政府に無いということにあり、Chic Stoneさんが一体誰に向かって「彼らを救え」と言っているのかわからなくなります。この最低限の保障とは何であるのか、まず定義を明確にしないと議論は進まなそうですね(例えば、アメリカ型とか、ヨーロッパ型とか)。私にとっての最低限の保障の定義とは現状の生活保護です。

富める者から貧しき者への所得の移転は社会の維持に必要なものであることは事実で、現在の日本でも行われています。そして、現状が富める者へ偏っているのか、その逆なのかは両方議論があり、決着はしていません。個人的には、アメリカとヨーロッパの真ん中辺でなかなかうまくバランスを取っていると思います。労働者の権利を過度に保護したヨーロッパで何が起こっているかは最早説明するまでも無いでしょう(昔ブログでも書きました)。Chic Stoneさんが「富める者の所得をもっと分配せよ」と主張するなら、現状が何故問題で、貧しき者へと所得移転をすることでそれがどう解決されるのか、説明する必要があると思います。私の側からは過度の所得移転はインセンティブの問題を引き起こすこと・現状社会不安を巻き起こすほどの格差は存在しないことを指摘してありますし、欧州での単純な労働者保護がどれだけ「負け組」を苦しめる結果になったかも昔のエントリーに書きました。

『どの方向の努力も期待値が低すぎる」という相当合理的な判断でもある』というご指摘には断固反対します。この少子化の時代に、上位校に入るのはどんどん簡単になってきています。別に私立進学校に行かなくとも、能力があり努力をすれば旧帝大に入ることは10年前に比べればずっと簡単です。もし奨学金の資金規模が変わっていないなら、奨学金を得ることすら比較的容易になっています。一体どのような根拠で『これからの時代は歴史の流れレベルで、一般に努力が報われる可能性が低い』という結論を導かれたのでしょうか?(熟練労働者や中間管理職が近い将来必要とされなくなるという根拠はあるのでしょうか?これはかなり突飛な発想に見えるのですが、Chic Stoneさんのオリジナルの考えでしょうか?)Chic Stoneさんのご機嫌を害することを覚悟の上で敢えて申し上げると、それぞれの議論で根拠の無い現状認識・将来予測がぽんと挿入される傾向があり、その辺りは読んでいて少し混乱します。

そもそも、「とりあえずいい大学に入ればよほど運が悪くてもそこそこの企業に就職できる」「その”いい大学”に入るのはどんどん簡単になっている」日本において努力の意義を見出せないというのなら、世界中の人たちのほとんどは努力の意義を見出せない環境にいると思うのですが。若年失業率が非常に高い中国韓国の学生は何故あれほど勉強しているのでしょうか? 彼ら中韓の学生は「努力したってどうにもならないよ」などとのたまう日本の生徒をどう見るのでしょうかね。もしChic Stoneさんの言うとおり、日本の若者が努力の意義を見出せていないのだとしたら、これこそが「若者の質の低下」の証左であり(これは社会にとって深刻な問題です)、いかに彼らの尻に火をつけるかが真剣に議論されてしかるべきだと思います。また、そのような感じ方をさせるに至った教育システムに問題はなかったかも議論されるべきでしょう。

むしろ、競争率の低下に伴う日本の高等教育の質の低下こそが今後は深刻な問題となり、能力と親の金に恵まれた生徒は必死に勉強してどんどん海外の大学(日本に比べて授業料はずっと高額です)へと進学するようになるかもしれません。そしてアメリカの一流校卒の人間が日本企業でも当たり前になったとき、赤木氏は今度は「貧しいものはせいぜい東大どまりだ。俺たちにもハーバードへ進む権利を」と叫ぶのでしょうか。ここでまた上の「最低限とは何か」の議論に戻りますが、一体どれだけ与えられたら彼らは満足するのでしょうか?

門が「どんどん狭くなる」という前提条件の根拠が見えないのですが、それを措くとしても、結果が出せなければ「もっと努力しろ」と言われるのはどこの社会でも当たり前です。今この瞬間にも、営業成績の上がらないどこかの国のサラリーマンがそう叱られているはずです。努力の量は他人には見えません。もしかしたらそれは不運や無能のせいであるかもしれないのですが、それを努力が足りないせいにしがちなのは、むしろ上司の温情というべきです。もし成績が上がらないのが無能であるせいなら、その社員は即クビですから(どれだけ努力しても会社に損失を与えるなら、首にするしかありません)。『歴史的なレベルでの必要』は意味が分かりませんでした。

彼らの人的資源が無駄に浪費されている(もっと生産性の高い仕事が出来るはず)、それは社会にとってはマイナスであるという指摘には賛成します。彼らがより生産的な人材へと生まれ変われるならば、社会(納税者)に一定のコストを支払うよう要求するのは筋が通っています。但し、ここで問題なのはコスト・ベネフィットです。前のコメントで書いたとおり、彼らをより生産性の高い人間へと変えていくにはコストがかかります。厳しい見方になりますが、10年前に「他の9割よりも潜在性が低い」と見切られ、その後もキャリアアップの機会に恵まれなかった人たちに再教育のコストをかけて、満足のいくリターンが得られるのでしょうか?そのコストを新卒の就職浪人しそうな1割に振り分けたほうがリターンは高いかもしれませんし、極端な場合、海外移民を教育したほうが社会にとって有利なケースすらありえるかもしれません(後者は私は反対ですが。理由は別の機会に)。だからこそ、エントリーに戻りますが、マクロな社会に頼ろうとする限り、彼らは絶対に救われないのです。

>でもそんな世界は生きるに値しますか?
質問に質問で応えるやり方(しかも、論理的でない返し方)は余り好きではないのですが、議論のすれ違いを避けるために敢えて。Chic Stoneさんは、日本よりも遥かに報われがたい環境で、それでも成功するために必死に頑張っている人たちに向けて、その質問が出来ますか?

赤木氏も、今「勉強したってしょうがない」とか言っている彼の予備軍たちも、外から見れば只の甘えん坊にしか見えないという点についてもう少し自覚的であってほしいと思います。私は何よりもこの風潮にこそ、日本の危機を感じます。

Posted by: 馬車馬 | September 16, 2007 at 10:13 AM

マクロ的に救う理由があると認められているのに、最終的な結論は『甘えるな』といわれては、そりゃ不満の一つでも言いたくなるでしょう。それにその不満さえ表現しない(というかあきらめている)人もいるわけですから、赤城氏はむしろ積極的なのでは?特に景気がよくなると労働問題は忘れる傾向にあるので、声を挙げることは重要だと思いますけどね。まぁ、もし戦争が起こっても赤城氏はいじめられる側でしょう。なんせ今戦争が起こって、赤城氏が戦争に参加してもそれこそ『2等兵』ですから。結局スキルがなければ、何が起ころうと成功はしないでしょう。でも、赤城氏が甘えているのと、赤城氏の様な立場の人間を減らすというのは分けて考えないといけないと思います。
なので、馬車馬さんが文中で言及している『再教育制度の充実(とその広報)』と『それにかかるお金の工面』を詰めれば、それがマクロ的な対策になるのでは?労働政策研究・研修機構のデータでわかりますが、職業訓練に行く人と求職活動を熱心にする人には、相関関係がありその結果として就職において差があるみたいです。こういうデータを見てると、努力は報われるんだなぁと思うんですが、こういう情報ってあんまり新聞には載らないですよね。後、資金面では日本では少ない寄付金関係の充実(税制面の優遇とか)でいけると思いますよ。日本は個人の寄付率が少なすぎるし(GDP比0.04%くらい?)。
しかし、この手の話題は参加しやすいけど、結論が出ないですよねぇ。環境問題とかもそうなんですが、工学みたいに実験はできないし、シミュレーションしにくいですからね。そのうち、政治経済積分法みたいな政治工学ができたら、面白そうなんですが。

Posted by: 元理系学生 | September 16, 2007 at 11:56 PM

ありゃりゃ、赤城じゃなくて『赤木』さんですね。人の名前間違えてすいません。

Posted by: 元理系学生 | September 17, 2007 at 12:00 AM

赤木氏のHPには他の記事もあるのですね。やっぱり実在する方なのでしょうか。

馬車馬さんとChic Stoneさんの議論を読んでいてかなりちぐはぐなものを感じました。恐らく現状認識がかなり異なっているのだと思います。人生違えば仕方がないのかなとも思いますが。

まず馬車馬さんの認識で事実関係と異なるというところを挙げますと、就職氷河期のピークは10年前ではなく、わずか数年前の、ITバブル崩壊後の時期で、90年代前半までであったら大企業に就職が確実であった名の通った大学の卒業生でも零細企業にしか就職できなかったケースはざらでした。また9割の人は就職していると言いますが、仕事はあっても派遣やアルバイトなどの形で低待遇を受けているケースは非常に多く、赤木氏のようなケースが1割未満の少数者の現象であるとはとても思えません。

つまり馬車馬さんも認めてらっしゃるように、ある世代が就職市場においてマクロ的な理由から不利益を被ったという事実はあります。
馬車馬さんのおっしゃるような現在の方が旧帝大にに入りやすい等はまた別の問題だと思います。バブルの頃の方が上位校に入るのは難しかったかもしれませんが、「大東亜帝国」といった大学でもいい就職口があって人気を博していたらしいですから。また、ここ2年くらいはまた就職は売り手市場になっていると聞きます。

そして、途中で欧米との比較で言えば日本に比べて年齢が再チャレンジのハンディになりにくということはあるかと思います。

ただ、これがなぜそうなのかといえば、日本の伝統、すなわち終身雇用、年功序列を前提とした会社主義、ということになるのではないでしょうか。大陸欧州の場合は高等教育に費やす年数が多いということもありますが、米国の場合、そもそも転職が当たり前の社会です。日本のように会社で人を育て、また定年までいてもらう、というのを前提に考えますと、年齢が高い人を採用した場合にはそれだけ残りの期間が短い、また年を食った「部下」は座りがわるいということになりますが、恐らく欧米においてはそういったハンデは少ないのではないでしょうか。

私は赤木氏の文章にほとんど共感しませんが、それは彼の置かれている状況が理解できないからではなく、彼はそもそも何にも「チャレンジ」すらしていないからです。

彼の不満の内容も人と比べてどうか、人からどう思われるか、といった極めて横並び意識に満ちたものですし、解決のために何ら努力をしておらずひたすら受け身であるだけです。尊厳とは自分で作り出すものです。
でも確かに、赤木氏が「もう俺はダメだ」という気持ちにさせてしまうようなそういった漠然とした社会の空気はあるのかもしれません。
日本の地方で暮らしていて、かなりちゃんとした仕事も持っている知人が日本の将来に全く希望が持てないと言ったりするのを聞くとそう思います。

しかし、日本は格差が少なく、受け身的でも周りと同じような行動をしていれば世間並みの暮らしができる、という社会(バブル崩壊まではまさにそうだったのでしょうが)はそろそろ終わりになり、これからは恐らくややアメリカ寄りの流動性の高い社会に移行しつつあると思います。

政府がなんとかしてやるというよりも、赤木氏でも「自分でもチャンスがあるかもしれない」と思えるような社会こそが目指されるべきではないでしょうか。就職氷河期というのは確かに不運ではありますが、元々全ての人間は不平等にできており、運不運もつきものです。

先の選挙で某泡沫候補が「日本とスーダンを同一経済水準にする」という公約を掲げていましたが、日本に生まれたという事だけでも随分スタートラインとしては恵まれているとおもいます。
日本でも、わずか数十年前に生まれていたら学徒出陣で特攻しなければならなかったり、頭の上に原爆が落ちてきたかもしれません。

Posted by: のびい | September 17, 2007 at 06:09 AM

元理系学生さん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてすみません。現在第何次かの支持の山に突入しておりまして、週末すら時間が余り取れない状況にありまして・・・。

私のエントリーの肝(乃至は、トリックといったほうが正確かもしれませんが)はマクロの視点とミクロの視点を分けている点にあります。マクロな観点からは不景気の犠牲者であったとしても、まさにその時期、同じ厳しい状況を潜り抜けた人間にとっては、やはりそれは甘えにしか見えない、という視点は当然存在すると思います。そもそも、古今東西、若年失業率がゼロになった時代は恐らく存在しません。つまり、彼らがマクロなレベルで犠牲者であることは事実であっても、それは彼らがこの社会で特に救済されるべき例外的な存在であることを意味しません。毎年毎年、競争に敗れて社会人キャリアの最初の一歩を踏み出し損ねた人間は存在するのです。赤木氏の世代はその人間の数が少し多かったに過ぎません。更に言えば、赤木氏の所属する「不幸な世代」ですら、世界的に見れば相当に恵まれた環境であったわけで(フランスなどでは若年失業率が3割くらいだった時期があったはずで、中国では好景気の今ですら2割近くが失業しているはずです)、彼らから見れば(これは同じ競争を戦ったという意味でミクロの視点です)赤木氏の「不満」はやはり甘えでしかなかろうと思います。

彼らは不運ではありますが、その程度の不運は世の中にありふれているのです。

そして、それについて赤木氏が不満を述べるのは自由です。ただし、本文で書いたとおり、それによって今後社会に出る人間に対して何らかの貢献はありえるとしても、彼ら自身への救済へつながる可能性は非常に低いと思います。赤木氏の文章を見る限り、「とにかく自分を救済してほしい」という要望が強いように見受けられますので、これでは彼は救われたとはいえないでしょう。であれば、見当違いの方向に不満を述べるよりも生産的な時間の使い方があるはずです(もちろん、もう一歩下がってみれば、彼は自分の不運もネタにして原稿料を稼ぐたくましい人間であって、その観点からは彼一個人に救いなど必要も無いのですが)。

政府の最終目標の一つは失業の解消であり、赤木氏のような人を少しでも減らす努力を忘れてはならないというのはおっしゃるとおりです。ただし、ここで政府に可能なのは赤木氏のような人がこれから生まれてくることを少しでも防ぐことであり、赤木氏の境遇にある人を救うのは現状非常に困難であろうと思います。もちろん、再教育制度に予算をつけてみたりして「救う振りをする」ことは幾らでも可能です。ですが、30を大きく過ぎた人間を再教育して20代前半の人間に伍するだけのスキル・体力・将来性を与えるのは非常に困難ではないかと思います(これは、マクロなレベルでは困難だ、ということです。「赤木氏のような境遇の人」とひとまとめにしましたが、彼らは相当程度にバラエティに富んだ多種多様な人材です。彼らを一律底上げするようなカリキュラムを組むのは困難を極める作業だと思います。もし可能だとしても、それにかかるコストはどうかという問題もあります。)。正直、5年ほど前の求職者向け職業訓練の話を聞いていると、広報だけで何とかできる問題だとは思えません(しつこく書きますが、個々の求職者の中にはこの訓練によって救われる人もいると思います。それはミクロなレベルでの議論です)。そもそも、現時点でも職業訓練にはそれなりの予算が付与されているわけで。

経済学もコンピューターシミュレーションを使う話は最近結構流行っているそうですが、どれだけ「使える」話が出来るのでしょうかね(政治経済積分法ですか。人口全体の値域の上になんかの関数(測度?)を定義してそれがどう収束するかとか・・・そういう話でしょうか?どうも数学は良く分かりません)。どうでもいい話ですが、最近アメリカでは政治学は完全にゲーム理論家に乗っ取られ、哲学をやっている学生は肩身が狭いそうです。

Posted by: 馬車馬 | September 24, 2007 at 09:41 AM

のびいさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてすみません。今後はしばらくコメントも週末にしか書けなくなるかもしれません。

現状認識が違うというのはあると思います。ちょうど先日、よっぽど不運な話を聞いたばかりですし。先日アルジェリア系フランス人と話す機会があったのですが(一流大学で修士まで取った大変優秀な人)、彼女に「フランスで就職する気はなかったの?」と聞いたら、「アルジェリア系はフランスでは職が無い」と言われまして・・・。ブルーカラーとかバンカラなレベルで差別意識が顔を出すのはどの国でもあることですから、それは特に不思議に思わないのですが、有名大学のマスターまで持っていて差別も無いだろう、と言ったら、「むしろ上に行けばいくほど差別は強い」と言われました。これもまた「不運」であり、社会に不当を訴える正当な理由があるわけで・・・。それと比べると赤木氏の主張は正当ではあっても、社会にとってそれほど優先度の高い主張だとも思えないわけです(これは私の個人的な感情に過ぎませんが)。まぁ、日本とフランスのケースを直接比べても意味が無いことは重々承知してはいるのですが。

なるほど、氷河期のピークは2003年ごろだったのですか(その割に若年失業率は余り上がっていなかったので気がつきませんでした)。たしかに、フリーターやパートの数は2003年ごろに上昇していた気がしますね。ただし、それなら25歳前後で景気が良くなってきていますから、それほど大きな問題にはなっていないと思いますが。30を過ぎていると色々ときついですが、25歳前後であれば幾らでも職はあると思います(もちろん、ある程度の競争が不可避なのは当然ですが)。その意味で、社会全体に対するインパクトは小さいようにも思います。その意味で、赤木氏は頼る価値の無いものに頼っているように見えるのです。

もちろん、彼らがバブル期の人たちの比べて不運なのは全くそのとおりですし、そのことに不満を訴えるのもまた自然ではありますが、社会の側に彼らを救済するインセンティブは小さいように思います。欧米と比較してのハンディキャップもおっしゃるとおりだと思いますが、そもそも欧米のほうが状況が厳しいわけですし。

国民に希望を与える政策というのは難しいですよね。そもそもどのような希望が良いのやら。多分、バブルに踊っていた頃の日本人も希望に満ち溢れていたと思うのですが、不動産バブルを前提にした希望が果たして健全といえるのかどうかも疑問です。希望というのは政府が与えられる代物ではないような気もします。坂口安吾ではないですが、とことんまで落ちきったところから日本人は這い上がってきたわけで、それはつまり希望というのは必ずしも周りの環境に左右されるものではないことを意味していると思います。そもそも、「チャンスがなさそうだから努力しない」という発想自体が私はどうも好きになれませんもので。チャンスって、努力していると思いもしない方向から転がってくるものだと思うのですが。最初からチャンスの所在が明確になっているのは大学受験までだと思います。

Posted by: 馬車馬 | September 24, 2007 at 09:42 AM

こんばんは。池田信夫氏のブログから飛んできたイナゴです。

ちょっと気になったところがあったので一点だけ質問させて下さい。
本文の注1の「就職氷河期といわれた10年前ですら若年失業率は10%以下である。残りの9割はちゃんと就職しているのだから、不景気という不運だけが氏の苦境の原因ではないことは明らかだ」ということについてですが、当時から赤木氏はフリーターとして働いていたのですから失業者とはカウントされずに残り9割の方に分類されていたのではないでしょうか?
当時、9割の人間が正社員になっていたという認識に誤りがあるように思えるのですが、いかがでしょうか?

Posted by: 通りすがり | September 27, 2007 at 01:36 AM

馬車馬さま

アルジェリア系フランス人の方の話は興味深いですね、と言いますのもアメリカでそういった差別をやれば差別した側が社会的地位を失うのが通例です。特に社会的階層が上に行けば行くほどその傾向は顕著です。以前ダラスカウボーイズのHCが日系人差別的な言動をしたと言うのが騒ぎになりましたが、日本人の自分からしてもたったそれだけでか?と不思議に思うほどでした。
原因を考えますと、フランス人の社会主義びいきの競争回避があるんじゃないでしょうか。つまり機会均等であれば肌の色や出身地は問われません、いかに有能かが問われます。そして競争が激化するほど部下や同僚や上司に有能な人間が欲しくなるのは洋の東西を問わないでしょう。この辺サルコジさんがもっとも変えたい部分だろうと思いますが。

国民に希望を与えるというのは端的に言って、絶望の逆だと思います。つまり韓国や中国のように私財没収を恐れて北米に逃げ出すような国家の逆をやればいいんじゃないでしょうか。青色LED開発者が奴隷と言われるような国とビル・ゲイツのような人物を生む国とどちらが希望があるかは一目瞭然に思えます。

Posted by: SLEEP | September 27, 2007 at 06:27 PM

通りすがりさん、コメントありがとうございました。

不正規労働者が彼が就職したであろう90年代後半に恐らく(タイムトレンドから類推して)10%ほどいたことは事実です。ですから、「9割が正社員」という表現だとこれは確かに誤りになります。ただし、ひとつ重要な点は、不正規労働者は大半が主婦のパートタイムや学生のアルバイトであって、失業を避けるための消極的就職の割合は実はかなり少なかったことが以下の統計から分かります。少なくとも、赤木氏の世代では全体のせいぜい1割強です。就業者に占める非正規労働者の割合が当時1割強であったことを考えると、就業者全体に占める「やむをえない非正規労働者」の割合は1%程度に過ぎません。ですから、より正確を期すならば「残りの89%」という表現が正しいかもしれませんが、もともとの表現自体が大雑把なものですし、この点は特に問題にはならないと思います。

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je07/07f31010.html
http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je07/07f31030.html

ただし、現在においては「やむをえない不正規労働者」の割合は高まってきており、かつ不正規労働者自体の数も増加傾向にありますから、就業者全体のうち4%強は「やむを得ず不正規労働をしている人たち」と推計できると思います。この数が多いか少ないかは基準によると思います(マクロ政策に影響を及ぼしうる人数かといえば、そこまでは行かない気もします。本文で書いたとおり、彼らの利益と残り96%の就業者の利益が相反する現状では。)。もちろん、そういう「意に沿わない仕事をしている人たちがいる」ということ自体は社会にとって問題であるのは当然なのですが。

というわけで、私個人としては現状認識にそれほど大きな問題はないと思っているのですが、いかがでしょうか。ついでに書きますと、赤木氏が代表するグループは景気の良くなってきた今既に30代に突入していて再就職が厳しい世代であり、2003年前後の「就職が最も厳しかったが、まだ20代半ばでやり直しも利く」世代とはそのグループとしての性質も必要としている政策も異なるのではないかと思います。赤木氏の世代に対して彼が要求するとおり「過去に遡って」補償をしたら、より厳しい就職を潜り抜けてきた世代はそれに反対するか、自分たちにも同等以上の補償を要求するでしょうね。当然この反発と補償の要求はそれ以外のグループにも広がり得るわけで・・・。そう考えると、やはり赤木氏が代表するグループは実のところかなり少数であるという認識は特に変更する必要が無いと思っています。

Posted by: 馬車馬 | September 30, 2007 at 06:37 PM

SLEEPさん、コメントありがとうございます。

人種差別の件については私も全く同じ感想を持ちました。その辺り、フランスは労働組合が強すぎると思っていたのですが、むしろ社会全体に根ざす問題なのかもしれません。サルコジ首相がどこまで切り込めるかは見物ですね(すっごい他人事ですが)。

希望を持てる環境というものが、日本人一般に対して定義可能かどうか、私はこのエントリーを書いた後で疑問に思うようになりました。チャーチルが"A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty."と言っているように(私の好きな言葉です。チャーチルらしい皮肉が両サイドの人間に向けられている感じがまた味わい深いと言いますか)、結局、どんな環境であろうとビルゲイツは夢を追いかけるでしょうし、そうでない人はどんな夢の国でも自分の道を遮る壁の存在を主張し続けるのだと思います。悲観的かもしれませんが、最近そう考えるようになりました。

Posted by: 馬車馬 | September 30, 2007 at 06:38 PM

イタリアのサッカーで黒人選手が(おそらくフーリガンから)人種差別的な野次をうけて試合の中断を求めたことがありました。またドイツでもネオナチというのは職のない若者がやることでしょう。チャーチルのヒトラーはスターリンの醜い兄弟という指摘どおりであって、極左と極右は同じなんですね。グローバリズム反対とか産地産消というのは保護貿易と同じですよね。それでフェアトレードとか抜かしますからへそで茶を沸かすというか(いやコーヒーか)

たぶん、赤木氏のような人はある一定の割合存在するんだと思います。腕や脚がないわけじゃなし、気合入れてがんばれやと言いたくなりますけどね。

Posted by: SLEEP | October 02, 2007 at 12:41 PM

馬車馬さん、レスありがとうございました。

赤木氏と少しやりとりをして気づいたのですが、以前の彼は「日本人の働き方総合調査」といったアンケート調査に全く協力していなかったようなんですね。
改めて考えてみれば解ることだったと思いますが、学生のバイトや主婦のパートの人達であれば問題なくアンケートにも応じてくれるでしょう。しかし、非正規就労に追い込まれている人達(フリーターやハケン)が素直にアンケートに答えてくれるわけがありません。それこそ赤木氏が論文で述べたように人間の尊厳に関わる問題ですから。

馬車馬さんの仰る「就業者全体のうち4%強」は、まさに氷山の一角になっちゃっているのではないでしょうか(氷河の一角かもしれませんが)。それ故に、赤木氏の論文の反響がここまで大きいものになってしまったのではないか、と思えるのです。

もちろん、現在30代に突入してしまったグループとまだ20代のグループでは性質が異なるということについては同意しますが。

Posted by: 通りすがり | October 02, 2007 at 02:21 PM

SLEEPさん、コメントありがとうございます。

グローバリズム反対を唱えるのは構わないのですが、アメリカがリージョナリズムに染まったときに真っ先に困るのは当の途上国であるような気もします。これは次回以降書く話ともだぶるのですが、「誰でも受け入れる」社会システムを持っているアメリカが世界のリードしているというのは、世界にとっては結構都合がいいのだとは思います。

社会には機会の平等が必要だというのは議論を待たない点ですが、赤木氏が要求する結果の平等がどこまで認められるべきかはもう少しちゃんと議論したほうが良いような気もします。もちろん、結果の平等は悪平等につながる不公正なものだという議論も当然に成立しうるのですが、このトピックはこの手の議論が感情論に流れやすいので難しいのかもしれませんね(私自身も少し上で感情論を書いてますし)。

Posted by: 馬車馬 | October 04, 2007 at 08:29 AM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

ご指摘のとおり、「匿名であっても自分を美化する方向で回答される」傾向は存在する、という研究はあったと思います。ただし、計量分析の世界では、このバイアスが絶えず問題になるほど大きいとは考えられていないと思いますが。(そもそも、匿名アンケートで自分を美化する傾向を尊厳の問題と呼んでいいのかどうかは疑問ですが、関係ない話なので措いておきます)。

1%乃至は4%という数字が「氷山の一角」に過ぎないかもしれない、もっと有り体な表現を使うと「信頼に値しないかもしれない」という指摘はそれだけではあまりフェアな議論にはなりません。通りすがりさんのご指摘に反論するには「労働力調査(でしたっけ)に統計バイアスが存在しない」ことを証明しないといけないからです。残念ながらこれは悪魔の証明の類で、私としては「バイアスがかかっている可能性はゼロじゃないと思いますが、結論を変更しないといけないほどバイアスが大きい可能性は非常に低いんじゃないですかねぇ」としか言えません。

むしろ、せっかくですから、赤木氏が指摘したような統計バイアスが存在するのかどうか、調べてみたらいかがでしょうか。手っ取り早いところでも、「有効回答数がフリーターがらみのものだけ異常に低くなっている」とか、そういう結果が得られると通りすがりさんの議論はかなり強化されると思います。その辺りのデータは各統計の冊子にある程度載っていますし、掲載されていない情報は厚生労働省の担当官に直接問い合わせるとかなり詳しく教えてもらえますよ。なかなか面白い分析になると思います。

Posted by: 馬車馬 | October 04, 2007 at 08:45 AM

通りすがりさん、上の説明を少し訂正します。

就業者が9割というのは若年失業率から計算した数字なので、非正規労働者に占める「やむを得ずフリーター」の人の割合も年齢別のデータを持ってこなければなりません。それで2000年ごろの25-34歳の非正規労働者(パートもアルバイトも契約社員も嘱託も派遣もすべて含む)の従業員の割合が15%。ちなみに、これは他の年齢層と比べて圧倒的に低い数字です。さらについでに書くと、非正規の5割がパート、2割がアルバイトです。2006年だとぐっと上昇して25%が非正規になります。

というわけで、労働力調査の詳細表まで見てみましたが、1%強を2%弱とした方が実勢に近くなるような気がします。ただし、25-34歳の従業員人口は全年齢層の4分の1なので、それを考慮に入れると一気に0.5%まで比率は低下してしまうのですが。(さらに、彼が代表しているのは90年代後半に就職に失敗した人だけだと考えるなら、その年齢層は前後2年程度ということで、25-34歳の非正規従業員の更に半分未満が赤木氏グループということになり、恐らく0.2%とか、そのくらいまで比率は低下するものと思われます。)0.2%でも絶対数では10万人弱くらいにはなりますから、この数字の大小は単純には論じられませんが、政策への影響力という観点からは残念ながら「無きに等しい」ということになると思います。

今気がつきましたが、労働力調査は世帯ごとに調査票を配るので、親御さんと同居している赤木氏の場合、本人が書かなくても親が調査に協力している可能性はありますね。まぁ、親が見栄を張る可能性もありますし、その辺はいくらでも可能性の問題は論じられるのですが。

Posted by: 馬車馬 | October 04, 2007 at 09:49 AM

どうも今晩は、通りすがりです。レス頂き、ありがとうございます。

>「有効回答数がフリーターがらみのものだけ異常に低くなっている」とか、そういう結果が得られると通りすがりさんの議論はかなり強化されると思います。

確かにそうなんですが、残念ながらわからないんですよね。まあ、私の議論なんぞ強化したところで何の意味もありませんが(笑)

なにせフリーター、ハケンといっても馬車馬さんが上でコメントされたように業種多様ですし、住所不定までいますからね。「フリーターがらみ」といっても実際正体不明でしょう。中には論座に寄稿して話題をかっさらうような人もでるわけですし。有効回答数も何も分母がどれだけあるのか、わからない。(個人的には、赤木氏と一緒に論座に出た人が何処に消えたのか気になります)
また、若年層の非正規雇用を考える場合、「やむを得ずフリーター」だけではなく「若者は何故3年で辞めるのか」も頭に入れとかなければならないでしょう。
あとは、玄田有史の言った「ニート」ですか。こちらも正体不明でしょう。失業者にも含まれませんし。
玄田さんの場合、自身のブログで「わからんものは、わからん」と、放り出し気味の事を以前書いてましたが(笑)

悪魔の証明だとしても、上でのびいさんがコメントで述べていたように赤木氏のようなケースが1割未満の少数者の現象であるとはとても思えません。統計にも限界があるという懐疑主義的スタンスに立つ必要もあるように思われます。
そうしないと、皮肉な話ですが、計量からあぶれた面々が、マクロ政策、というよりも社会全体から「見捨てられているような感覚」を持つハメになるようです。ハンナ・アレントが示したVerlassenheitに近いものがあるでしょう。

じゃあ、どうするのさ?と言われると私も「救いようは無いな」としか思いつきませんが。
池田氏のブログの様に、徹底的に労働市場を競争的にしたところで、「組織の守護」が全くないフリーターでは競争にすらならないでしょうし…
彼のブログの流れを読んでいると、なんとな~く20世紀初頭、オーストリアのドルフースの末路が思い浮かびます。

Posted by: とおりすがり | October 04, 2007 at 10:49 PM

興味深いエントリーありがとうございます。勉強させて頂きました。フリーターと同様で博士課程を卒業後の就職は、大変厳しいのでこの手のエントリーに特に興味があります。

>「私を雇えば御社の得になりますよ」と言えるだけのスキルなり資格なり評判なりを手に入れることである。
>筆者にはこれ以上に現実的で確実な解は思いつかない。
これについてですが、私は採用時に賃金値下げ交渉という解も確実だと思っています。
労働市場の柔軟性や賃金体系の問題で現実的で確実ではないのでしょうか?
企業によってうける教育・経験を無形の財だと考えると雇用される側にとっても悪い話ではありません。
ただ、
>日本の場合、社員教育=電通マンを育てること、だったり、ホンダスピリッツを植えつける、だったりするので、

とすると社内教育・経験という無形財産の移植性が低くなり、労働者の利益は減りますね。。

こうやって考えてみると小ネタと仰りつつ次回に話が繋がってそうで、感服しました。
8月以降金融市場が荒れていて、お忙しいと思いますが、次回もよろしくお願いします。

Posted by: 理系博士課程 | October 08, 2007 at 07:48 AM

Posted by: 馬車馬 | October 09, 2007 at 03:10 AM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

統計を疑ってかかるべき、というのは仰る通りですし、統計を読む上で必要な態度だと思います。ただし、それであれば統計が問題を過少評価している可能性だけではなく、過大評価している可能性についても考慮せねばならないと思いますが。また、統計のズレが無視できない規模に及んでいる可能性がどれだけあるのかもまた重要な論点になりそうです(例えば、この統計の歪みが20%ポイントもあれば、失業率などの統計からはなにも言えなくなるわけですよね。極端なケースですけど)。個人的には、大規模にゆがみが生じている可能性は極めて低いとおもうのですが(根拠ないですけど)。

その意味では、誰かが極端に問題を過大評価した推計と極端に過少評価した推計を両方作って比べてみると、結構面白いことが分かるかもしれません。

根本的に統計というのは世の中の動きに遅れるものです。それでも、上で紹介した労働力調査などは詳細統計を年次でしか作っていなかったのに今や四半期統計に格上げされてますし、上に書いた通り非正規労働者その他の調査も増えています。結構頑張ってると思うんですが。。。

見捨てられたような感覚、というのは分かるような分からないような、という感じですが、私はそもそも「赤木氏のような境遇にある人間にとって政府は頼りにならない」という立場ですから、ある意味、ありもしない救いを信じ続けるよりは健全ではないかとも思います。

どうするか、という話は、まず「救済の対象は何か」を明確にすべきだと思います。赤木氏の言うとおり、今30歳くらいになっている人たちを救うのか、一番就職が厳しかった25歳前後の人を救うのか、今学生の赤木予備軍を救うのか。これらにどうやって優先順位をつけるのか? (全員を救え、と言われそうですが、金以外にも政策のリソース(マンパワーや時間)は限られていますから、プライオリティは設定せざるを得ません。)

そもそも、両方の救済が両立しない可能性もあります。働き口が限定されている場合、赤木氏をひとり救うことで22歳の新人が職にあぶれます。自分が座るイスがなかったこと自体を問題とみなす赤木氏の立場ではこれは容認できないでしょうから、彼が主張する問題を解決するためには失業率をゼロにする必要があります。失業率0を長期的に維持するのは実現不能と断言してよいでしょうから、赤木氏の議論に沿って「イス取りゲームであぶれた人間に補償としての職を用意する」ことは不可能であると証明できてしまいます。

結局、補償として与えられうるのは職ではなくお金ということになります。上で延々と書いてきたとおり、それですら納税者の大半にはその分の増税を喜んで支払うインセンティブがあるとは考えられず、結局「生活保護をある程度(納税者にとって贅沢に見えない程度に)拡充しつつ、赤木氏のような悲劇を今後極力抑えるべく、景気対策に全力を注ぐ」というのが政府サイドの落としどころにならざるを得ないのではないでしょうか。

労働市場を競争的にすることで、「能力はあるのに望ましい職歴がない」という理由で不遇を囲っていた人は救済されますよね。逆に、能力がなくて職歴はある、という人はイスからはじき飛ばされますけど。赤木氏の主張が「能力があるにもかかわらず硬直的な労働市場が俺の就職を阻んでいる」というものであればこれでも問題は解決しそうですが、彼の主張は「能力のある無しにかかわらず過去に遡って我々を救済せよ」、というなんともdemandingな(都合のよい)ものですから、彼の問題は解決しないでしょうねえ。

ドルフースについては私はよく知らないのですが、こういう世の中の流れと全体主義が関係がある、という意味でしょうか?

Posted by: 馬車馬 | October 09, 2007 at 08:49 AM

理系博士課程さん、コメントありがとうございます。
私にも博士課程へ進んだ友人から(私の友人は全員文系なのですが。文学部とか政治学部とか経済学部とか)就職活動の厳しさは聞かされていますので、少しはその大変さが分かるような気がします(まぁ、こればっかりは経験してみないと分からない辛さなのだと思いますが)。

最初の1年間は「お試し」ということで、低めの賃金なり「いつでも解雇可能」という条件付で雇うというのはひとつのアイデアと思います。後者はアメリカとかイギリスでは結構あるみたいですね。ついでに、改めて正規雇用契約を結ぶときには、サイニングボーナスを支給して埋め合わせると良いと思います。

ただし、これがうまくいく産業とそうでない産業はあるかもしれませんね。技術者など、長期的に定着してもらいたい人材の求人は企業の側にも正規雇用のインセンティブがありますが、知識の蓄積などお構いなしの業界では、「毎年新人に全とっかえ」という戦略が最適になりかねません。本来は、被雇用者の側がそれを予想して、その手の企業への就職を避けるのが最適になるはずなのですが、新人というのは交渉力が非常に低い(組合もありませんし、情報も少ない)ので、そういう強気な戦略は取れないかもしれません。

後はインターンシップを拡充するのも面白いかもしれませんね。大学2年生くらいから積極的に受け入れる企業があっても良いと思います。私も採用側に回ったときに痛感しましたが、30分で分かるのは「上2割の優秀な人材」と「下2割のイマイチな人材」だけで、残りの過半の人材はとても面接では採用の可否を判断できません。自分が推した新人が採用した後で「使えない」烙印を押され、受け入れ部署にも当の新人君にも申し訳ない思いをしたことがあります。その辺りは、1週間一緒に仕事をするだけでだいぶ見えてきますし、3ヶ月でほぼ誤差の無い評価が出来ますから。

まぁ、逆に、最初の3ヶ月で使える使えないの判断を下されてしまうということでもあるわけで、それはそれで怖い話なのですが。

話がつながっているように見えるのは、単にネタの幅が狭いからかもしれません・・・しかし、3年以上放置したのでメモがあちこちに散逸していたり、ネタが四方八方に散っていてエントリーへの一本化が難しかったり、時間がかかっしょうがありません。早く書いてしまいたいんですが。

Posted by: 馬車馬 | October 10, 2007 at 09:59 AM

今晩は、通りすがりです。レスありがとうございました。

まず、私が言った「見捨てられたような感覚」についてちょっと補足したいと思います。
私がソレを書いたときに参考にしたネット記事がありまして、
http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html
こちらの記事になります。書いたのは社会哲学者で萱野稔人という方。
萱野氏曰く、「希望は、戦争」だと赤木氏が言うとき、そこにあるのは社会への敵意とルサンチマンで、こんな社会なら壊れてしまえばいいというのが戦争への希望に込められたメッセージである。赤木氏は文章のなかで、フリーターというものがいかに社会からマトモに扱われない屈辱的な存在なのかをくりかえし訴えている。フリーターの若者は、便利な使い捨ての低賃金労働者として制度化されたうえに、怠けているだとか、経済を弱体化させるなどと蔑まれる。もうコリゴリだ、と。戦争が希望されるのは、こうした社会への敵意の延長線上だそうです。
妥当な見解でしょう。
えらく他力本願な「破壊願望」ですが(笑)

また、赤木氏のような境遇にある人間にとって政府は頼りにならない、というのには私も同意します。
よく考えてみれば日本の労働人口約6400万人から見れば、400万人といわれるフリーターなど1割にも満たないというのは比を見るより明らかでしたね。ただ、なんとなくフリーターの比率がそれよりも高いのではないかと感じてしまう理由は、無意識のうちに性別・世代間別に計算してしまっているからでしょう。

赤木氏もそのへんは理解しているようなので、左派の論客に対して「多数派の祭りは成就しない」と言って、自分が少数派でしかないことをしっかりと書いてました。
(続・丸山~参照http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html)

多数決の原理に基づく民主制の下では、馬車馬さんの仰るとおり、マクロな政策では赤木氏の存在など取るに足りないもので、フリーターは見捨てられるでしょう。そして、やがて現在赤木氏が象徴しているような人間達は民主制自体に否定的な感情を持つ事になる。
ここで問題になるのは、赤木氏は五体満足の普通の人間ですので、障害者の様な弱者と違い、彼のような人物がいつ増加してもおかしくない事。そして、どれだけの数の人間が「潜在的赤木」として日本社会に存在しているのか、わからないこと。もしこの先、赤木が大量増殖するようなことになれば、どうなるのか…

まぁ、ようするに「民主的に民主主義が否定される道」が、赤木氏のエッセイの中に見え隠れしているわけです。戦争という言葉でお茶を濁していますけど、「丸山真男をひっぱたきたい」というのは絶妙なネーミングだったと思います。当人達はそこまで意識していなかったようですが。


次に「救済」についてですが、景気対策に全力を注ぐといっても、最近の景気回復も新卒にばかり恩恵がいき、就職氷河期世代が全く相手にされない現実を既に突きつけられていますので、景気回復自体に否定的な意見を持つ人間も増えるかもしれません。実際、今年、「景気は回復しているんです」と自分たちの成果を訴えた政党は選挙で大負けしましたし。

また、経済学的には労働市場を競争的にすれば「能力はあるのに望ましい職歴がない」という理由で不遇を囲っていた人は救済されることになるというのが正解でしょうが、実際にはそうならないでしょう。企業の制度を見ればわかることですが、能力=実務経験ですから、いくら独学で資格なりを得ていても職歴が無ければ人事から評価を受けることはありません。中途採用を狙ったとしても、即戦力にならないからとハジかれる。実務経験を積めないから、いつまで経っても即戦力にはなれない。負のスパイラルですよ。労働市場を競争的にしても無駄です。

こうなってくると、企業以外の制度で吸収していくしかないのかなと思います。今後さらに状況が悪化したとして、そういった状況下でも若年層を見捨てないと公言する英雄的な人物が現れて制度や組織とかを率いるようになれば、赤木氏みたいな人は、その他力本願的性格から隷属への道を歩むことになるかもしれないですねぇ。

先のコメントでドルフースを挙げたのは、彼がオーストリアで失業対策をやったときに、自由競争によって賃金を下げれば失業は無くなると主張、既得権を確保したい労組や社会民主党を攻撃して賃下げを認めさせたが、失業は減らなかった。結局、ナチスに暗殺されて終了。そしてナチスには時の民族的英雄、ヒトラーがいた、という流れを上で述べたような事を考えていたときに頭に浮かんだからです。まぁ大した意味はありません(笑)

Posted by: とおりすがり | October 10, 2007 at 10:15 PM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

恐らく、単純な人数差以上に、彼らの救済策は支持されないのではないかと思います。例えば、歳を取ったときに貧乏になったら政府が手厚く保護する政策案があったとして、これを支持するのは当のご老人たちだけではありません。我々だって、体を壊して働けなくなればあっという間に全てのキャリアを失ってしまいます。どんな人にも、「60になったときに貧乏になっている」リスクはあるのです。ですから、この手の政策は年寄りだけでなく年寄り予備軍の中年、下手をするともっと若い世代からも支持を集めることが出来ます。

一方で、赤木氏の境遇というのは「一度でも正規雇用就職したことがある」場合は回避可能です(というか、赤木氏がそのくらいにまで限定しているのですが)。そして、一度でもちゃんと雇用されていれば、少なくとも赤木氏が定義する「救われるべき人々」にカテゴライズされることはありません。つまり、完全に他人事になります。リスクが無いものに保険料を払う人間はいませんから。

政治活動として彼の意見を捉えるならば、彼は自分のグループを余りにも限定しすぎています。

それから、能力=経験、というのは少し極端に過ぎると思いますが(他業種に転職する人もそれなりに居ます。むしろ、一緒に働いてもいいなと思えるだけのコミュニケーション能力のほうが評価されるケースの方が多いように思います)、今までまともな職歴が無い人が大きなハンディキャップを抱えているのは事実です。特に、ろくに腕を磨かないまま30を超えてしまうと、幾らコミュニケーション能力があっても「下っ端としては使いにくい」というのは皆が感じることですので、どうしても雇いにくくなります。

結局、生活保護しか残らないかなぁと言うのが暫定的な結論なのですが。

英雄といっても、結局こういう層を代弁しようとする政治団体のトップの層はエリートなんですけどね。移民排斥を謳うフランスの国民戦線も、イギリスのなんとかいう政党も、上の方は高学歴です。

多分、日本で移民が自由化されていたら、赤木氏の怒りは社会ではなく移民に向かったかもしれませんね。その意味で、社会それ自体に怒りが向かう状態は健全ではあります。「それが別のものに向かう前に、社会そのものへと怒りを向ける彼らと真っ向から向き合うべきだ」とかそっち系の学者さんは言いそうですが、どうやって向き合えばいいのかは誰も教えてくれないんですよね。

Posted by: 馬車馬 | October 15, 2007 at 07:55 AM

馬車馬さん、レスありがとうございました。

まず、救済策についてですが、私も「生活保護しか残らないかなぁ」という結論には同意します。ただ、生活保護しても、赤木氏みたいなのは怒り狂うのがオチでしょうね。なにせ、フリーターは「社会人」として見てもらえず、とりうより人間扱いされてませんから、そんなんで保護されたところで恨みしか残らない。
まぁ、この辺はヘッジできない不幸ですから、もうどうしょうもないのでしょうけれど。

次に、「結局こういう層を代弁しようとする政治団体のトップの層はエリートなんですけどね」というご指摘ですが、別に上の方が高学歴でも問題無いかもしれません。赤木氏のサイト見てみると、「「縦の連帯」が必要不可欠であると考える」なんて言ってますから。さらに最近の彼の文章を読んでみると、そろそろ自分が「シンデレラ・ボーイ」であることを学んできている様です(※1)。これからどうなっていくのか…、まぁ見物ですね。

また、サイトのコメント掲示板見ると、そっち系の方々が赤木氏に「共闘」を呼びかけている見たいですが、互いに話が噛み合って無くて笑えます。
「続・ひっぱたきたい」に現れてましたが、面白いことにそっち系の学者にとっては赤木氏は天敵みたいです。

※1:http://www.journalism.jp/t-akagi/2007/10/17/

せっかくレスいただいたのに、しばらくコメント返せなくてすみませんでした。
それでは。

Posted by: とおりすがり | October 20, 2007 at 05:59 PM

とおりすがりさんが既に触れられているとおり、赤城氏は「尊厳」を求めており、政府が金を支給するという形ではそもそも解決が不可能だと思います。
問題は彼が親元に留まり続けており、しかもそこから出ることは不可能だと考えているところにあると思います。田舎の社会は当然閉鎖的で人の目も気になります。東京に出て活路を得ることを考えた方がいいでしょう。赤城氏のように昼夜逆転を厭わないならば東京ではもうちょっと稼げるはずです。

実際、知人でどういうわけか就職活動を一切せず、大学卒業後フリーターになった人がいます。女性ですが夜中に道路工事の旗振りなどをして月25万くらい稼いでいました。ホームレスの人でも採用されるそうです。その後彼女はお金を貯めて医療関係の専門学校に行き資格をとり、初任給約30万の待遇で病院に就職しました。別のケースですが40代になって離婚後に大学院に進学してその後カウンセラーとして仕事をしている女性も知っています。もちろん努力したからといって常にうまく行くとは限りませんが、赤城氏の条件が必ずしも絶望的とは限らないと思います。

しかし、ある世代が誤った経済政策のあおりで(バブルは決して天から降ってきたわけではありません)ワーキングプア化しているとしたら何らかの政策(例えば再教育に対しての補助や社会保険料の企業負担分の減免、派遣労働の条件の改善などといった)がとられることはむしろ当り前なのではないかと思います。

フランスの人種差別の件については、日本では見落とされがちな要素ですが人種そのものではなくて宗教という問題も非常に大きいことを指摘しておきたいと思います。

イスラム教徒の連中はあまりにも宗教を生活の中に持ち込みすぎです。服装からして他と違います。お祈りをするからといって約束の時間に遅れて来たりします。彼らは神の決めた規則が人間界の規則に優先すると考えています。日本では創価学会であれクリスチャンであれ他の人と同じように暮らしており見た目ではわかりませんが、イスラム教徒とはそのような存在とは異なるものです。

もちろん相互扶助的な社会が閉鎖的になりがちだという指摘はその通りだと思います。そういう意味で私は日本はアメリカ型になっていくと思いますし、そうすべきだと思っています。日本の指導者層は世界の中での日本の存在が低下していくという道を選ぼうとはしないでしょう。

Posted by: のびい | October 21, 2007 at 05:29 PM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

まぁ、生活保護で彼が満足しないというのはそのとおりかもしれませんが、その時に実行可能な代案を出すのは彼の仕事であるように思います。彼自身の気持ちの問題は彼自身で解決すべきであり、それを社会に対して「俺の気持ちが治まらないんだ、何とかしろ!」というのは、上でも書きましたが、甘えでしかないと思います(少なくとも、大半の納税者はそう受け取るでしょう)。

個人的には、その怒りは本来自分に対して向けられるべきものであり、それこそが多くの人の業績の原動力になってきたのだと思います。

連帯という言葉が何を意味しているのか分かりませんが、お互い利用し利用され、というドライな関係を理解した上で手を組む、ということが可能であるならば、それは面白いので是非実行すべきだと思います。見物だ、という点には全く賛成です。

左系の人たちが労働者の立場を代弁する存在であるならば、本文でも書いたとおり非正規労働者や失業者を代弁しようとする存在は敵でしょうねぇ。その意味では、上の連帯とは、非正規や失業者が思いっきり賃金をdiscountして、正規労働者から職を奪うことを言うのかもしれません。実際は、賃金は法律以外にもいくつか「下がらない理由」というのがあるので、それほど簡単ではないですが、そういう「雇用者との連帯」は面白いと思います。それで、ある程度の経験もつんだところで、改めて従来の労働組合と手を組んで賃上げを図ってもいいですし、むしろ雇用の流動化を推し進めてその中で賃上げを図るという路線もありえるでしょう。言うほどに簡単だとは思いませんが、そういう方向を考えているのなら面白いと思います。

Posted by: 馬車馬 | October 29, 2007 at 01:10 AM

のびいさん、コメントありがとうございます。

田舎は良くないと思いますね。村社会はその性質上過去の行動の履歴を非常に重視しますから、そこに傷があると大きなマイナスになります。東京や、最近景気の良い名古屋など(トヨタ村も結構ムラ社会的っぽいですが・・・)、大都市を狙ったほうが確率は高いと思います。

個々人の例で行くならば、現状からの脱却は「簡単ではないが不可能ではない」と言えると思います。

誤った政策の補償はすべき、というのはもっともだと思いますが、同時に線引きの難しい問題だと思います。極端な話、バブル期にすら就職できなかった人はいて、それだって「政府がもっとちゃんとしていれば俺は就職できたはず」と言うことは可能です。また、不景気のすべてが政府の責任とするのも、現状では難しいように思います。

ムスリムの硬直性についてはおっしゃるとおりだと思います。ただ、私の会った人は日中の礼拝はしてませんでしたが。人によるんでしょうかね?まぁ、色々と付き合うのが大変そうな宗教であることは確かだと思います。日本人のいい加減な宗教観を教えると妙に感心されるので楽しいのですが。

フランスに限って言うと、移民の数が多すぎて内部に別社会が出来てしまっていることが最大の問題だと思います。ムスリムでなくとも、社会内別社会の存在は社会の安定と効率をそぐ結果になるのではないかと思っています。

私個人は日本はアメリカ型の社会になってほしいと思っています。個人的には、その方が私にとっては生き易そうです。ただ、それが社会に与える影響は結構大きいように思いますが・・・(早くエントリーを起こしたいのですが・・・)

Posted by: 馬車馬 | October 29, 2007 at 02:03 AM

30代前半フリーターです。
馬車馬さんの論理的な投稿を読み、自分も普段思っていることを書き込んでみたくなりました。

馬車馬さんは本文において、ムチに現実味が無い、とかかれています。ムチの内容としては暴動、組合化を挙げられています。確かにそれらは現実味はないと思います。そこで私は最低限の労働しかしないことで、不良債権化した国民になりみんなの足をひっぱろうと思います。将来は「弱者を見捨てるのか」と叫ぼうと思います。これはいわば自爆テロでしょうか。

本来、私たちに投資されるべきお金が旧産業従事者(年配者)を助けるために田舎の箱物、道路に投資されました。また外国などにも投資されています。はたして田舎の箱物、道路が今後、上の世代の食べさせてくれるのでしょうか。外国人が信頼できるのでしょうか。見物です。
国債は将来世代の負担といわれますが本当にそうでしょうか。若い世代が田舎の箱物、道路はいらないから、そのかわり借金を払いませんよといったらどうなるのだろう。

馬車馬さんのかかれた通り、マクロで私が救われる方法は見あたらないです。しかしながら私は後生のためにも1人1人に平等な一票を要求したいです。
1.田舎の方が票の価値が高く、田舎には年配の人が多い。
2.全体で年配の人が多い
3.老人は選挙に行く時間がある
4.上記の人々は自分の票に力があることをしっている。集団としてシナジー効果で投票率が上がる。(例えば自分が他の人の5倍の投票権を持っていたら選挙に行きたくなるはずです。つまり1:5がシナジー効果で1:20にも30にもなるということです。)これでは選挙に行く気が起きません。マクロで戦えません。

政治家はその票の格差を利用した商人、それをきちんと伝えない裁判官、マスコミ、官僚はその商人の飼い犬のように見えます。

一生懸命に働かなければおまえに未来はない、と言われるかもしれません。かまわないです。期待値の低い仕事をさせられるくらいなら、自爆したいです。

Posted by: 30代前半フリーター | November 07, 2007 at 11:59 PM

ちょっとお題とは離れてしまうのですが、最近欧州でイスラムがやや排斥されている傾向があるのは単に景気の問題だけではなく、欧州統合のアイデンティティに関わることなのかなと推測しています。19世紀にドイツが統一された時に「ドイツ人」としての民族主義的なナショナリズムが用いられたのと同様に「ヨーロッパ人」のアイデンティティの一部として「キリスト教」が強調されつつあるのではないかという気がしています。例えばEUや米国はコソボの独立を支持していますが、一方でセルビアをEUに加盟させるという話はちらほら出ているものの、コソボ(アルバニア人はいちおうイスラム教徒)をEUにという話は全く聞きません。

サルコジはNATOに完全復帰すると言ってますし、アメリカを愛してると言ったり、初代の欧州大統領はブレアを推すとか、かつての西側世界の中で英米に対抗しアラブの味方というフランスの役割を完全に捨て去ろうとしています。以前にイタリアのベルルスコーニがイスラエルをEUになどと驚くべきことを言っていましたが、EUがイスラエル側につこうとしているような気もしてなりません。

欧州統合推進の観点から見ると、独仏露で組んで英米に対抗するといったようなかつての路線が完全否定されたのは非常に賢明なことだと思います。

Posted by: のびい | November 10, 2007 at 07:35 AM

巨大な資本やら権力の前にどうしたらいいのか分からない世代かもしれませんね。昔はサラリーマン辞めて商店街に戻るとか、そんなのがあったような。
今は1円からできますが、そこからが難しい。

欧州は一つにまとまれるか心配です。
ブレアさんも言ってることやってることが違うといいますか。
今のロシアと中国相手になかなか難しいと思います。
あらゆる手で揺さぶってきてますし。
結局今まで以上に共産党が力もってきてしまってますし、軍事力も誰も止められてませんよね。

Posted by: はじめまして | November 18, 2007 at 06:27 AM

30代前半フリーターさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

自ら人材の不良債権となることが社会に対するムチとなりうるかどうかですが、これがムチになるには「理由はどうあれ、生活に困窮した人を救うのは絶対的な正義である」という認識が多くの日本人に共有されていなければなりません。今日からシリーズで書いていこうと思っているエントリーともつながりますが、私は日本人がそこまで優しいとは思っていません。日本人の多くが納得できる理由さえあれば(それが正当かどうかは究極的には問題ではありません)、根本的には姥捨て山を作ることを厭わない社会ではないかと思っています(非常に聞こえが悪いですが、日本的な美しさというものがそれによって支えられてきた一面もあると思うわけです)。

例えば、税負担が非常に大きくなってきたときに、「失業者に対する過度な手当てはむしろ彼らの就労意欲を減退させてしまう。彼らのためにこそ、生活保護予算の削減を」という理屈付けを与えられたとして、これに反対する国民はどれだけいるでしょうか。

自爆テロというのは、テロリスト側の立場から言えば、自分の命を犠牲にすることでその後の社会をよりよく導こうというものです。ムスリムの場合はその後天国とやらで7人?の処女とよろしくやれるようですからそれでいいのかもしれませんが(実際は遥かに複雑ですが。為念)、30代前半フリーターさん個人の戦略としては、むしろその手のテロは他人にやらせて、自分はその果実をおいしく頂くほうが合理的なような気もします。(一番つまらないのは、周りのみんなが「誰か俺の代わりに自爆してくれないかなー、そうしたら楽できるのになー」と思っているところで、自分ひとりだけが自爆してしまうことです。少なくとも、この手の傍観者(フリーライダー)を巻き込まないと、30代前半フリーターさんのおっしゃる意味での自爆テロは成立しないような気がします。)

田舎の箱物の巧妙なところは、建築後は維持費で地元に金が落ちるというところではないかと思います。もちろん、その分垂れ流される赤字は地方自治体の負担となり、部分的には昨今の地方自治体の財政破綻へとつながっていくのですが。その意味で、今後地方自治体の財政破綻が続くと厳しくなりそうですね。

一票の格差に伴うシナジー効果というのは全くおっしゃるとおりだと思います。そういう要素は確実にあるのではないでしょうか。聞くと「毎年少しずつは改善されている」と言うのですが、格差の是正よりも人口の移動のほうが大きくてほとんど格差の改善が進んでいないような気がします。

それから、納税者が納税を拒否した場合、日本政府は破産して猛烈なインフレが起こるわけですが(破産しなくてもインフレは起こります)、これは現金や預金、債券をもっている人の資産を大幅に目減りさせてしまいます(株や土地は問題なし。生活保護を受けている人は、支給額が変わらないのに物価が上がる分だけ損をします)。政府は借金が実質的に目減りするので万々歳ですが。ある意味これも自爆テロですね。ただし、資産を持っている納税者に自爆する理由が無いのですが。

Posted by: 馬車馬 | November 19, 2007 at 11:13 AM

のびいさん、コメントありがとうございます。

そういえば、先々週もイタリアの国会議員がムスリムの寺院建設予定地に豚を連れて行進したりしてましたね・・・。ルーマニアの件といい、あの国も色々と苦労をしているようです。(傍目にはヒステリックに見えますが、実際大変なのだとは思います)

キリスト教がEUの核になろうとしている、というのは面白いですね。その場合、ヨーロッパ内のムスリム移民のアイデンティティがますますイスラムを核にまとまってしまいそうな気もするのですが。一時期は各国のエスニックマイノリティがEUメンバーというアイデンティティを持つことを期待されていたのだと思いますが、ままならないものですね・・・。

フランスがシラク路線から現実主義的な方向へとシフトしたのは大変喜ばしいことだと思います。ただ、ヨーロッパとアメリカの関係が強化された結果、ますます日本が蚊帳の外になっている気もするのですが・・・対イラン政策も、米英仏独露中でIAEAからのレポートを討議することになっているはずですし。イランとの関係を考えれば日本だってくちばしを突っ込む権利くらいはあると思うのですが。この時期に極めて低次元な内政のごたごたで時間を無駄にした昨今の日本の政治情勢にはため息しか出ないのですが・・・。自民と民主どっちが政権とるかに関わり無く、とりあえず参院なんかつぶしてしまえと最近本気で思います。

Posted by: 馬車馬 | November 19, 2007 at 11:28 AM

はじめまして さん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

昔の商店街と今のネットビジネス、どちらが難しいのでしょうね。30年前と比べると、やはり成長率が高い分だけ職を見つけやすかったということはあったのだと思います。

欧州については私は昔から悲観的なのですが、このペースでは財政統合は相当に難しいように思います。昔書きましたが、財政統合できないままだとEUは金融政策に時限爆弾を抱えたようなもので、最悪解体をも含めたシリアスな問題になっていくのではないかと思っています。

Posted by: 馬車馬 | November 25, 2007 at 11:56 AM

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