和魂と洋才と温泉のガイジン
日本や日本の文化が好きな外国人というのは昔も今も結構多い。その中でもとりわけ彼らのジャポニズム心を刺激するのが温泉や銭湯であるらしい。こちらのページでもやたらと絶賛されているし、筆者の友人にも温泉ガイドブックを辞書を引きながら頑張って読んでいる人がいた(一方で、他人と一緒に風呂に入るというのはどうも馴染めない、という人も多いが)。
我々が外国すげえ、と思うのは日本ではとても出来そうにないことが当たり前に行われているからであり、海外の人間が温泉を見て喜ぶのはあんなシステムが彼らの母国ではとても出来ないと思うからである。上のページはこんな文章で締めくくられている。『驚くほど見事なトイレや風呂を開発することは、われわれにもできるかもしれない。しかし、穏やかで平等な、信頼関係が成り立っている社会、犯罪もなく、素晴らしい技術をわずか3ドル程度で楽しむことができ、そして大勢の他人の前で裸でいられる、そんな社会空間を作り出すことは無理だろう。仮にできたとしても、きっとそれは、「政治的」と揶揄されるたぐいの行動になりそうだ。』
筆者の(それほど多くも無い)経験から言うと、大勢の前で裸でいられるような社会空間、という評価は外人の日本評として頻繁に語られる点であるように思う。「日本は鍵を掛けなくても暮らしていけるんだよね」という神話は海外では未だに根強いし、実際田舎では未だに結構あるらしい。少し前に外国人の入国時の指紋チェックが始まったとき、新聞に「知らない人を見たら友達だと思え、という考え方こそが日本の良さだったのに」と嘆いているドイツ人か誰かのコメントが載っていたが、これも同様の評価だろう。日本人のこの「性善説的気質」は日本を訪れる外国人の大半に強い印象を残している。しかし、日本で出来ることが、なぜ海外では無理なのだろうか?
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