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和魂と洋才とユダヤの商人

もう何年も前の話になるのだが、コーポレートガバナンスという「洋才」を使いこなすために「洋魂」が必要かもしれない、というエントリーを読んで色々と考えたことがある。日本の社会というのは、欧米のそれとは少し違うものであるらしいということはよく知られている。ここが違う、あそこが違う、と言い合うのは、ある種の「お茶漬けナショナリズム」とも相まって、海外旅行をした日本人の楽しみの一つでもある。

しかし、この手の話題は大概非常にあいまいなところでストップする。海外だと接客態度が悪すぎる。目の前に困っている客がいるなら、何とかしてやろうと思うのが自然ではないのか。欧米の企業に比べて日本の企業は非効率すぎる。みんな仲良く残業しなきゃいけないなんてナンセンスだ。この手のお約束トークは挙げればきりが無いが、「では何故日本ではそうなっているのか?」という段になると、大概が精神論で終わってしまう。日本人の気質だから、とか、日本人魂とか。その気質ってなに?と言っても答えは出てこない。せいぜい「教育の成果だろう」という程度のものである。大体、「教育の問題だ」という言葉は、世の中の問題の9割以上に通用するマジックワードであって、これは実際は何も言っていないに等しい。

そこで、今回から何回かのエントリーで、この「日本人の魂」という奴は一体何なのか、そして対となって出てくる洋才とは何が違うのか、少しじっくりと考えてみたい。もしかしたら、日本社会が何故欧米のそれと違って見えるのか、その答えも少し見えてくるかもしれない。

社会を考えるということ

まずそもそもの話から始めたいのだが、「社会」などというものはこの世に存在しない。多くの人間集団と、その間に存在する関係を総称して社会と呼んでいるに過ぎない。

人々の間の関係には色々あるわけだが、みんなが好き勝手に行動していたら共同生活というのは成り立たないわけで、そこは数千年数万年の試行錯誤の果てに出来上がったルールというものがある。相手を故意に傷つけてはいけない、という原始的で一般的なものから、1日に5回聖地へ向かって礼拝すべし、という特殊なものまで、ルールは多種多様だ。

これらのルールは余りにも多くの人が守っているので、個々人の力では変更が聞かない。多くの人が左側通行をしているときに自分ひとりが右側通行を貫こうとしても、行き先は病院か刑務所だ(火葬場という可能性もあるが)。どう考えてもそれは馬鹿馬鹿しいので、我々は左側通行というルールを守るわけである。「社会」という言葉が我々自身をさす言葉であるにもかかわらず、「社会に支配される」といった感じ方をする人が多いのは、社会の裏に我々を操る陰の支配者がいるからではない。我々自身が他人との付き合いを円滑にこなして互いにより良い生活を享受するために従ったほうが良いルールがあり、そのルールを個々人の意思と力では変更できないために、あたかも「支配されている」かのように錯覚してしまうのである。

つまり、社会の根本を考えるには、まず我々はその集団の「人付き合い」がどうなっているかを考えなければならない。そもそも、われわれはなぜ集団生活をするのだろうか?集団生活の中で生まれる関係とはどのようなものなのか?そしてその中で生まれるルールは、どれほど我々の社会の形に影響を及ぼしているのだろうか?今回はまずそもそも論を紹介して、次回以降の日本の話につなげていくことにしたい。筆者としては、読者の皆さんが思っている以上に人付き合いのあり方は社会構造に深く広く影響を与えているのだ、という方向にもっていくつもりである。


人の歴史と協力の歴史

確かどこかで読んだ話だったと思うのだが、人間はその発展の過程で3種類の協力関係を築いてきたのだそうである。まず第一に、血縁関係の中での協力。親は子を裏切らない。そこに理由は必要ない(利己的遺伝子とか、そこまで遡れば話は別だが)。理屈を超えた協力関係であり、それゆえに強固である。人間の歴史の中で最も確実で、また原始的なものだろう。

しかし、これには致命的な欠点がひとつある。それが「協力関係を、家族を越えて広げることは出来ない」ということ。経済が発展するにつれ、個々の労働者には高いスキルが求められるようになる。当然、全ての分野で高いスキルを維持することは困難だから、発展した社会とは分業化が進んだ社会と同義であるといってよい。そして、分業が進むということは、一人では何も出来なくなるということでもある。自分に足りないスキルを持っている人間との間に協力関係を結べなければ、何一つモノを作り出すことは出来ない。更に、分業が進めば進むほど、多くの人との協力関係が必要になる。百人、千人という単位での協力関係が必要になることもあるわけだが、血縁関係だけではとてもこの協力関係は維持出来そうに無い。

そこで出てくるのが第2段階の、組合関係の中での協力。互いの力を必要としているもの同士がギルド(組合)を作り、そのギルドの中で協力関係を育んでいくわけだ。ある種の擬似家族関係といえなくも無いが、決定的な違いは「裏切りを処罰する仕組みがギルドの中に組み込まれており、それがギルド内での裏切りを防いでいる」という点である。彼らは仲間ではあるが、家族ではない。もはや、理屈抜きの協力関係は期待できないのだ。だから、「裏切り者は追放」とか、「自己批判しろ」と吊るし上げるとか、もっと過激なギルドになると「小指置いてってもらおうか」とか、そういう裏切り者を取っちめるムチが必要不可欠になってくる。同時に、「ギルドのためにまじめに働いたらいいこともあるよ」というアメも用意して、構成員をギルドにつなぎとめるわけである。

ただし、このギルド型の協力関係にも限界がある。協力関係を拡大しづらいのだ。ギルドというのは原則として排他的なものだから、ギルドに所属していない商人と仲良く交易していくのは余り得意ではない。かといって、誰彼構わずギルドのメンバーにしてしまったらギルド内部の収拾がつかなくなる。一方で、社会が拡大するにつれて長距離の取引はどんどん増える。ギルドのメンバーが誰もいない海の向こうの国々とはどうやって協力していけばよいのだろう?

ひとつの方法は、ギルドのメンバーが海の向こうまで行ってしまい、ギルドの出先機関を構築すること。この典型例がユダヤ商人と華僑だろう(華僑についてはむしろ血縁がより重視される傾向があるようなので、むしろ第1段階だといったほうが良いかもしれない)。
商業における覇権を握った国は他にもたくさんあるが、ユダヤ人と華僑だけが世界中にこれほど拡散しているのは、彼らがギルド外の人間(非ユダヤ人など)を信用できず、全ての資産を自分で抱えて世界中を旅していたからかもしれない。

もうひとつの方法が、協力関係の第3段階である。それは、相手を信用しないこと。どこが協力関係だよと思われる方もいらっしゃるだろうが、相手を信用しなくても協力は出来る。例えば、100円の価値があるものを運んできたら手間賃を110円あげる、という契約に、相手に対する信頼は必要ない。引き算が出来るくらいの脳がある人間なら、まじめに働いたほうが有利だということを即座に理解するからだ。この段階のメリットは、どんな人間でも使いこなす柔軟さを持っているということ。デメリットは、言うまでも無いが、余りにもコストがかかるということ。原則として、ギルド型のシステムと比べてかなり高額の報酬を支払わないと協力関係を維持できない


マグレブ商人とジェノア商人

この第2段階と第3段階の協力システムを持つ2つの社会が目と鼻の先で競争していたことがある(注1)。11世紀から13世紀くらいまでの地中海である。マグレブ商人とは、北アフリカ(今のチュニジアの辺り)に住んでいたユダヤ商人たちの事を指す。当時の北アフリカはムスリム系の王朝が支配しており(この時期、スペインもムスリムの支配地域だった)、彼らはユダヤ教徒のままムスリム社会に定着した移民集団だった。

ちょうどこの時期は交通システムが発達して地中海を経由した長距離貿易が活発化し、あらゆる資産を自分の手元において各地を旅する「旅商人スタイル」が限界に来た時期にあたる。船というのは沈むものだし、その船に自分の全財産を託すのはリスクが高すぎたのだ。そこでマグレブ商人たちは、地中海の向こう側に移民して行った同胞のマグレブ商人と取引することで、効率的に取引を行おうとした。とはいえ、取引相手は海の向こうである。騙されても、それと気づくのに何ヶ月もかかる。騙されたからといって、簡単に相手を殴りにいけるわけでもない。それを相手に見透かされたらもう騙され放題である。

ここでマグレブ商人が編み出したのが、騙されたことに気がついたら直ぐに同胞のマグレブ商人たちに手紙を書き、彼ら全員が騙した商人との取引を中止するシステムだ。要するに、評判の悪い商人を村八分にすることで、騙されるリスクを減らそうとしたわけだ。この仕組みがあると、マグレブ商人ギルドの中で騙される可能性は低くなる。そうすると、このギルドに参加している限りは騙されずに商売が出来るというメリットがあるわけで、このメリットが大きいほど村八分は手痛いお仕置きになるわけだ。で、このお仕置きが怖いギルドメンバーはますますまじめに働き、その結果ギルドに所属するメリットはますます大きくなり、村八分がますます怖くなる・・・という好循環が続く。この仕組みで、マグレブ商人は地中海貿易で一躍名を馳せることになった。


一方で、地中海の北側、ジェノアでは全く違うシステムが発達した。この都市国家は人の出入りの激しい所で、ギルドのような安定した商人集団が形成されなかった。で、第3段階の「信頼関係の無い協力」に頼ることになるのだが、上で書いたとおり如何せんこの仕組みはコストが高すぎる。そこで発達したのが法規制だ。法律で裏切りを防止してしまえば、別に村八分にしなくとも安心して取引が行える。100円の物を運ぶのに110円の駄賃を払うようなナンセンスなことは必要ない。騙されたら裁判所に訴えれば、裁判所が代わりにお仕置きをしてくれるのだから。

この村八分と法規制はそれぞれの社会でほとんど同じ役割を果たしていたのだが、その性格はだいぶ異なる。ギルド社会は村八分という仕組みを作ることで、法規制に頼らず安心して商売が出来る仕組みを作った。その一方で、ギルドメンバー間でしか取引が出来ず、人材の多様性には難があった。一方で、ジェノア型システムは裁判所の効力が及ぶ限り誰とでも取引が行えたが、その一方で法制度を維持するコストを負担せねばならなかった(そもそも、有用な人材を弁護士など「紛争の仲裁」という非生産的な仕事に従事させるのは、社会的には大いなる無駄なのである)。

どちらがより望ましいかは一概に答えが出ない問題だが、長期的に後者のほうが有利である可能性はある。大方の読者の方々が既に予想しておられるように、マグレブ型の集団主義的なギルドシステムは、日本を含めアジアで多く見られる社会システムだ。日本ではムラ社会型と呼んだほうが通りが良いかもしれない。一方で、法規制に依存する個人主義的な社会は、アメリカを中心とする欧米諸国に多い。そして、過去数百年の歴史を見ると、ジェノア型の社会システムを持った国が覇権を握ってきたことは事実である(もっとも初期に覇権を握ったジェノア型の国家はローマ帝国かもしれない。塩野七生が書いているように、ローマはその勃興当初から多民族国家であり、マグレブ商人のような閉鎖的なギルドを作るのには適していなかった。そのローマに法治主義が根付いたのは偶然とはいえないだろう)。

だが、ここでは「日本も旧態依然としたムラ社会型の仕組みを捨て、透明性の高い法治社会へと生まれ変わるべきだ!」「そのためにも弁護士を増やせ!」とか、そういう安易な議論に進むのは面白く無さ過ぎる。そこで、次回以降ゆっくりと、日本の社会にどんな脆弱性があり、その一方でどんな強みがあるのか、そして例えば移民の増加によってそれがどう変わっていくことになるのか、その辺りを考えていくことにしたい。まず、日本社会や文化を支えるシステムがどれだけ脆弱な仕組みで成り立っているのか、その辺りを次回。


本日のまとめ

我々が「日本的」と思っているものの多く(働き方や文化に至るまで)は、欧米とは異なる人間関係の作り方にその基盤がある(と思われる)。

人間には3段階の協力関係がある。まず理屈度外視の血縁関係によるもの。第2に組合を作り、その中で協力関係を維持するもの。第3に騙されることを前提に協力関係を結ぶもの。

通常、第2段階の組合(ギルド)は「裏切ったら村八分」という掟で協力関係を維持し、第3段階の信頼なき協力関係は法規制によって維持されることが多い。

第2段階のギルドシステム(ムラ社会)は途上国(特にアジア)に多く、第3段階の法治社会は欧米に多い。


次回予告:和魂と洋才と温泉のガイジン


注1:以下、マグレブ商人とジェノア商人の一連の話はスタンフォード大のグライフ教授の著作を参照している。というか、この和魂洋才シリーズ全体のネタ元である。ただし、日本の話に当てはめる段階で適当に話を変更したりしているので、ここのエントリーがグライフ教授の著作の要約になってはいない点に注意(グライフ教授は筆者の知る限り日本には全く言及していない)。グライフ教授の著作に興味がある方は A. Greif 'Institutions and the Path to the Modern Economy', Cambridge University Press辺りを直接参照されたい。

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Comments

>人間には3段階の協力関係がある。まず理屈度外視の血縁関係によるもの。第2に組合を作り、その中で協力関係を維持するもの。第3に騙されることを前提に協力関係を結ぶもの。

私にも、馬車馬さんがどの本を読まれたかまでは分かりませんが、大モトネタは、ドイツの社会学者テンニースの『ゲゼルシャフトとゲマインシャフト』(機能体と共同体)じゃないでしょうか。

Posted by: 通りすがり | November 23, 2007 at 08:15 PM

馬車馬さま

日本はアジア型じゃないと思うんですよ。東京というのは既に江戸時代に世界最大の都市でしたし、北海道から沖縄まで流通システムを作っていました。また法治機構も既に相当行き渡っていたようですし、文学、絵画、演劇などの娯楽も当時の世界基準を考えれば最高峰だったんでは?当時の江戸とソウルの写真を見ると同じ文化圏だとか文明だとか言うのは寝言の類じゃないでyそうか。

Posted by: SLEEP | November 23, 2007 at 11:52 PM

とても興味深いテーマで次回以降の展開が楽しみです。
法治のレベルというのは国によって大きな差がありそうですね。EU拡大でもそのへんが色々問題になっていました。
ボスニアでは大学入るのに賄賂が必要だそうです。

ところで現在ついにドルがやばくなってきてますね。
ECBの総裁を初め欧州の要人が中国に行って、人民元を自由化するように要請するそうですが、本当に人民銀行がドル買わなくなったらドルはもっと下落するじゃないかという話もあって何がなんだかよくわかりません。

Posted by: のびい | November 24, 2007 at 07:30 AM

EUはギルドっぽいと思いました。主な貿易相手国が域内の国であること、文化・宗教的にも近い位置にいること、強力な統合政府のような第3者が存在しないこと(国家の寄り集まり)。個人的に、ギルドタイプのシステムには強力なリーダー(あるいは外部の脅威)が必要だと思っているので、EUの様々なグダグダ感というのはこのシステムの特徴でもあるかなと思います。

対してアメリカは法規制システムの信奉者で(その成熟過程からも)、近年言われているグローバル化の先頭にアメリカがいることもこのシステムの柔軟性に一因があるのかなと思いました。

あと、日本の中でも都市と田舎ではかなり違いがある、というか性質的に違いが出ざるを得ないと思うのですが(都市はジェノア的、田舎はマグレブ的)、その辺どうなんでしょうか。

Posted by: 雪白 | November 24, 2007 at 06:52 PM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。ゲゼルシャフトという言葉を聞いたのは大学生以来です。その当時は「うわードイツ語だー」としか思わず、試験終了と共に忘却しましたが、こうしてみると面白いことを行っていたんですね。

おっしゃるとおり、遡っていくと元ネタはそこに行き着くような気がします。経済学でもワンポイントで古典を引用するのは結構「おしゃれ」なのだそうですし。

Posted by: 馬車馬 | November 25, 2007 at 11:38 AM

のびいさん、コメントありがとうございます。ご期待に沿えるように頑張ります。

結局、法治のレベルは社会システムだけでなく、時々の政治体制という外部要素に強い影響を受けてしまうという問題があるのだと思います。その点、自治的な要素の強いギルド社会は有利ではありますね。(不利な点も沢山あるのですが)

為替については、やっと「チキンレース」で書いた話が俎上にに上ってきた感じです。中国が米債を買っているのは、そもそも人民元安に固定することで貿易黒字を増やしてきたからですから、人民元を切り上げれば理論上は黒字も減って米債の購入自体も減るはずです。アメリカから見れば米債(またはその他資産)を売る必要もなくなるので、このような健全な流れで中国の米債購入が減る場合、中期的にはドルはある程度(安値で)安定しうるとは思います。

まぁ、今までがドル高すぎたということもありますし、もう少し売られてもいいんじゃないかとは思います。むしろ、円=人民元レートは自由化でどうなるんでしょうね。ドル安人民元高と同時に円安人民元高も進めば今後も中国を生産工場として使えるわけですが、これで為替が1割2割も動いてしまうとさすがにペイしなくなるのではないでしょうか。最近給料も上がってるみたいですし。

Posted by: 馬車馬 | November 25, 2007 at 11:51 AM

SLEEPさん、コメントありがとうございます。

アジア型というのは結構定義しづらいのかもしれませんね。例えば、共産党政権以降の中国は明らかに洋才型社会になっているように見えますし。

また、後で書くつもりですが、社会システムの良し悪しというのは単純に比較できるものではないと思います。それぞれメリットデメリットがあるということではないでしょうか。また、社会構造が同種だからといってもその発展段階には当然差がありますし、文化水準にも大きな差が出てくるということは当然ありうるのだと思います。それぞれの社会の発展段階の話は最終回にする予定です。

Posted by: 馬車馬 | November 25, 2007 at 12:01 PM

雪白さん、コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、EUというのはある意味第二のハンザ同盟なのかもしれませんね。大陸ヨーロッパは余り行ったことがないので実感はないのですが。

ただ、ヨーロッパの個々の国のレベルではやはりジェノア的な側面もあるように思います。その辺りは、5回目くらいの移民の話で触れる予定です。

日本でも大都市と地方都市でぜんぜん違う、というのはおっしゃるとおりで、大都市ではギルド型の社会を維持するのはどんどん難しくなっていると思います。その辺りは第3回で書くつもりです。なんだか思わせぶりで恐縮ですが、ここで書くとえらく長くなってしまいそうなのでお許しください(笑)。極力早めに書くつもりです。

Posted by: 馬車馬 | November 25, 2007 at 12:06 PM

馬車馬さん、レスありがとうございます。

せっかくですので、馬車馬さんが「日本も旧態依然としたムラ社会型の仕組みを捨て、透明性の高い法治社会へと生まれ変わるべきだ!」と単純に仰る方ではないと見込んで、ちょっと聞いてみたいことがあります。

前のエントリと被るかもしれませんが、もし、世の中に帰属する社会集団もなく、日本人の場合、血縁だけではなく生まれた土地などによる地縁というのも強かったと思いますが、その地縁によるゲマインシャフトとも縁遠く、さらに理屈を超えた血の協力関係である親が年老いて働けなくなれば生活の保障も無い、そんな人間が増えるような状況があったとしたらどう思われます?

マグレブ商人もジェノア商人もないような状態になりそうですが・・・

Posted by: 通りすがり | November 25, 2007 at 10:03 PM

同じアジアと言っても中国や韓国と日本は少し違うような。
中国や韓国は血縁による絆をより重視しますよね。跡継ぎは長男でないといけない、というような。なので男の子を産むことが当主の妻には大変重いプレッシャーになったり、産み分けみたいな話もいろいろ出てきたりします。無論この背後にあるのは儒教です。
日本は儒教の教えにあまり忠実でない、あるいは都合の良いところだけ取ってきたりすることがありますよね。上の例とのアナロジーで言えば娘婿です。
こうした議論はかなり前に佐藤誠三郎や公文俊平がしていた記憶があります。

Posted by: アングラ | November 27, 2007 at 12:05 AM

馬車馬さまコメントありがとうございます。

日本(ヨーロッパ)とその他のアジアとの違いに関して重要なことを指摘するのを忘れてました。貴族や地方領主の有無です。
日本の場合ですと先祖代々公家ですとか武家、地方の名家というものがありますよね、ところがその他の国々にはこういうものがありません。土地も人間も国王のもので、高官、宮女から農民にいたるまで全員が奴隷のようなものです。もちろんお金持ちや豪商はいるでしょうが、せいぜい百年もてばいいほうであって羽振りが良すぎればすぐ私財没収か強盗でしょう。そのため華僑のようなシステムができたのでしょう、要はリスク管理ですね。

そのような国家ではいざ鎌倉!とはなりませんよね。元寇の際、坂東武者ははるばる北九州まで行って戦ったんですが、経済発展による動員能力の多寡もさることながらこういったインセンティブを生むシステムの差があったんでしょう。

また共産中国についてですが、大躍進や文革であれだけ人が死ねばメチャクチャでしょう。そしてマトモな情報は入ってきまませんがソ連や東欧でさえあの体たらくですから、実情が相当ひどいのでは?日本のマスコミは朝日、NHK筆頭に完全におかしく外国人の入れない地域はソマリアみたいなもんじゃないでしょうか。

Posted by: SLEEP | November 30, 2007 at 02:41 PM

そういえば「チキンレース」が私が馬車馬さんのブログを知ったきっかけだったのでした。

生産拠点としては、もう2005年頃に中国への投資はピークを迎えていて、今はもっと賃金の安いインドとかベトナムへ向かっているようですね。高級品に関しては日本に戻すというような動きもあったようです。

中国の貿易黒字はもう許容できない段階にきてますから、これからはプラザ合意の時のように、中国にもっとモノを買ってもらって世界経済が成長しましょうということになりますね。

しかしいつ頃人民元が切り上がるのかはトリシェにも約束しなかった(というように報道されてます)。いずれにしても完全に自由化はすることはないでしょうね。ユーロ高でEADSがやばいという話はエアバスを買うことによって封じましたし。

口で強いドルを支持するといいながら実はドルを売って他の通貨を買ってるようですが。

Posted by: のびい | December 01, 2007 at 08:41 AM

>日本のマスコミは朝日、NHK筆頭に完全におかしく外国人の入れない地域はソマリアみたいなもんじゃないでしょうか。

朝日新聞に疑いを持たれるのでしたら、こういうのを読まれたらどうでしょうか?

http://www.ft.com/world/asiapacific

Posted by: のびい | December 01, 2007 at 08:47 AM

>のびいさま

リンク先のchinaをクリックすると天安門が光り輝いて笑わせます。失礼な物言いかもしれませんが、政治的に中立なんでしょうかね?だいたい移動や言論の自由のない国家の実情を知るのは相当に困難であって、社会党のおばさんや朝日新聞というのは北朝鮮にすら騙された連中です。ユダヤ人虐殺もポル・ポトの惨劇も外国人が占領して全容が明らかになりました。中国が例外という保証はあるんでしょうか?

「ある男が初めて君を欺いたときには、彼を辱めるがいい。しかし、その男がもう一度君を欺いたとしたら、君自身を恥じるがいい。」

ですから自分は社会主義政権下の経済発展とか寝言の類だと判断しております。連中のいうことを信用するのは彼らが移動の自由や言論の自由を認めてからでも遅くないと思いますね。

Posted by: SLEEP | December 01, 2007 at 01:14 PM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。とりあえずエントリーを挙げてしまおうと思いまして。

もし血縁地縁その他の関係が一切存在しなかったら、とのことですが、日本にもそのような社会は存在します。2chという奴ですね。「嘘を嘘と見抜けるようになれ」「転んでも泣かない」というのはきわめてジェノア的な、相手を信用しないことを前提にした社会秩序です。逆に言うと、どれほど縁が無い社会であっても、そこに秩序は生まれうるのだと思います。それが効率的かどうかは別の問題ですが。

また、子が親の面倒を見る保証が無い場合の最適行動は遺産を用意しておくことです。「面倒を見ないなら遺産はやらん」と言ってしまえばよいわけですね。ですから、縁があろうとなかろうと、そこに様々な協力関係や信頼関係を作り上げることは可能であろうと思います。

Posted by: 馬車馬 | December 02, 2007 at 05:31 AM

アングラさん、コメントありがとうございます。

アジアというのはかなり適当なくくりで、おっしゃるとおり中国などは私はジェノア型の社会と第1段階の血縁の組み合わせであると考えたほうがよいと思います。(または、昔は血縁で今はジェノア型)

その意味では、儒教というのは血縁型の社会に生まれるべくして生まれた倫理体系だったといえるのかもしれませんね。そして、第3回で少し言及していることですが、血縁が重視されない日本で儒教が変節したのも、また当然のことと考えるべきなのかもしれません。儒教だろうがなんだろうが、それぞれの社会システムに最適な倫理が構築されるのであり、そのラベルが儒教であろうとイスラム教であろうと、社会から見ればそのラベリングにたいした意味は無い、という極論もありえるかもしれません。

Posted by: 馬車馬 | December 02, 2007 at 05:37 AM

SLEEPさん、コメントありがとうございます。

社会における上下関係の発生というのは面白いトピックで、私も第5回あたりでその話をするつもりです。というわけで、この件のリプライはそのときまでお待ちください。今書くとネタばれ(笑)になってしまいますので。

また、ギルドというのは権力者による私財没収に対抗する手段として生まれた側面もあるようですね。これは最終回に少しだけ触れる予定です(覚えていられればいいんですが)。

Posted by: 馬車馬 | December 02, 2007 at 05:41 AM

のびいさん、コメントありがとうございます。

そういえばチキンレースの話も2年ほど前になりますか。長いことお付き合いいただいてどうもありがとうございます。

まぁ、人民元安をキープして国内消費の爆発を押さえ、貯蓄を増やすことで設備投資、というのが中国の基本戦略でしょうから、まだまだ当面はドル高政策を放棄しようとはしないでしょう。アメリカの民主党がどういう対応を取るのか興味があるところです。

それにしても、中国がドルを売っているといううわさはよく聞きますが、本当なんでしょうかね。それでは固定相場を維持できないような気がするのですが。特にドルの下げ相場では。

Posted by: 馬車馬 | December 02, 2007 at 05:47 AM

SLEEPさん、のびいさんへのコメントに割り込むようですが一言。

FTが完璧なマスメディアであるかどうかはともかく(実際、頭を傾げたくなる記事が無いわけではありません)、日本のどんなマスメディアよりも情報の質量共に遥かに上を行く新聞であることは間違いないと思います。

それから最後の段落ですが、私は特に言論や移動の自由が経済成長の必要条件だとは思っていません。そもそも、世界全体をひとつの経済と捉えたときに移動の自由は今でも低いですが、それでも世界経済はずっと成長してきたわけですよね。また、言論の自由も、それが必ずしも保障されなかった時期は歴史的に見て長かったわけで、それにもかかわらず世界が過去2000年間程度の差はあれ成長してきたのには、それなりの理由があるのだと思います。

Posted by: 馬車馬 | December 02, 2007 at 05:51 AM

SLEEPさま

>連中のいうことを信用するのは彼らが移動の自由や言論の自由を認めてからでも遅くないと思いますね。

確かに中国には色々問題もあるだろうと思います。
(私は特に詳しいわけではないのですが)。

しかし移動の自由、言論の自由、といったことに関してはやはり社会状況によりけりなのではないかなと思います。

法輪功の信者が色々なアピールをしているのを見るとひどい国と思いますが、歴史を紐解けば(義和団の乱)なぜそこまで厳しく取り締まるのかもわかるような気がします。

それから、ひとつ言えることは彼らは既にもう共産主義ではないということです。共産党の独裁であるかどうかは根本的な問題ではないと思います。要するに米国の政治を動かしている人たちにとって金もうけの種になるかどうかが敵味方の基準だろうと思います。

ついでに言えば、そういうことからすると旧来の日本式資本主義(株式の持ちあい、会社は社員のもの)は目の敵でしかないわけです。かつてはソ連に対する不沈空母だったから日本の存在価値があったわけで、クリントンになってからジャパン・パッシングとなったのは、個人的感情と言われることが多いのですが実は全然そうじゃないんじゃないでしょうか。

多くの国が中国とうまくつきあった方がいいと考えていることは事実であるように思います。それは中国が好きかどうかとはまた別の問題だろうとおもいます。

Posted by: のびい | December 02, 2007 at 07:05 AM

馬車馬さん・・・、2chじゃ経済交換につながらないじゃないですか(笑)

縁があろうとなかろうと、そこに様々な協力関係や信頼関係を作り上げることは可能だというのには同意しますね。
エントリの中で、古代ローマ帝国が出てきてますが、そのローマでは政治混乱や異民族の侵入により辺境部に住めなくなった人々が都市部に流入、その結果、都市部に縁もゆかりもないバラバラの人間たちが増加してしまいましたが、そこでもキリスト教会という共同体が出来ました。
まぁ、結局はそのキリスト教にローマは乗っ取られたあげくに滅びるわけですが。

Posted by: 通りすがり | December 02, 2007 at 12:19 PM

馬車馬さま、のびいさま

18~19世紀の劇的な経済発展(つまり産業革命)には啓蒙主義による自由、平等が不可欠だったのではないでしょうか。御存知の通り、初め産業革命は英国で発生し、フランスから東へと伸びて、そして北米、19世紀末には日本に至るわけですがどういうわけかスペインやロシア、セルビアではこれっぽっちも発生する気配がなかったのです。オーストリア支配下のセルビア人地区ではあった発展がセルビア本土ではまったくなかった、この違いはどこにあるのかということです。
また良い証左の一つとして分断国家があります。かつて東ドイツと西ドイツ、ハンガリーとオーストリアは同じ国家でした。そしてソ連が崩壊した後明らかになったのは歴然とした格差です。古ぼけた生産設備、やる気のない労働者、河を黒く染める排水・・・社会主義というのはすべからくこうなるんですね。移動の自由がなければやりたい仕事を探すこともできないでしょう。言論の自由がなければ公害を告発することもできません。生産設備を定期的に更新するには資本の自由が必要です。そういったものを無視して党官僚がエイっとやった結果の大失敗なのです。

Posted by: SLEEP | December 03, 2007 at 09:08 PM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

情報交換は立派な経済活動ですよ。むしろ難しいのはああいう場での効率的な情報交換とは何かを定義することだと思います。そのあたりはこのシリーズの中で機会があれば触れる予定です。

キリスト教というのは解釈が難しい存在で、教会を中心とする一種のギルドと言えますが、同時に法制度を支える様々な(原始的)契約関係をバックアップする役割を果たしてもいます。神をある種の第三者として捉える視点はその意味で便利なものの考え方なのでしょうね。

Posted by: 馬車馬 | December 08, 2007 at 10:05 PM

SLEEPさん、コメントありがとうございます。洋才型の社会とギルド型の社会のどちらが経済発展に適しているか、という話題は私もシリーズの最終回で書く予定です。

ただ、このような枠の広い議論は、「なぜそうなるのか」という筋道をちゃんと説明しないと、ある種の占いになってしまうような気がします。自由と平等はどのようにして経済発展に寄与し、それがないとどのように経済発展が阻害されるのか。そもそも、そこに因果関係が成立しているのか。もしかしたら全く別の要素が経済発展を促し、自由というのはその副産物である可能性もあるわけです。相関と因果関係は違います。その辺りを注意しないと、自由平等が経済発展の必要条件であるか否かを議論するのは難しいように思います。

私もまだ最終回のネタは固まりきっていないので、もう少し考えてみる予定です(私は特に社会主義に注目するつもりは無く、あくまでもギルド型か洋才型かの枠組みで考える予定ですが)。

Posted by: 馬車馬 | December 08, 2007 at 10:41 PM

SLEEPさん

おっしゃりたいことはわかりますが、現在は冷戦下とは全く状況が違います。冷戦下では東西の経済は基本的に分断されていました(もちろん一部貿易は行われていましたが)。

当時は西側の技術や資本が東側に入ることはありませんでした。

西側に比べて東側の技術は大きく遅れていました。ベルリンの壁が崩壊した時に東ドイツのトラバントと西ドイツのVWの間にはあまりにも大きな差がありました。

しかし、これはもともと西側に比べて大きいとは言えなかった経済力の主要な部分が軍事部門にあてられていたという事情もあります。第2次大戦後のある時期にはソ連の経済成長率は米国を上回っており、宇宙開発などにおいては米国を先んじた時期もあります。

また、韓国、台湾、香港などをみても経済成長の方が民主化に先んじているように思います。

実は日本の近代化もそうで、当初は欧州から技術を導入し、官営で八幡製鉄所、富岡製糸場などを作りました。そして後に民間に払い下げる、という方法をとりました。そして民主化に関しても議会の開設、普通選挙の実施に至るまでには大分時間がかかっています。

中国の場合は国内に大きな発展段階の格差を抱えていることと、国が巨大過ぎることから民主化や言論の自由の導入はそう簡単ではないかもしれません。

しかし、上記の様々な国の例からも言えるように、現在の中国のように外部からの技術の導入によって発展できる段階であればそれらが政治的な自由がないことが経済発展の妨げにはならないと思います。

が、画期的なイノベーションや発見がおこるためには自由度の高い社会の方がむいているということは言えるのだろうと思います。そのへんがモノ作りの洗練度では日本に追い抜かれた後でも、米国が依然としてトップランナーとして新しいものを生み出し続けている大きな理由の一つだろうと思います。

Posted by: のびい | December 09, 2007 at 06:17 AM

のびいさま

1930年代というのはドイツ最良の時代でした。ベンツやアウディ、マイバッハは世界最高の車メーカーで、記録映画でヒトラーがオープンカーから手を振りますが、確かに華やかです。またこの時期のクラシックカーにはなんとも言えない魅力があります。クライスラーのPTクルーザーはその頃のデザインをモチーフにしてますね。
さてではなぜ同じドイツ人の設計したゴルフとトラバントの違いが生まれたのか、戦争で工場が破壊されても人さえ残れば技術レベルというのは残ります。つまり戦後のスタート地点では東西ドイツの差はさほどではなかったわけです。既にビートルという良いお手本はあるわけですし。
ゴルフという車も当初は紆余曲折あって開発されました、そしてその優れたレイアウトは30年近く小型車のデファクトスタンダードです。世界中で真似され生まれてくるライバルたちに常に勝たねばなりません。そういった厳しい競争が資本主義にはあります。一方社会主義にはそれがありません、競争しようにも既にマーケットは閉じています。雇用者は原則首になりませんし、頑張っても給料は上がりませんからやる気も出ません。
先進国のモーターショーでは中国人がメジャーで外寸を測ってるんだそうです。それ自体は日本人もやってたそうですが、YOUTUBEでの中国車の衝突試験を見ると寒気がします。だからと言って中国車メーカーの上層部は責任を問われたりしません、なぜならあの国の会社というのは国家のものであり、日本で言えばお役所や外郭団体です。上層部というのは市長や銀行の頭取、地方の書記長クラスが順々に回ってくるだけで、その無責任商品を外国や自国民に売って金儲けするだけです。たまに漏れて伝わってくる農薬や公害はそういうわけです。恐ろしい話でしょ。

Posted by: SLEEP | December 09, 2007 at 05:11 PM

再びコメントします。

前回はちょっとあまり考えつくさないままでコメントしてしまいました。特にアメリカ云々のところは言いたい事がうまく言えてません。「ジェノア型の法治社会が世界に広がることは、誰とでも取引可能なシステムが広まることでもあり、誰とでも取引可能であるということは、つまり彼らの取引相手も世界中に広がっていくということ。だからアメリカは法治主義が広まることを歓迎するし、またその他の国々も法治主義に移行したがる。」みたいな事を言いたかったのです。だから彼らにとって重要なのはルールの共有であって、EUのような「ヨーロッパクラブ」は必要としないんだー、みたいな。

それと、社会システムの話をしているのにEU国家間の話をするのはちょっとわき道でした。上のアメリカのこともそうなんですが。ギルドと聞いてぱっと浮かんだのがEUだったもので(個人的にホットトピックスでしたし、と言っても一般人のちょっとした趣味レベルなんですが。)。

Posted by: 雪白 | February 05, 2008 at 06:40 PM

雪白さん、コメントありがとうございます。リプライが盛大に遅れてごめんなさい。最近家に帰ってきた段階で「難しいこと考えるのは一切嫌」というほど疲れきっておりまして、ついついブログを開くのをサボっておりました。

アメリカについての指摘には全面的に賛成します。最後のほうで改めて触れる予定ですが、アメリカ人やイギリス人の「統一ルールの共有に対する思い入れ」は、我々日本人が想像する以上に強いものであるように思います。

EUのギルド的側面というのも少し分かるような気がします。もともと、大陸ヨーロッパは歴史的にギルド社会的な性格を強く持っていたわけですし。これも最終回で改めて触れる予定です。

Posted by: 馬車馬 | March 25, 2008 at 08:51 AM

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