和魂と洋才と残業したい人々(上)
筆者が海外のオフィスにお邪魔した時、最初に違和感を感じたのは電話だった。オフィス中に反響しそうな勢いでビービー鳴っているにもかかわらず、誰もその電話を取ろうとしないのである。こちとら「誰の電話が鳴っていようと、3コール以上通話相手を待たせるべからず」という鉄則を叩き込まれてきたクチだから、これはどうにも落ち着かない。3コール目くらいからソワソワし始め、5回、6回、と心の中で指折り数えてしまう。集中力もへったくらもあったものではない。7コール目くらいになると救いを求めて秘書の方を見るのだが、これまた泰然と無視なさっておられる。どれだけ大物なんだ。さぞかし名のある家の出に違いない。次からはマダムと呼ぼう。
そういう益体もないことを考えている間に、電話のコールは十を数える。こちらは何もしていないのに既に疲労困憊である。流石にこのころになると、周囲も電話のことを気にかけ始めるのだが、その態度は明確に「うっせーな、粘ってないでさっさと切りやがれ」というものであり、この後に及んでもなお誰も受話器を取ろうとしない。君達我慢強すぎ。そこからはもう我慢比べである。勝率(相手が電話を切れば勝ち)は7~8割くらいではなかったか。
こういうことが何回か続いた後で、隣の外人に「電話を取らなくてもいいの?今の外線だったよね?」と聞いてみたのだが、「え、でも俺宛ての電話じゃないし」と、質問の意味が分からない様子である。その後の拙い英語でのやりとりをまとめると、「通話相手は(離席中の)彼と話したくて電話をしてきたのであり、俺は彼の仕事を何も知らない。そんな自分が勝手に他人の電話を取るべきではない。ボイスメールはそのためにあるのだから、それを活用すべき」。いや、ごもっとも。
しかし、日本人の我々は、他人の電話でもさっさと取って要件を聞いた方が良いケースを知っている。もしかしたら先方は急ぎの用かもしれないし、それは自分でも対応可能なことかもしれない。少なくとも、先方に担当者がいつ戻るかといった情報を伝えることは出来るはずだ。そういう助け合いは、個々には些細なケースであっても、全体で見れば組織のパフォーマンスを高めるということを我々は知っているのである。
Recent Comments