和魂と洋才とアメリカンドリーム

前回前々回と、欧米の「ジェノア型」組織の非生産的なところばかりを強調して書いてきたので、こういう疑問を持つ方もいたかもしれない。「アメリカ人ってそんなにみんな怠け者だったっけ?」

実際、アメリカ人には、日本人よりも遥かに「ワーカホリック」な人がいくらでもいる。ウォール街で働く証券マンなどはいい例だろう。朝5時に起床して会社まで30分のジョギング。会社でシャワーを浴びて6時には席に着き、メールをチェックしつつロンドンやらシンガポールやらと電話。朝の8時にはモーニングミーティングに出席し、9時半にマーケットが開けば、めまぐるしく動く株価をにらみながら右へ左へと叫び続ける。よほどの理由がない限り、ランチを外に食べに行くなどあり得ないことである。マーケットが閉じるのが4時、その後で取引の後始末をしたり客のリクエストに応えたりしているとあっという間に7時になる。客とのディナーが入っていればこの後深夜まで飲み続けてしゃべり続ける。そうでなければ多分9時くらいには会社を出られるだろう。トレーダーならもっと早く帰れるし、アナリストだともっと遅くなる。アナリストの場合は、帰宅が午前1時になるのも特に珍しいことではない。

家に帰ったところで、それで仕事が終わりというわけではない。下っ端アナリストであれば上司からの「明日の朝までにこれを用意しておけ」という電話に怯え続けなければならない。トレーダーの場合は、深夜に相場が動くたびに叩き起こされたりする(相場が動くとアラームで教えてくれる、それはそれは親切な機械があるのである)。法務部のような一見平和そうな部署でさえ、午前3時に叩き起こされて、地球の裏側での取引の決裁を要求されることは日常茶飯事だ。うっかりブラックベリーを会社に置き忘れて来ようものなら、居間の電話が容赦なく鳴り響く。折角寝付いた赤ん坊は夜泣きを再開。妻の殺気だった視線と赤ん坊の泣き声に耐えつつ、寝惚けている脳細胞にムチをくれて、電話先で下手くそな英語をまくし立てる営業マンから決裁に必要な情報を聞き出さなければならない。

金融市場がお休みの土日は暇かというとそうでもない。土曜日は朝から客や上司とテニスやゴルフ。日曜日は夕方に出社するかネットをつないで、月曜日の仕事のための仕込みをしておかなければならない。1年の間で、仕事のことを完全に忘れられる日など存在しないのだ。

これらがウォール街の特殊なケースというわけでもない。Center for Work-Life PolicyというNPOの調査によると、大企業の重役・管理職の45%が週に60時間以上働いているそうだ。月の残業時間に換算すると110時間弱。NPOが”extreme workers”と呼ぶこの45%に限って言えば、毎月の平均残業時間は170時間に達する。このグループのうち、約半数は有給休暇を一桁しか消化していない。プライベートなんてものは犬に食わせてしまったとしか思えない仕事ぶりである(注1)。

そして、彼らは周りから強制されて働いているわけではない。別に自分一人がさっさと帰ってしまっても、仕事さえこなしていれば咎められることはない。ここはジェノア型の組織なのだから。実際、彼ら”extreme workers”の中で、「周りやボスに強制されて働かされている」と感じている人は殆どいなかったそうである。むしろ、彼らの67%は激務を「自らに課している」と答えている。ついでに書くと、76%が自分の仕事を愛しているとも答えているそうだ。

なぜ彼らはそこまでして働くのだろうか?今回は日本の話からは少し離れて、ジェノア型組織で働く人々のことを考えてみたい。

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和魂と洋才と残業したい人々(下)

終身雇用、年功序列、そして持ちつ持たれつ助け合い、と並べると、何だか日本の会社というのは随分と居心地が良さそうに思えてくる。実際、こういうことを思う人は少なくないらしい。で、「この厳しい国際競争の世の中では、日本企業のような甘っちょろい組織は生き残れない!」といった、様式美と呼ぶべきお約束の議論が始まるわけだ。

しかし、日本の企業というのはそんなに甘い組織なのだろうか。そして、容赦なくクビを切る(と言われる)欧米の企業というのは、そんなに厳しい組織なのだろうか。正直、筆者には、日本の企業が"使えない人々"に対して甘い組織だとは到底思えないのである。

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和魂と洋才と残業したい人々(上)

筆者が海外のオフィスにお邪魔した時、最初に違和感を感じたのは電話だった。オフィス中に反響しそうな勢いでビービー鳴っているにもかかわらず、誰もその電話を取ろうとしないのである。こちとら「誰の電話が鳴っていようと、3コール以上通話相手を待たせるべからず」という鉄則を叩き込まれてきたクチだから、これはどうにも落ち着かない。3コール目くらいからソワソワし始め、5回、6回、と心の中で指折り数えてしまう。集中力もへったくらもあったものではない。7コール目くらいになると救いを求めて秘書の方を見るのだが、これまた泰然と無視なさっておられる。どれだけ大物なんだ。さぞかし名のある家の出に違いない。次からはマダムと呼ぼう。

そういう益体もないことを考えている間に、電話のコールは十を数える。こちらは何もしていないのに既に疲労困憊である。流石にこのころになると、周囲も電話のことを気にかけ始めるのだが、その態度は明確に「うっせーな、粘ってないでさっさと切りやがれ」というものであり、この後に及んでもなお誰も受話器を取ろうとしない。君達我慢強すぎ。そこからはもう我慢比べである。勝率(相手が電話を切れば勝ち)は7~8割くらいではなかったか。

こういうことが何回か続いた後で、隣の外人に「電話を取らなくてもいいの?今の外線だったよね?」と聞いてみたのだが、「え、でも俺宛ての電話じゃないし」と、質問の意味が分からない様子である。その後の拙い英語でのやりとりをまとめると、「通話相手は(離席中の)彼と話したくて電話をしてきたのであり、俺は彼の仕事を何も知らない。そんな自分が勝手に他人の電話を取るべきではない。ボイスメールはそのためにあるのだから、それを活用すべき」。いや、ごもっとも。

しかし、日本人の我々は、他人の電話でもさっさと取って要件を聞いた方が良いケースを知っている。もしかしたら先方は急ぎの用かもしれないし、それは自分でも対応可能なことかもしれない。少なくとも、先方に担当者がいつ戻るかといった情報を伝えることは出来るはずだ。そういう助け合いは、個々には些細なケースであっても、全体で見れば組織のパフォーマンスを高めるということを我々は知っているのである。

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和魂と洋才と「会社」の仕組み

初めて会った外国人と話す時の"お決まりのネタ"のひとつが、「日本人が働き過ぎるのはなぜか」というものだ。日本では"work for life"ではなく、"life for work"であるらしい、というのは、誇張交じりにせよ海外でもよく知られている。そしてこのネタになると、欧米人は心からの同情を込めて、馬車馬のように働くこの哀れな日本人を慰めてくれるのである。「人生に疲れたら僕の国においで」、と。こう言ってくる時、彼らの頭の中でドナドナの悲しい調べが奏でられていることを筆者は疑わない。

この件に限らず、日本人の働き方が欧米のそれとは大分異なっていることはよく知られているし、日本人の側でもそれなりの自覚がある。なぜ日本ではどいつもこいつも長々と残業しているのか? なぜ日本の会社は中途採用に対してこれほど消極的なのか? 成果給はなぜいつまで経っても根付かないのか? 日本の労働組合はなぜ企業と戦おうとしないのか?

もちろん、日本人の働き方が悉くネガティブに捉えられているわけではない。日本人の接客態度は間違いなく世界最良の部類だろうし、あの複雑極まる交通システム(特に電車)を完璧に運営することは、他の国々 - 特に、ドイツを除く欧米諸国 - にはほとんど不可能な難事に違いない。そしてなにより、自動車産業に象徴される高い生産効率。だからこそ、良きにつけ悪しきにつけ、日本の企業組織というのは興味と議論の対象になってきたわけだ。

前回まで(とはいえ、最後に書いたのは1年前なのだが)、日本独特の文化が「裏切ったら村八分」という、ある種陰険な評判メカニズムによって律される社会構造の産物であると書いてきた。そして、評判メカニズムは「異邦人」に対して脆弱な仕組みであり、それ故に人の出入りが激しい社会ではこのメカニズムは機能しない。それが温泉や医療システムでの国ごとの違いを生んでいる。

そして、社会が人間同士の関係性で成り立っているように、会社組織もまた突き詰めれば人間関係だ。ならば、日本と欧米との会社構造の違いも、同じ視点から考えることが出来るかもしれない。そこで、このシリーズの第2部として、日本と欧米の会社組織の違い、働き方の違いがどこからくるのか、それを考えていくことにする。今回は、このシリーズのネタ元であるグライフ教授の研究を紹介するところから始めたい(注1)。

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和魂と洋才と医療の崩壊(下)

随分間が開いてしまったが、前回と前々回で、日本社会の評判メカニズムが機能しなくなると、社会のあちこち(温泉であったり、救急医療だったり)が綻んでいく、と書いた。しかし、ここで話を〆てしまうと、結局「昔は良かった」というご老人の繰言と大差がなくなってしまう。そこで今回は、前回に引き続き医療を例に取りながら「じゃぁ、どんなシステムならうまくいくのか?」ということを考えてみたい。

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和魂と洋才と医療の崩壊(上)

前回、ギルド社会で赤の他人を信用できるのは評判メカニズムのおかげであり、そしてその信頼関係は異分子の混入に対して脆弱なので、ギルド社会は本質的に排他的にならざるを得ない、ということを書いた。それこそが銭湯などでの「日本人は外人を差別する」というお約束の主張につながっていくのだ、という所で〆たわけだが、別に異分子とは外人に限らない。ギルド社会が機能不全に陥れば、誰だって異分子になってしまうのだ。今日はそんな話を。

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和魂と洋才と温泉のガイジン

日本や日本の文化が好きな外国人というのは昔も今も結構多い。その中でもとりわけ彼らのジャポニズム心を刺激するのが温泉や銭湯であるらしい。こちらのページでもやたらと絶賛されているし、筆者の友人にも温泉ガイドブックを辞書を引きながら頑張って読んでいる人がいた(一方で、他人と一緒に風呂に入るというのはどうも馴染めない、という人も多いが)。

我々が外国すげえ、と思うのは日本ではとても出来そうにないことが当たり前に行われているからであり、海外の人間が温泉を見て喜ぶのはあんなシステムが彼らの母国ではとても出来ないと思うからである。上のページはこんな文章で締めくくられている。『驚くほど見事なトイレや風呂を開発することは、われわれにもできるかもしれない。しかし、穏やかで平等な、信頼関係が成り立っている社会、犯罪もなく、素晴らしい技術をわずか3ドル程度で楽しむことができ、そして大勢の他人の前で裸でいられる、そんな社会空間を作り出すことは無理だろう。仮にできたとしても、きっとそれは、「政治的」と揶揄されるたぐいの行動になりそうだ。』

筆者の(それほど多くも無い)経験から言うと、大勢の前で裸でいられるような社会空間、という評価は外人の日本評として頻繁に語られる点であるように思う。「日本は鍵を掛けなくても暮らしていけるんだよね」という神話は海外では未だに根強いし、実際田舎では未だに結構あるらしい。少し前に外国人の入国時の指紋チェックが始まったとき、新聞に「知らない人を見たら友達だと思え、という考え方こそが日本の良さだったのに」と嘆いているドイツ人か誰かのコメントが載っていたが、これも同様の評価だろう。日本人のこの「性善説的気質」は日本を訪れる外国人の大半に強い印象を残している。しかし、日本で出来ることが、なぜ海外では無理なのだろうか?

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和魂と洋才とユダヤの商人

もう何年も前の話になるのだが、コーポレートガバナンスという「洋才」を使いこなすために「洋魂」が必要かもしれない、というエントリーを読んで色々と考えたことがある。日本の社会というのは、欧米のそれとは少し違うものであるらしいということはよく知られている。ここが違う、あそこが違う、と言い合うのは、ある種の「お茶漬けナショナリズム」とも相まって、海外旅行をした日本人の楽しみの一つでもある。

しかし、この手の話題は大概非常にあいまいなところでストップする。海外だと接客態度が悪すぎる。目の前に困っている客がいるなら、何とかしてやろうと思うのが自然ではないのか。欧米の企業に比べて日本の企業は非効率すぎる。みんな仲良く残業しなきゃいけないなんてナンセンスだ。この手のお約束トークは挙げればきりが無いが、「では何故日本ではそうなっているのか?」という段になると、大概が精神論で終わってしまう。日本人の気質だから、とか、日本人魂とか。その気質ってなに?と言っても答えは出てこない。せいぜい「教育の成果だろう」という程度のものである。大体、「教育の問題だ」という言葉は、世の中の問題の9割以上に通用するマジックワードであって、これは実際は何も言っていないに等しい。

そこで、今回から何回かのエントリーで、この「日本人の魂」という奴は一体何なのか、そして対となって出てくる洋才とは何が違うのか、少しじっくりと考えてみたい。もしかしたら、日本社会が何故欧米のそれと違って見えるのか、その答えも少し見えてくるかもしれない。

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