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<title>マーケットの馬車馬</title>
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<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-1d01.html">
<title>和魂と洋才とアメリカンドリーム</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-1d01.html</link>
<description>前回前々回と、欧米の「ジェノア型」組織の非生産的なところばかりを強調して書いてき...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bac7.html&quot;&gt;前回前々回&lt;/a&gt;と、欧米の「ジェノア型」組織の非生産的なところばかりを強調して書いてきたので、こういう疑問を持つ方もいたかもしれない。「アメリカ人ってそんなにみんな怠け者だったっけ？」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実際、アメリカ人には、日本人よりも遥かに「ワーカホリック」な人がいくらでもいる。ウォール街で働く証券マンなどはいい例だろう。朝5時に起床して会社まで30分のジョギング。会社でシャワーを浴びて6時には席に着き、メールをチェックしつつロンドンやらシンガポールやらと電話。朝の8時にはモーニングミーティングに出席し、9時半にマーケットが開けば、めまぐるしく動く株価をにらみながら右へ左へと叫び続ける。よほどの理由がない限り、ランチを外に食べに行くなどあり得ないことである。マーケットが閉じるのが4時、その後で取引の後始末をしたり客のリクエストに応えたりしているとあっという間に7時になる。客とのディナーが入っていればこの後深夜まで飲み続けてしゃべり続ける。そうでなければ多分9時くらいには会社を出られるだろう。トレーダーならもっと早く帰れるし、アナリストだともっと遅くなる。アナリストの場合は、帰宅が午前1時になるのも特に珍しいことではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;家に帰ったところで、それで仕事が終わりというわけではない。下っ端アナリストであれば上司からの「明日の朝までにこれを用意しておけ」という電話に怯え続けなければならない。トレーダーの場合は、深夜に相場が動くたびに叩き起こされたりする（相場が動くとアラームで教えてくれる、それはそれは親切な機械があるのである）。法務部のような一見平和そうな部署でさえ、午前3時に叩き起こされて、地球の裏側での取引の決裁を要求されることは日常茶飯事だ。うっかりブラックベリーを会社に置き忘れて来ようものなら、居間の電話が容赦なく鳴り響く。折角寝付いた赤ん坊は夜泣きを再開。妻の殺気だった視線と赤ん坊の泣き声に耐えつつ、寝惚けている脳細胞にムチをくれて、電話先で下手くそな英語をまくし立てる営業マンから決裁に必要な情報を聞き出さなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;金融市場がお休みの土日は暇かというとそうでもない。土曜日は朝から客や上司とテニスやゴルフ。日曜日は夕方に出社するかネットをつないで、月曜日の仕事のための仕込みをしておかなければならない。1年の間で、仕事のことを完全に忘れられる日など存在しないのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これらがウォール街の特殊なケースというわけでもない。Center for Work-Life PolicyというNPOの調査によると、大企業の重役・管理職の45%が週に60時間以上働いているそうだ。月の残業時間に換算すると110時間弱。NPOが”extreme workers”と呼ぶこの45%に限って言えば、毎月の平均残業時間は170時間に達する。このグループのうち、約半数は有給休暇を一桁しか消化していない。プライベートなんてものは犬に食わせてしまったとしか思えない仕事ぶりである（注1）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、彼らは周りから強制されて働いているわけではない。別に自分一人がさっさと帰ってしまっても、仕事さえこなしていれば咎められることはない。ここはジェノア型の組織なのだから。実際、彼ら”extreme workers”の中で、「周りやボスに強制されて働かされている」と感じている人は殆どいなかったそうである。むしろ、彼らの67%は激務を「自らに課している」と答えている。ついでに書くと、76%が自分の仕事を愛しているとも答えているそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ彼らはそこまでして働くのだろうか？今回は日本の話からは少し離れて、ジェノア型組織で働く人々のことを考えてみたい。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;従業員を働かせる2つの方法&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前にも書いたことだが、人の出入りが激しいジェノア型の組織では、評判メカニズムが機能しない。こういう組織では、従業員を必死に働かせるというのは、なかなかに難しい作業のはずだ。&lt;strong&gt;従業員同士の相互監視が存在しない以上、上司の目を盗んでサボり放題なのだから&lt;/strong&gt;。「首切りが簡単な組織なんだから、使えない奴はクビにすればいい」？ そう簡単な話ではない。好景気なら、その従業員は容易に次の職を見つけ出すだろうから、「きりきり働かないとクビにするぞ！」という脅しは何の効果も持たない。それに、代わりに雇う新人が前任者よりも働くという保証もない。この&lt;strong&gt;前任者は実に合理的な理由でサボっていたのだ。ならば、例え別の職場の働き者を引き抜いてきたとしても、その新入りはやはり合理的にサボり始めると考えるべき&lt;/strong&gt;だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;で、どうすれば彼らをバリバリ働かせることが出来るかだが、やり方は二つある。一つは、&lt;strong&gt;中間管理職の締め付けを徹底的に強化して、サボる余地を与えない&lt;/strong&gt;こと。単純な方法だけに効果はあるのだが、サボっているかどうか傍目には分からない頭脳労働には使いづらい（これについては次回改めて触れたい）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう一つは、&lt;strong&gt;従業員に他社よりも高い待遇を用意する&lt;/strong&gt;こと。上のケースで「首切りの脅し」が効果を持たなかったのは、「クビになっても別の会社に行くだけだからどうってことないよ」と開き直られてしまうからだった。しかし、「今の会社をクビになったら、もはや今エンジョイしている待遇は望むべくも無い」ということになると、従業員の目の色は変わる。「君の後ろで100人が君の席を狙っていると言うことを覚えておきたまえ（フフン）」という、米系大手お約束の文句が効果を発揮するのは、こういう時である。好待遇というのは別に給料だけとは限らない。世界最大のボンドハウスであるPIMCOのメインオフィスは、&lt;a href=&quot;http://maps.google.com/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=en&amp;geocode=&amp;q=840+Newport+Center+Drive,+newport+beach,+CA&amp;sll=33.622624,-117.817383&amp;sspn=0.875949,0.997009&amp;ie=UTF8&amp;ll=33.607471,-117.903643&amp;spn=0.052898,0.064373&amp;t=h&amp;z=14&quot;&gt;カリフォルニアの海岸からすぐ&lt;/a&gt;の、&lt;a href=&quot;http://ameblo.jp/his-losangeles/entry-10132810021.html&quot;&gt;それはそれはいい所&lt;/a&gt;にある。カフェテリアをやたらと充実させたGoogleや、出張の際は新人でもファーストクラスと決まっている某ヘッジファンドのようなやり方もある。要は、自分の職場は素晴らしいところだと従業員に思ってもらえればいいのである。後は、出来の悪い従業員を適度に間引いていくだけで、残った社員はバリバリと働く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;効率性賃金と成果報酬賃金&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このような賃金制度はジェノア型と呼んでも良いのだが、ここではグライフ教授の元ネタに敬意を表して、&lt;strong&gt;効率性賃金&lt;/strong&gt;(&lt;strong&gt;Efficiency Wage&lt;/strong&gt;)と呼びたい(注2)。この制度は、能力と体力のある人間にとっては実に素晴らしい仕組みである。どんな会社だって有能な人間は欲しい。そして、引く手あまたの人間にはより良い待遇を用意しなければ、その従業員は今の仕事は適当に流しつつ、他社への移籍交渉に精を出すことになる。こうして、&lt;strong&gt;有能な従業員の賃金はどんどん上がっていく&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;有能な人間に高賃金、と書くと、一時期日本で流行った成果報酬賃金を思い出す方もいるかもしれない。しかし、この&lt;strong&gt;効率性賃金は成果報酬賃金とは似て非なる物&lt;/strong&gt;だ。成果報酬賃金とは、成果を出した社員に好待遇で報いる制度のこと。効率性賃金は、好待遇を与えることで従業員のやる気を引き出し、好成績を期待する制度だ。順序が逆なのである。日本では毎年の成績に連動して給料が変動するのが成果報酬賃金であり、欧米的である、と勘違いしている向きが多いような気がするのだが、別にそんなことはないのである。優秀な人間でも成果が上がらないときはある。だからといって杓子定規に給料を下げてしまっては、その従業員はさっさと別会社に移ってしまう。これでは全く意味がない。&lt;strong&gt;効率性賃金は、結果を残した人間ではなく、「これから成果を挙げそうな、自社でバリバリと働いてもらいたい人材」に金を払う制度&lt;/strong&gt;なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう考えると、日本で成果報酬賃金がイマイチ根付かない理由も見えてくるように思う。ひとつは、以前書いたように、&lt;strong&gt;マグレブ型の組織では従業員同士の協力が高度に発達しているので、個人のパフォーマンスは測りづらい&lt;/strong&gt;という点。もうひとつは、&lt;strong&gt;欧米型の賃金体系を「出来高制に近い、ドライな賃金体系である」と勘違いしている&lt;/strong&gt;ということ。疑問に思うなら、ボーナスシーズン（冬）に外資系に勤める友人を酒に誘ってみればよい。「あいつは俺よりも稼ぎが悪かったのに、ボーナスは俺より多いんだぜ」みたいな愚痴が山ほど聞けるはずだ。&lt;strong&gt;効率性賃金では、賃金は「こいつは頑張ればこのくらいやれるはず」という期待値で決まる&lt;/strong&gt;。むしろ&lt;strong&gt;ウェットな賃金体系&lt;/strong&gt;なのだ。この点は少し先の回で改めて触れたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;アメリカン・ドリーム&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この「優秀な人間には好待遇」という賃金制度には、いくつかのメリットがある。ひとつは、当たり前だが、&lt;strong&gt;世界中から優秀な人間を集められる&lt;/strong&gt;ということ。ジェノア型の組織では従業員同士のコミュニケーションはそれほど重視されないので、海外の人材の吸収はさほど難しくはない。その代わり、直属の上司の負担は増えるが（文法が目茶苦茶な部下のレポートを添削するのは彼の仕事である）。アメリカの繁栄を支える最大の要素と言ってもいいだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もうひとつは、&lt;strong&gt;長期雇用関係が成立しやすい&lt;/strong&gt;ということ。人材が会社から会社へと渡り歩くジェノア型組織にあっても、優秀な人は滅多に会社を移らない。辞めようとすると会社が待遇を吊り上げて引き止めるからだ。ゴールドマンサックスの敏腕トレーダーからCEO、そして財務長官にまで上り詰めたルービンもそのクチである。上司に辞意を告げたら、パートナー（ウォール街では夢のポジション。注3）の辞令が下りたのだそうである。入社して5年足らずでの超スピード出世であった。結局、ルービンはその後20年をゴールドマンで過ごすことになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、このやり方には問題もある。それは&lt;strong&gt;人件費の高騰&lt;/strong&gt;。特に、従業員の能力次第で会社の利益が大幅に変化する金融業界では、利益の大半を人件費で吐き出すことになる。それが昨今アメリカで問題になっているのはご存知のとおり。どれだけ非難されようと、米銀が高額のボーナス支払いをやめようとしないのは、そうしなければ人材が一気に散逸して利益が吹き飛ぶからだ。「金融業界が一斉に賃下げすればいいじゃないか」という意見も聞くが、優秀な人間というのはどんな業界でも食っていけるのである。そもそも、昨今の金融技術の発展を支えたロケットサイエンティスト達はNASAの出身だったのだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
アメリカンドリームとは、「優秀な人間には他社よりも良い待遇を約束せざるをえない」というジェノア型組織特有の現象である。そして、今回は「他社よりも好待遇の会社」のことだけを集中して書いてきた。では、&lt;strong&gt;相対的に待遇の悪い「他社」では、いったい何が起こっているのだろうか？&lt;/strong&gt; そのことを書く前に、過去の「アメリカンドリーム」が人類に何をもたらしたのか、軽く触れておくことにしたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;
本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大企業に勤めるアメリカ人は、下手な日本人などよりもはるかに「ワーカホリック」である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;従業員をバリバリ働かせるには、他社よりも良い待遇を用意すること。そうすることで初めて、従業員はクビになることを恐れるようになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この「やる気を引き出すための高賃金（クビにするぞ、という脅しを有効にするための高賃金）」は、成果報酬賃金とは全く違う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こういう会社には優秀な人間が集まるが、人件費が高騰するのが悩みの種。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;次回予告&lt;/strong&gt;：和魂と洋才とルネッサンス&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;目次：&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
第1部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7cef.html&quot;&gt;和魂と洋才とユダヤの商人&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b54e.html&quot;&gt;和魂と洋才と温泉のガイジン&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6f74.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(上)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_fab1.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(下)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　和魂と洋才と白羽の矢  &lt;予定&gt;&lt;br /&gt;
第2部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2bbf.html&quot;&gt;和魂と洋才と「会社」の仕組み&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bac7.html&quot;&gt;和魂と洋才と残業したい人々(上)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-207d.html&quot;&gt;和魂と洋才と残業したい人々(下)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-1d01.html&quot;&gt;和魂と洋才とアメリカンドリーム&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;注1&lt;/strong&gt;： 筆者はこのレポートを直接参照していないので、数字は孫引きのものであることに留意されたい（一応複数のソースで確認はしている）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注2&lt;/strong&gt;： シャピロ・スティグリッツの両教授がこの考え方を発表したのは1984年、グライフ教授の一連の著作は90年前後で、グライフ教授の論文でもこの効率賃金仮説は引用されている。興味のある方は適宜検索されたい（効率性賃金仮説で検索した方がいいかも）。英語が読める読者の方は、以下の原論文の最初の数ページが完璧な要約になっているので、そちらを参照されることをお勧めする。念のために書くが、話の都合上シャピロ・スティグリッツの議論を自己流にアレンジしているので、ここの議論は必ずしも彼らの議論とは一致しない点に注意。&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://econ161.berkeley.edu/teaching_Folder/Econ_202b/readberk/Shapiro_Stiglitz.pdf&quot;&gt;Shapiro, C. and J.E. Stiglitz (1984), “Equilibrium Unemployment as a Worker Descipline Device”, American Economic Review 74, 433-444.&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注3&lt;/strong&gt;： 当時株式公開をしていなかったゴールドマンサックスでは、社内の一部の人間が共同出資者として株を保有していた。この共同出資者のことをパートナーと呼ぶ。当然、利益が出ればボーナスどころではない莫大な利益を生むが、赤字になれば損もする。当時のウォール街では「夢のポジション」であり、自分がパートナーになれるとは期待していなかった、とルービンは回顧録に書いている。株式公開後はどうなっているのかは知らないが、一応パートナーという肩書きは残っているようである。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>和魂と洋才とユダヤの商人</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2009-08-23T19:18:13+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-207d.html">
<title>和魂と洋才と残業したい人々(下)</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-207d.html</link>
<description>終身雇用、年功序列、そして持ちつ持たれつ助け合い、と並べると、何だか日本の会社と...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;終身雇用、年功序列、そして持ちつ持たれつ助け合い、と並べると、何だか日本の会社というのは随分と居心地が良さそうに思えてくる。実際、こういうことを思う人は少なくないらしい。で、「この厳しい国際競争の世の中では、日本企業のような甘っちょろい組織は生き残れない!」といった、様式美と呼ぶべきお約束の議論が始まるわけだ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
しかし、日本の企業というのはそんなに甘い組織なのだろうか。そして、容赦なくクビを切る(と言われる)欧米の企業というのは、そんなに厳しい組織なのだろうか。正直、筆者には、日本の企業が&quot;使えない人々&quot;に対して甘い組織だとは到底思えないのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;同僚に&quot;優しい&quot;組織&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
海外のオフィスにお邪魔していると、当然一緒に夕飯を食べたりすることもあるわけだが、そういう席で&quot;上司の悪口&quot;で盛り上がるのは洋の東西を問わない。悪口の中身も、自分の業績を取られただの、査定が低すぎるだの、自分のやりたいことをやらせてくれないだの、どこかで聞いたことのあるような話ばかりだ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
ただ、ひとつ違うのは、少なくとも筆者の主観では、彼らは同僚の悪口を全く言わないということ。それも、角が立たないように注意深く話題を避けているというより、単に無関心であるように見えるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;よく考えてみると、これはジェノア型の組織では当然の現象だ。そもそも、同僚との共同作業が少ないのだから。隣の同僚がどれだけ仕事が出来ようが、逆に使えなかろうが、それは上司と雇用主の問題であって、自分は自分の仕事をきっちりとこなせばよい。そんな彼らが、折角の食事を同僚の愚痴などと言う非生産的な作業に費やす必要はないのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、夏に3週間休みを取っても誰も何とも思わない。挙句、「海外に引っ越した彼女と一緒に住みたいので、在宅勤務という形でその国から仕事をしたい」という要望があっさり通ってしまったりもする。さすがに給料は減ったらしいが。こんな組織では、日本ではお約束の「みんなが働いているのに自分だけが帰る罪悪感」など、生まれようはずもない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;優しくも厳しい日本の会社&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、互助を基本とするマグレブ型の会社では、だいぶ事情が異なってくる。この点を少し掘り下げるために、マグレブ型の助け合い組織の中に、「助けてもらうのは歓迎だけど、自分は他人を助けないよ」という不届き者がいた場合を考えてみよう。こんな時、互助組織で困るのは周りの同僚である。&lt;strong&gt;「助けないのに助けてもらう」人がいるということは、「助けているのに助けてもらえない」人がいるということ&lt;/strong&gt;。つまり、同僚を助けて評判を高めているのに、それに見合う手助けを得られない人がいるということだ。こうして、&lt;strong&gt;不届き者が増えるほど、高い評判を保つ意味は薄れてしまう&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ジェノア型の組織では、不届き者の存在はその上司にとっての問題でしかなかった。しかし、マグレブ型の組織では、「使えない」人々（怖い表現だが）は、頑張って働くメンバー全員の問題なのだ。&lt;strong&gt;他人の助力に「ただ乗り」するのは、「評判を維持するために頑張って働く」人々をコケにする行為に他ならない&lt;/strong&gt;のだから。頑張って働いている人がそういう「使えない」人々に対して不愉快を感じるのは、その意味で自然な成り行きといってよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんな組織では、同僚の出来不出来に対して自然と関心が集まる。「彼はどう？」と尋ねると仕事のスピードから人付き合いまですらすらと答が返ってくるのは、筆者の知る限り日本くらいのものである。同じ部署でもなければ人事部の人間でもないのに。普通の社員でこれなのだから、人事部ではどんな品定めが日々行われているのか、想像するだに恐ろしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;当然、この「社員同士の相互監視」で発見された&lt;strong&gt;「使えない人々」は排除する必要がある&lt;/strong&gt;。手っ取り早いのはクビにしてしまうことだが、これがなかなか難しい。&lt;strong&gt;雇用主側からしてみると、高度に協力関係が発達した組織で「誰が使えないか」を見分けるのは非常に困難&lt;/strong&gt;だからだ。使えないのが誰か、日々の噂話で把握している同僚にしても、個々の責任がちゃんと分かれていない以上、「使えない」証拠を挙げることは難しい。そんな状況で無理に解雇してしまうと、今度は前回の&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bac7.html&quot;&gt;「人助けの量は自分の地位の安定度に比例する」&lt;/a&gt;という条件に違反してしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうなると、同僚たちは雇用主に頼らずに「使えない人々」を排除していくしかない。仕事の割り当てが減り、オフィスの端へ、暇な部署 へ、そして子会社へ。&lt;strong&gt;村八分はマイルドに緩やかに進行してゆく&lt;/strong&gt;。こんな飼い殺しよりも、20代のうちにさっさとクビにしてもらったほうが、その後の人生まだ夢があるのではないかと思うのだが、なかなかそうは行かないのが日本の会社なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんな組織では、「自分の仕事は終わったので定時に帰ります」という、傍目には至極まっとうな行動が歓迎されない。&lt;strong&gt;まだ同僚たちは働いているのに自分だけさっさと帰るというのは、「自分は同僚を助けない」と宣言するようなもの&lt;/strong&gt;だからだ。これは、自らに「使えない不届き者」のレッテルを貼る行為に等しい。定時で上がれるくらいに仕事が楽ならば同僚を手伝うべきであり、それが嫌ならば忙しいふりでもしているべきである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、マグレブ型の助け合い組織では&lt;strong&gt;残業してでも同僚を助けたほうが得になる&lt;/strong&gt;、と書いた。ひっくり返すと、これは「&lt;strong&gt;残業してでも同僚を助けないと損をする&lt;/strong&gt;」ということでもある。ある人は「日本の会社の原動力はチームワークだ、カイゼンだ」と褒め称え、ある人は「残業を強要される、息が詰まる、これは奴隷だ」となじる。この正反対の意見は、実はまったく同じ意味なのである。その会社の景気がよければポジティブに解釈され、景気が悪ければネガティブに解釈されるというだけのことに過ぎない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;助け合いの対価&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「使える人々」は社内で高い評判を勝ち得た人たちのことであるように、村八分を食らう「使えない人々」は、社内での評判が下がってしまった人たちのことである。もしこの評判が100％正確なものであれば苦労はない。使えない人々は正しく村八分になるだけだ。問題なのは、&lt;strong&gt;評判は時として間違う&lt;/strong&gt;ということ。人間は残念ながら勘違いする生き物だし、もっと残念なことに間違った評判をわざわざ流す生き物でもあるのだ。知らない間に間違った評判で緩やかに村八分になるなど、恐怖以外の何物でもない。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
グライフ教授によると、マグレブ商人も似たような悩みを抱えていたらしい。行き違いの果てに「借金を踏み倒した」という評判を立てられた商人が、「私の評判は台無しだ」と嘆いた手紙が今でも残っているそうだ。マグレブ商人たちはゴシップ大好きのたいそう筆まめな人たちであったそうだが、&lt;strong&gt;彼らが筆まめであったのは、この種の「行き違いによる評判の低下」を避けるため&lt;/strong&gt;という理由もあったかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この手の行き違いは、情報網が発達した現代でもいくらでもある。だから、現代社会のマグレブ型組織に生きる我々も、また筆まめでなければならない。とはいえ、1000年前と違ってコミュニケーション手段は豊富だ。飲み会、カラオケ、ゴルフ、喫煙所、そして飛び交う電子メール。人によっては金と時間の盛大な無駄遣いとしか思えない行事の数々には、それなりの存在意義がある。腹を割って話す機会は、普段は分からない「評判の誤差」を修正する大切なチャンスになるのだ。&lt;strong&gt;コミュニケーションは、マグレブ型の助け合い組織の維持に必要不可欠なコスト&lt;/strong&gt;なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、欧米では職場の人間が頻繁に酔払うまで飲む、という習慣はあまり無いらしい。このコミュニケーションの欠如が徹底していたのがジェノアの商人で、中世イタリア史の本を読んでいると、ジェノア商人の秘密主義のせいで資料がない、と嘆く文章をよく見かける。新規開拓した航路、冒険の果てに見つけた素晴らしい宝物、全ては企業秘密でろくに書き残されることすらなかった。そんなわけで、世の中にベニスの商人を語る話は数あれど、ジェノアの商人を語るのは経済学者ぐらいしかいないのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;
隣の芝が青い理由&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう考えてみると、「アメリカと比べて、日本の会社は無駄な残業が多すぎる。もっと自由に働けるようにすべきだ！」というお約束の意見が、少し色褪せて見えてこないだろうか。無駄な残業は確かに非効率だし、それを強制するような「空気」は息苦しいものだ。しかし、日本の製造業とサービス業を支えるチームワークは、そういう無駄の上にのみ成立しうるものかもしれないのだ。ならば、日本企業のそういう長所を放棄しようとせずに、ただ「残業を減らせ！」と叫ぶことと、講演会場に車で乗り付けて「石油に頼る工業文明はおかしい！」と言い放つことには、大した違いはないのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;隣の芝はいつだって青く見える。それはその芝を維持するコストを知らないからだ。青い芝を維持するために朝5時に起きて手入れをしないといけないとしたら。農薬散布を欠かさないとしたら。そうそう気楽に隣の芝生をうらやむ気にはならないものだ。農薬を散布してでも完璧な青さを追及するか。それともちょっと芝生が枯れかけても余り手間暇はかけずにやるか。バランスの取り方が違うというだけで、どちらも正しいやり方だ。その一側面だけを取り上げて「欧米の方が素晴らしい」「いや日本の方が」などと比べてみても、実りある議論になりはしないのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「使えない人」は存在するだけで「助け合い組織」のパフォーマンスを低下させてしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのため、欧米と違い、日本の企業では「使えない同僚」に厳しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;残業をしないことは、同僚に「自分は手伝いをするつもりはない」という「使えない人間」宣言をすることに等しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このような組織では、コミュニケーションを密にしておかないと、勘違いから「使えない」というレッテルを貼られかねない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;次回予告&lt;/strong&gt;：和魂と洋才とアメリカン・ドリーム&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;目次：&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
第1部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7cef.html&quot;&gt;和魂と洋才とユダヤの商人&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b54e.html&quot;&gt;和魂と洋才と温泉のガイジン&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6f74.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(上)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_fab1.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(下)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　和魂と洋才と白羽の矢  &lt;予定&gt;&lt;br /&gt;
第2部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2bbf.html&quot;&gt;和魂と洋才と「会社」の仕組み&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bac7.html&quot;&gt;和魂と洋才と残業したい人々(上)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　和魂と洋才と残業したい人々(下)&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>和魂と洋才とユダヤの商人</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2009-06-12T10:30:55+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bac7.html">
<title>和魂と洋才と残業したい人々(上)</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bac7.html</link>
<description>筆者が海外のオフィスにお邪魔した時、最初に違和感を感じたのは電話だった。オフィス...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;筆者が海外のオフィスにお邪魔した時、最初に違和感を感じたのは電話だった。オフィス中に反響しそうな勢いでビービー鳴っているにもかかわらず、誰もその電話を取ろうとしないのである。こちとら「誰の電話が鳴っていようと、3コール以上通話相手を待たせるべからず」という鉄則を叩き込まれてきたクチだから、これはどうにも落ち着かない。3コール目くらいからソワソワし始め、5回、6回、と心の中で指折り数えてしまう。集中力もへったくらもあったものではない。7コール目くらいになると救いを求めて秘書の方を見るのだが、これまた泰然と無視なさっておられる。どれだけ大物なんだ。さぞかし名のある家の出に違いない。次からはマダムと呼ぼう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういう益体もないことを考えている間に、電話のコールは十を数える。こちらは何もしていないのに既に疲労困憊である。流石にこのころになると、周囲も電話のことを気にかけ始めるのだが、その態度は明確に「うっせーな、粘ってないでさっさと切りやがれ」というものであり、この後に及んでもなお誰も受話器を取ろうとしない。君達我慢強すぎ。そこからはもう我慢比べである。勝率(相手が電話を切れば勝ち)は7～8割くらいではなかったか。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
こういうことが何回か続いた後で、隣の外人に「電話を取らなくてもいいの?今の外線だったよね?」と聞いてみたのだが、「え、でも俺宛ての電話じゃないし」と、質問の意味が分からない様子である。その後の拙い英語でのやりとりをまとめると、「通話相手は(離席中の)彼と話したくて電話をしてきたのであり、俺は彼の仕事を何も知らない。そんな自分が勝手に他人の電話を取るべきではない。ボイスメールはそのためにあるのだから、それを活用すべき」。いや、ごもっとも。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
しかし、日本人の我々は、他人の電話でもさっさと取って要件を聞いた方が良いケースを知っている。もしかしたら先方は急ぎの用かもしれないし、それは自分でも対応可能なことかもしれない。少なくとも、先方に担当者がいつ戻るかといった情報を伝えることは出来るはずだ。そういう助け合いは、個々には些細なケースであっても、全体で見れば組織のパフォーマンスを高めるということを我々は知っているのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;使われる人々&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この手の「助け合い」の欠如は、何も電話に限った話ではない。カフェテリアで新人が慣れないレジ打ちに苦しみ、客が長蛇の列を成しているのに、横で悠々とコーヒーの機械をみがくベテラン店員というのも米英ではよくある光景である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;雇&lt;strong&gt;用関係がジェノア式に上下関係で成り立っている場合、即ち、人を使う側と使われる側が明確に分かれている場合、使われる側同士に助け合う理由がない&lt;/strong&gt;。新入りがへまをしても、それは雇用主とそのドジな新入りとの問題であって、自分の給料には関係ない。日本人なら、とっとと新人を使えるようにしてしまわないと自分が大変になる、と考えがちだが、これは「新人のへまのツケは客に回せばよい－責任を取るのは雇い主だ」、という発想が出来ない人間の考え方である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;こういう人間関係は、共同作業を必要とする産業では大きな問題となる&lt;/strong&gt;。カフェテリアであれば、出来るのは微妙に不満げな（しかし慣れっこになっている）客の列程度だから、大した問題ではない。しかし、もしこれが工場で起きれば、出来るのは行程の途中で吹き溜まる仕掛品の山か、最悪不良品の山になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こういう組織では、中間管理職は激務だ。部下同士のコミュニケーションや仕事のやりくりを期待できない以上、上司は部下のそれぞれの仕事ぶりを逐一チェックし、絶えず仕事の配分を微調整しなければならない。優先順位の低い仕事をしていれば止めさせ、働きすぎの部下がいれば仕事を減らし、場合によっては自分が仕事の一部を引き受けるか、その部署で請け負う仕事量それ自体を減らす。筆者の数少ない経験や伝聞による主観に過ぎないが、日本と比べ、欧米では管理職が部下それぞれの仕事へ強く介入する傾向があるように思う（部下が給料分ちょうどの仕事しかしない以上、部下の時間を最大限有効に活用するのは重要課題なのだ）。また、チームミーティングよりも個別面談を重視するのがセオリーであるらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とはいえ、管理職は万能ではない。調整が失敗すれば仕事は終わらない。日本では、ここらで中島みゆきがマイクを取り、不可能な難事を成し遂げるドラマがスタートするところなのだが、残念ながら欧米にはプロジェクトXは存在しない。出来ないものは出来ないのである。そして導かれる当然の結論。あきらめよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その結果、1月2日の仕事始めの日に、「線路工事が時間までに終わらなかったため、○○線は本日全面運休します」というような、ちょっと&lt;a href=&quot;http://www.ft.com/cms/s/0/3f917abe-b945-11dc-bb66-0000779fd2ac.html?nclick_check=1&quot;&gt;あり得ない出来事&lt;/a&gt;が起こるのである。これはイギリスの出来事なのだが、この国では鉄道のメンテナンスのためにクリスマスから年明けまで1週間、結構な数の路線が運休する。それだけでも日本人的にはちょっと信じがたい話だが、2008年の1月1日に終わっているはずの工事が、2日の朝になっても終わらなかったのである。結局、サービスが完全に回復するまでには何日かかかったらしい。この路線を使ってロンドンへ出勤する通勤客は大迷惑である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この件は流石に新聞沙汰になったので筆者も目にしたのだが、聞けばその2年前にも同じ事があったという。更に聞けば、ロンドンの地下鉄でも、たまに「深夜工事が終わらなかったので丸ノ内線は現在運休しております」みたいなアナウンスが聞けるのだそうだ。平日の朝に、である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;残業したい人々&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この手のあきらめというのは、日本の会社ではあまり見られない現象ではないかと思う。同僚の仕事が遅れていれば手伝い、会社のプロジェクトが追い詰められればみんなで頑張る。頑張れば何でも解決するというわけではないが、実際問題として、ある程度なら何とかなってしまうのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本の会社にあるのが単なる雇用主と被雇用者、使う人と使われる人々の関係だけだとすると、この頑張りというのは理解しがたい行動である。しかも、この頑張りというのはサービス残業で行われたりするのである。で、とにかく何でも3行にまとめたい人々は「日本人の気質を逆手に取られて搾取されている」とか、「日本社会は遅れているので、労働者の権利という概念がまだちゃんと理解されていない」とか、日本人は非合理的であるという前提でモノを語ろうとする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6f74.html&quot;&gt;第1部からの繰り返し&lt;/a&gt;になるが、全くの不合理な仕組みが数十年も続くことは考えにくい。&lt;strong&gt;残業する人には、その本人が意識していようと無かろうと、残業する理由があるはず&lt;/strong&gt;なのである。そして、組織構造が違うのなら、そこで働く人々に全く異なる「合理的行動」が存在するのは、いかにもありそうなことではないだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;試しに、ある会社にベテラン社員と新人社員の二人がいるケースを考えよう。上の例では、ベテラン社員には新人教育をするインセンティブはなかった。新人のために骨を折ってあげても給料が増えるわけではないし、仕事が出来るようになったところで自分の役に立つわけじゃない。客はそう言う状況に慣れているので、うるさく文句を言ってくることもない。新人が仕事を覚えようとそうでなかろうと、自分は自分のすべきことをするのみだ。こうして、&lt;strong&gt;ジェノア型の組織では、仕事量に明確な上限ができる&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、仮にこの会社が終身雇用制を敷いていたら、どうなるだろう。新人教育をしても給料が増えない点は変わらない。新人を育てる努力など客観的に測りようがないので、給料には反映させられないのだ。しかし、ベテラン社員にはひとつ新人社員を助ける理由がある。&lt;strong&gt;新人社員を鍛えておけば、後々で自分を助けてくれるかもしれない&lt;/strong&gt;ということ。体調が悪いときにシフトを変わってもらえるかもしれないし、自分が管理職になったときに無理を聞いてくれるかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;更に言うと、期待できるのはこの新人君からの助けだけではない。&lt;strong&gt;同僚が困っているときにさっと手助けが出来る人材。すなわち、使える人材。その評判は組織全体に伝わっていく&lt;/strong&gt;。そして、誰だって使える人材には協力したいものだ。仲良くなっておけば、いざという時に助けてもらえるかもしれないのだから。こうして、&lt;strong&gt;このベテラン社員は、新人君に作った「貸し」を、全然違う人から取り立てることが可能になる&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは実に効率のいいシステムだ。困ったときにはすぐに助けがほしい。でも、自分が今必要としている人が、実は昔自分が助けてあげた人でした、というような都合のいい話はなかなか無い。&lt;strong&gt;自分が「助けてあげられる人」と「助けてほしい人」とは、往々にして一致しない&lt;/strong&gt;ものだ。しかし、&lt;strong&gt;「個々人の評判」が飛び交っているような組織では、このミスマッチが問題にならない。&lt;/strong&gt;「借りがある人を助ける」のではなく、「誰かに貸しを作った人を助ける」のだ。そのためには、「誰が誰に助けたのか」という情報、すなわち評判が、皆に共有されている必要がある。こうして、&lt;strong&gt;評判メカニズムは組織内の協力関係を強固なものにしていく&lt;/strong&gt;のだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とは言え、人助けにも限度というものがある。いくら新人が助けを必要としているからと言って、それに無制限に応える必要があるのだろうか？助け合いと言っても、自分がその見返りを受けられる保証はない。もし自分が明日クビになってしまうなら、または明日にも会社が倒産してしまうなら、その会社での自分の評判には何の価値もないのだ。つまり、&lt;strong&gt;人助けで抱え込むべき仕事量は、会社の経営状態と、そこでの自分の地位の安定度に比例する&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうして、&lt;strong&gt;安定的な会社では、助け合いはさらなる助け合いを呼んで、チームワークはどんどん洗練されてゆく&lt;/strong&gt;。トヨタの「カイゼン」も、この洗練されたチームワークの一種と言えるのではないかと思う。日本の会社がチームワークを必要とする産業（各種製造業の生産技術、電車等の複雑なインフラの運営、など）に特に強みを発揮するのは、この辺りに理由があるのではないだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして同時に、&lt;strong&gt;従業員の仕事量はどんどん増えてゆく&lt;/strong&gt;。その結果として残業も増える。サービス残業になるケースも多い。要はただ働きである。しかし、それでも働く理由が彼らにはある。周りの同僚（上司や、場合によっては社長すら含まれる）を助け、自分が使える人材であることを示すこと。そういう評判を作り上げること。それが長期的にはむしろ自分の得になるのだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、そうは言っても、皆が皆そこまでポジティブに残業しているわけではない。&lt;strong&gt;「仲間に協力してバリバリ働くことが最適な会社」と、「同僚達に合わせてどこまでも働くことを強要する会社」との間には、実は理論上大した違いはない&lt;/strong&gt;のだ。その辺りを、次回に。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;使う側と使われる側が明確に分かれるジェノア型の会社組織では、使われる側の従業員同士には協力し合う理由がない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、マグレブ型の会社組織では、従業員同士が（管理職も含まれ得る）使い使われる協力関係を築く。このチームワークが日本企業の強み。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ジェノア型の組織では、従業員には給料分以上は働く理由がないが、互いに使い使われるマグレブ型の組織では、どんどん残業してでも同僚のためにそして会社のために働くことが最適になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;目次：&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
第1部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7cef.html&quot;&gt;和魂と洋才とユダヤの商人&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b54e.html&quot;&gt;和魂と洋才と温泉のガイジン&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6f74.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(上)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_fab1.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(下)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　和魂と洋才と白羽の矢  &lt;予定&gt;&lt;br /&gt;
第2部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2bbf.html&quot;&gt;和魂と洋才と「会社」の仕組み&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　和魂と洋才と残業したい人々(上)&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>和魂と洋才とユダヤの商人</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2009-05-21T11:44:08+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2bbf.html">
<title>和魂と洋才と「会社」の仕組み</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2bbf.html</link>
<description>初めて会った外国人と話す時のお決まりのネタのひとつが、「日本人が働き過ぎるの...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;初めて会った外国人と話す時の&quot;お決まりのネタ&quot;のひとつが、「日本人が働き過ぎるのはなぜか」というものだ。日本では&quot;work for life&quot;ではなく、&quot;life for work&quot;であるらしい、というのは、誇張交じりにせよ海外でもよく知られている。そしてこのネタになると、欧米人は心からの同情を込めて、馬車馬のように働くこの哀れな日本人を慰めてくれるのである。「人生に疲れたら僕の国においで」、と。こう言ってくる時、彼らの頭の中でドナドナの悲しい調べが奏でられていることを筆者は疑わない。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
この件に限らず、日本人の働き方が欧米のそれとは大分異なっていることはよく知られているし、日本人の側でもそれなりの自覚がある。なぜ日本ではどいつもこいつも長々と残業しているのか? なぜ日本の会社は中途採用に対してこれほど消極的なのか? 成果給はなぜいつまで経っても根付かないのか? 日本の労働組合はなぜ企業と戦おうとしないのか?&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
もちろん、日本人の働き方が悉くネガティブに捉えられているわけではない。日本人の接客態度は間違いなく世界最良の部類だろうし、あの複雑極まる交通システム(特に電車)を完璧に運営することは、他の国々 - 特に、ドイツを除く欧米諸国 - にはほとんど不可能な難事に違いない。そしてなにより、自動車産業に象徴される高い生産効率。だからこそ、良きにつけ悪しきにつけ、日本の企業組織というのは興味と議論の対象になってきたわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回まで（とはいえ、最後に書いたのは1年前なのだが）、日本独特の文化が「裏切ったら村八分」という、ある種陰険な評判メカニズムによって律される社会構造の産物であると書いてきた。そして、評判メカニズムは「異邦人」に対して脆弱な仕組みであり、それ故に人の出入りが激しい社会ではこのメカニズムは機能しない。それが温泉や医療システムでの国ごとの違いを生んでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、社会が人間同士の関係性で成り立っているように、会社組織もまた突き詰めれば人間関係だ。ならば、日本と欧米との会社構造の違いも、同じ視点から考えることが出来るかもしれない。そこで、このシリーズの第2部として、日本と欧米の会社組織の違い、働き方の違いがどこからくるのか、それを考えていくことにする。今回は、このシリーズのネタ元であるグライフ教授の研究を紹介するところから始めたい（注1）。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ギルド社会と水平構造&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業というのは、他人が協力しあう関係のひとつの形だ。そして、協力関係には主に2種類あることは「&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7cef.html&quot;&gt;和魂と洋才とユダヤの商人&lt;/a&gt;」で書いた。ひとつはギルド。&lt;strong&gt;組合仲間とだけ協力し合い、裏切りには村八分で対処する（評判メカニズム）&lt;/strong&gt;。マグレブ（北アフリカ近辺）出身で11世紀の地中海を股にかけて活躍したユダヤ商人たちは、この評判メカニズムを基に商売を広げていった。地中海は広い。コンスタンチノープルからスペインまでの取引を、自分一人で取り仕切るのは難しい。品物全てを自分で運んでいたら盗賊のいい餌になるし、旅をしている間はスペインからもコンスタンチノープルからも連絡が取れなくなる。スペインまで旅をしている間に客が逃げてしまっては目も当てられない。それよりも、スペインに協力者を確保して自分はコンスタンチノープルに留まった方が色々と有利だ。例えば、スペインに運んだ品物の代金の回収を依頼できるし、逆に向こうからの品物の代金をコンスタンチノープルで回収してやれば、両方の代金を相殺して金貨を運ぶことなく取引を成立させることが出来る。旅商人スタイルが廃れ、商人が定住を始めたのはこの頃になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただし、全てを独りで執り行う旅商人とは違い、定住型のビジネスはひとつ大きな問題を抱えている。それは、スペインの協力者が本当に協力してくれるか分からないということ。売上金回収の代行を頼んでも、協力者が売上金を持ってドロン、という可能性だってあるのである。協力者との信頼関係が、定住型ビジネスの要となる。そこでユダヤ商人たちが編み出したのが、&lt;strong&gt;「裏切られたらその商人の悪口を手紙に書いて四方八方に送り、その商人を村八分にしてしまう」という戦略&lt;/strong&gt;だった（とにかく筆まめな人たちであったらしい）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このようなシステムには、上下関係が存在しない。実際、グライフ教授の研究では、ユダヤ商人の間には、零細商人が大商人に隷属するといった上下関係は余り見られなかったようだ。仮にコンスタンチノープルの商人が零細で、スペインの商人が大商人であったとしても、コンスタンチノープルの商人はスペインの商人に業務の代行を頼むだろうし、逆もまた然りだ。&lt;strong&gt;マグレブのギルドは持ちつ持たれつの相互協力関係&lt;/strong&gt;であったのだ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;このような対等の関係(水平構造)が生まれたのは、ギルドを統べる評判メカニズムが大商人にも零細商人にも同じように機能するから&lt;/strong&gt;だ。評判を落として失うのは今の資産ではない。商人が死ぬまでの間に、ギルドに所属することで得られる利益を失うのだ。今貧乏だからといって、&quot;俺には失うものは何もないから、何をやっても良いんだ&quot;とはならない。もしこの若き貧乏商人が&quot;いつかのし上がってやる&quot;という大望を抱いているなら、それは自分の評判を維持する十分な理由になるのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;洋才社会と上下関係&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
一方で、地中海でマグレブ商人と覇を競ったジェノアでは、全く違う取引体系が成立した。この時期のジェノアの特徴は爆発的な人口の急上昇にある。1200年から1300年までの100年間に、3万人程度だった人口が10万人にまで拡大しているのである。人の出入りも当然に激しかっただろう。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
このような&lt;strong&gt;出入りの激しい社会では、評判メカニズムは機能しづらい&lt;/strong&gt;。「&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b54e.html&quot;&gt;和魂と洋才と温泉のガイジン&lt;/a&gt;」でも書いたとおり、すぐにジェノアを出ていってしまう人はジェノアでの自分の評判など気にしない。それに、人口が多くなればなるほど、悪い評判が伝わるまでに時間がかかるようになる。そもそも、自分の知らない人の悪口を聞かされても、いちいち覚えてなどいられないのだ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
だが、ジェノアの商人とて長距離取引は多い。海の向こうの取引先との折衝や代金の取り立てを任せられる人材との協力は必要不可欠だ。その協力者の裏切りは死活問題と言って良い。そこでジェノアの商人が取った戦略が、より多くの給料を払うこと。&lt;strong&gt;匿名性の高いジェノアでは評判メカニズムは使えない&lt;/strong&gt;。ならば、今十分に高い給料を払うことで&quot;裏切っても大して得にならないな&quot;と思わせるしかないわけだ。または、街のならず者を雇って非合法にお灸を据えるという手もある(注2)。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
これらの方法に共通するのは、&lt;strong&gt;他人を使うには金にせよ、腕力にせよ、ある種の権力を必要とする&lt;/strong&gt;ということ。ここにあるのは&lt;strong&gt;明確な上下関係&lt;/strong&gt;である。ジェノアでは、商人同士の助け合いは殆ど見られなかったらしい。彼らは腕を見込んだ貧乏人を使用人として雇い、それなりの報酬を与えて働かせた。どちらかというと、雇い主は金だけを出す金主で、実際に働くのは雇われエージェント、というケースが多かったようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、&lt;strong&gt;マグレブ商人の協力関係が暗黙のうちに築かれていたのと違い、ジェノアのそれは「commenda(コンメンダ)」と呼ばれる明確な契約に基づいていた&lt;/strong&gt;。厳密には、コンメンダは単純な雇用契約ではなく、合資会社的な性格を持っていたのだが、その辺りは別の機会に触れたい。待ちきれない方は塩野七生の「海の都の物語」を参照して頂きたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;和魂の会社、洋才の会社&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;グライフ教授も指摘していることだが、&lt;strong&gt;ジェノア型の上下関係に基づく組織運営は、その後欧米諸国に広がり、今や世界中のスタンダードになっている&lt;/strong&gt;。そもそも、カンパニーという言葉自体が、コンパニア(compagnon、英語ではcompanion)、即ち「パンを共にするもの」という、ラテン語で家族を意味する言葉を語源としているのである。これから何回かに分けて書くつもりだが、このイタリア発祥の組織形態は、間違いなく世界を変えた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その一方で、マグレブ型の組織というのは、その後余り目立たなくなってゆく。そして、&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E8%BA%AB%E9%9B%87%E7%94%A8&quot;&gt;20世紀も中頃&lt;/a&gt;になって、極東の島国で再発見されることとなった。日本の会社組織はマグレブのそれとどう似ているのか？欧米標準の「カンパニー」と比べ、どんなメリットとデメリットがあるのか？そして、日本の会社は欧米型に変わっていけるのか、その必要があるのか？その辺りの話を、次回以降3～4回に分けて書いていくことにしたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「裏切ったら村八分」というムラ社会的な評判メカニズムは、「持ちつ持たれつ助け合い」という、互いに対等な協力関係を生んだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、評判メカニズムが機能しなかったジェノアでは、「資金を持つ金主が高い給料を払って使用人（商人）を雇う」という、明確な上下関係に基づいてビジネスが行われた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ジェノア型の、明確な契約に基づく上下関係は、その後世界中の会社組織のスタンダードとなった。一方で、日本の会社は必ずしもこのスタンダードを共有していないように見える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;次回予告：&lt;/strong&gt;和魂と洋才と残業したい人々&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;注1：&lt;/strong&gt;興味のある方は、A. Greif &#39;Institutions and the Path to the Modern Economy&#39;, Cambridge University PressのChapter 9、またはA. Greif (1994), “Cultural Beliefs and the Organization of Society: A Historical and Theoretical Reflection on Collectivist and Individualist Societies”, Journal of Political Economy 102, 912-950あたりを参照されたい。前にも書いたが、マグレブとジェノアの話は全面的にグライフ教授の著作から引用している。ただし、何カ所か日本の話へと繋げるために解釈を変更したりしているので、これはグライフ教授の一連の著作の要約にはなっていない点に注意されたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もし入手可能であれば、本よりもJournal of Political Economy（ゲーム理論に興味がない方は、Journal of Economic Historyでも似たような論文があるのでそちらを当たられると良い）の論文を読むことを勧める。本の方の英語は余りにも読みづらい。一文が非常に長く、しかも文節が不明確で、悪文と言ってしまいたい位だ。折角の良著なのにあんまりである。編集者仕事しろと言いたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注2：&lt;/strong&gt;法規制というやり方があることは前にも書いたが、ここでは議論しない。4回くらい先の移民の話でもう少し詳しく書く予定。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;目次：&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
第1部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7cef.html&quot;&gt;和魂と洋才とユダヤの商人&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b54e.html&quot;&gt;和魂と洋才と温泉のガイジン&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6f74.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(上)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_fab1.html&quot;&gt;和魂と洋才と医療の崩壊(下)&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　和魂と洋才と白羽の矢  &lt;予定&gt;&lt;br /&gt;
第2部　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2bbf.html&quot;&gt;和魂と洋才と「会社」の仕組み&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bac7.html&quot;&gt;和魂と洋才と残業したい人々(上)&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>和魂と洋才とユダヤの商人</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2009-05-07T10:22:33+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-d6ae.html">
<title>イスラエルのしっぺ返し戦略</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-d6ae.html</link>
<description>The Economistの先週号と今週号の記事を読んでいて「うまいこと言うなぁ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;The Economistの先週号と今週号の記事を読んでいて「うまいこと言うなぁ」と思ったのは、イスラエルの戦略をtit-for-tat戦略であると表現していた点だ。Tit-for-tat戦略というのは、何らかの交渉事において、「とりあえず最初は相手と協力を試み、相手に裏切られたらこちらも裏切り、相手が協力する限りはこちらも協力し続ける」という、ゲーム理論ではおなじみのしっぺ返し戦略の一種だ。単純な割に効果の高い戦略として知られている（注1）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実のところ、これはイスラエルの「抑止力戦略」そのものだ。敵国から攻撃を受けたら、あらゆる手段を用いてでも、倍返し三倍返しで反撃する。それを学んだ敵国は「イスラエルを攻撃すると後が面倒だ」と、攻撃そのものを控えるようになる。（原則としてこれは自衛のための戦略であるという点に注意。）この観点から見れば、死者の数に著しい不均衡が生じるのは、もともとの戦略が企図したとおりであって驚くには当たらない、となる。「正義と不正義」の釣り合いを決めるのは死者の数ではなく、最初に「裏切った」側だ、というわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;The Economistは、先週号の「&lt;a href=&quot;http://www.economist.com/world/mideast-africa/displaystory.cfm?story_id=12867302&quot;&gt;Proportional to what?&lt;/a&gt;　何と釣り合ってるって？」で、以下のように書いている。『もししっぺ返し戦略の起点をハマスのロケット弾に求めるなら、イスラエルに自衛の権利があるとすべきだろう。もしこの起点をイスラエル建国当時（1948年）のパレスチナ占領、またはその時のパレスチナ人追放に求めるならば、パレスチナ人の抵抗にこそ正義があると言えるだろう。釣り合いがあろうが無かろうが、この紛争が解決するまで無辜の人々は殺され続ける。』&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;しっぺ返し戦略とその破綻&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この戦略を採用したこと自体で、イスラエルが非難されるべきではないだろう。そもそも、我々が享受してきた「核による平和（攻撃してきたら核を打つぞ、という脅しが効いている状態）」というのはこのしっぺ返し戦略の恩恵なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、「核による平和」と比べ、イスラエルのしっぺ返し戦略はこうも非効率に見えるのはなぜだろうか？ 特に事実上の敗北を喫したヒズボラとの第2次レバノン戦争、2006年のガザ侵攻、そして2009年のガザ再侵攻と、イスラエルの戦争抑止力に翳りがみられることは間違いない。&lt;strong&gt;キューバ危機を乗り越えつつ、米ソの直接対決を防ぎきった核による平和と、紛争の絶えないイスラエルの抑止力戦略は何が違うのだろう&lt;/strong&gt;か。これを区別するためには、もう少し詳しくしっぺ返し戦略を解説する必要がありそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しっぺ返し戦略は、2つのパラメータでその性格が決まる。ひとつは、しっぺ返しを始めるまでにどれだけ耐えるか。そしてもうひとつが、どれだけ激しくしっぺ返しを行うか。考えられる組み合わせは２つ。(a) &lt;strong&gt;ぎりぎりまで我慢するが、始めたらとことんやるという戦略&lt;/strong&gt;。または、(b) &lt;strong&gt;攻撃を受けたらその都度それなりに反撃するという戦略&lt;/strong&gt;。「滅多に反撃しないが、反撃するときもあくまで控えめに」というのは戦略としては成立しない。敵に舐められるだけだからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;核による平和とは、ぎりぎりまで反撃しない代わりに、反撃すると決めたら人類が絶滅するまでやるという、(a)のかなり極端な戦略だ。これによって米ソは直接戦闘をすることが出来なくなり、各地で小規模な代理戦争が起こることになった。実は、&lt;strong&gt;理論上この「ぎりぎりまで我慢して、しっぺ返しは徹底的に」という戦略は、中途半端なしっぺ返しを繰り返すよりも効率がよいことが知られている&lt;/strong&gt;（注２）。徹底的なしっぺ返し（核戦争）を各国が恐れることで、結局紛争が回避され、徹底的なしっぺ返しは現実には起こらないからだ。その点、しっぺ返しが中途半端だと、どうしても足元を見られて紛争が起こりやすくなる。無駄な紛争→しっぺ返しの繰り返しがある分だけ、後者は効率が悪いのだ。最悪の場合、しっぺ返し→それに対するしっぺ返し→またそれに対するしっぺ返し・・・と、しっぺ返しの無限連鎖が発生してしまう。The Economistは今のパレスチナの現状をこれに例えたわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;では、イスラエルも非公式ながら核保有国なわけだし、「核による平和」戦略をとればいいじゃないかと思うわけだが、これは実際かなり難しい。イスラエルにヨルダン川西岸とガザ、シリアにヒズボラ、それにイランを同時に叩くだけの戦略核を用意できるのかどうか。ガザに核を落とせばガザ地区は壊滅できるとしても、それがハマスの壊滅に直結するのかどうか。それ以前に、そんな戦略をアメリカが許すかどうか。そして、&lt;strong&gt;しっぺ返しの規模が限定されてしまうと、ちょっとした挑発に対しても律儀に倍返しを行っていくことで、イスラエルへの攻撃の無意味さを知らしめるしか無くなってしまう&lt;/strong&gt;。そして、&lt;strong&gt;想像上の「核戦争の恐怖」と比べ、「倍返しによる恐怖」は、敵の兵士国民の死体を積み上げるという、人道上言い訳の効かない生々しいものにならざるを得ない&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それでも、対国家戦ではこの戦略は有効に機能した。中東戦争以降、犬猿の仲のシリアも含め、イスラエルとアラブ諸国の間には戦争は起こっていない（一応第1次レバノン戦争があるが、あの当時レバノンは既に国家の体を成していなかった）。ところが、&lt;strong&gt;ヒズボラやハマスはこのイスラエルのしっぺ返し戦略を逆に利用する戦略を取るようになる&lt;/strong&gt;。ちょっとの挑発に対してもイスラエルが猛反撃を加えてくることは明らかなのだから、適当に挑発を加えて市街戦に引きずり込み、無辜の自国民（子供が特に望ましい）を殺害させる。こうして、国際社会にイスラエルの非道さと、悪魔のイスラエルに立ち向かう勇敢なる我らが組織をアピールし、同情と資金と武器を集めるわけである。ハマス自身、ファタハとの内戦でファタハ高官の息子3人（全員小学生）を蜂の巣にしたり、やりたい放題やっているのだが、そんなことを気に病んでいては悪の巨魁たるイスラエルとは戦えないのである（注３）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;通常の国家であれば、このような究極の焦土戦術は政治的に不可能だ。国家の因って立つ基盤は国民にある。国民が疲弊すれば国家経営は立ちゆかない。しかし、ヒズボラやハマスといった政治組織は、そういうしがらみがあまりない。昔PLOがやったように、都合が悪くなったらあちらこちらの国を渡り歩いて捲土重来を図ればよいのである。&lt;strong&gt;このような組織に対して猛反撃を加えても、将来の抑止には繋がらない&lt;/strong&gt;。しっぺ返しのコスト（自国兵士の損失や国際社会の非難）に比べ、得られるものはあまりにも少ないのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう考えると、建国以来のイスラエルの基本戦略である「抑止力戦略」または「しっぺ返し戦略」は、修正ないしは転換をすべき時期に来ていると言えるだろう。&lt;a href=&quot;http://www.economist.com/world/mideast-africa/displaystory.cfm?story_id=12903394&quot;&gt;ニュースを乱読する限り&lt;/a&gt;、イスラエルはまだこの戦略に強いこだわりがあるようだ。過去の鮮やかな成功体験がまだ記憶に新しいのだろうし、無理もないとは言える。だが、&lt;strong&gt;しっぺ返し戦略が通用する相手とそうでない相手が居る&lt;/strong&gt;と言うことは、そろそろ自覚するべきではないかと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;流血を止めるいくつかの対策&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以上のように状況を整理すると、流血を止めるやり方はいくつか考えられる。まず、比較的短期で効果が見込めるのは、&lt;strong&gt;今回の惨事の責任をハマスに問い、然るべき制裁を加えること&lt;/strong&gt;。ハマスがイスラエルを挑発する最大の理由はそれによって国際社会からの非難を引き出し、イスラエルに対する立場を改善することにあるのだから、その動機を消し去ってしまえば、イスラエルのしっぺ返し戦略は効果を回復してパレスチナは幾ばくかの安定を取り戻せるはずである。理不尽なほどにイスラエルに有利なのが問題点だが、「どちらの国が正しいかどうかなんて関係ない、とにかく流血を止めろ」とおっしゃる方にはお勧めの策である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もうひとつは、&lt;strong&gt;イスラエルが両占領地から撤退し、その後の治安が国連軍にゆだねられること。人手不足のイスラエルがパレスチナの失業者を吸収することで、しっぺ返し戦略に頼らずに「パレスチナはイスラエル抜きには経済的に立ちゆかない（逆も同じ）」状況を作り出す&lt;/strong&gt;。中長期的にはこちらの方が望ましいと思うが、短期的にはどう考えても実行できそうにないのが難点。イスラエルではリクードがパレスチナ国家など認めないと叫び、ハマスもイスラエルを国家として認めていない。しかもこの両派はそれなりの国民の支持を集めている。このような状況で突然両者に融和しろと言って、はいそうしますと行くなら苦労はないのである。どうしても、と言うなら国連軍に強大な戦力を与えて、両者を徹底的に取り締まるしかない。そして、その手のアプローチがうまくいかないことを国連はガリ総長の時代に身に染みて知っている。それでも、中長期的には、イスラエルはこの方向で戦略を進めていく以外に選択肢はないと思われる。そもそも、これはオルメルト首相が主張している戦略なのである。むしろ議論すべきは、そこへの今後数十年のロードマップをどう描くかと言うことだろうが、正直筆者にはアイデアがない。実務的な対症療法の繰り返しで凌いでいくしかないのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イスラエルの抑止力戦略はある種のしっぺ返し戦略であり、受けた被害を倍にして返すという「非対称」戦は、十分に合理的である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただし、ハマスやヒズボラは倍返しの戦略を逆手にとってある種の焦土戦術を実行し、イスラエルのしっぺ返し戦略を無効化した（自国民を犠牲にして）。その意味では、彼らも十分に合理的。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現状の解決策としては、短期的にはハマスに対する非難と制裁、長期的にはイスラエルの占領地からの完全撤退とそれに伴う融和策くらいしか思いつかない（それすら自信はない）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
前回のエントリーを挙げた後、色々と気になっていくつかの新聞記事やブログを読んだのだが、個人的に一番面白かったのは&lt;a href=&quot;http://palestine-heiwa.org/news/200901030223.htm&quot;&gt;こちらの文章&lt;/a&gt;だ。筆者としては、ただ非人道的行為を批判するだけの記事より、こういう記事をもっと多く読んでみたい気がする。また、&lt;a href=&quot;http://www.economist.com/opinion/displayStory.cfm?story_id=12899483&amp;source=hptextfeature&quot;&gt;The Economistの今週号の巻頭記事&lt;/a&gt;もお勧めしたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;
付録：パレスチナを取り巻く各国の状況について&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ついでなので、最近のパレスチナに関わる国々の戦略環境をざっとまとめておきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;ハマス&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歴史の長いパレスチナの強硬派グループ。イスラエルを国家として認めておらず、オスロ合意にも強硬に反対し続けていた。ファタハとの血みどろの内戦の果てにガザを占拠（ファタハとは未だに和解の糸口すらつかめない状況：ハマスだけが悪いわけではないが）。以降イスラエルの封鎖が強化されると、イスラエルの基地へトンネルを掘って兵士一人を拉致。2006年のガザ侵攻を招く。一方で内政能力が皆無だったガザ自治政府に代わってガザの秩序を回復させている（The Economistの表現では、「&lt;a href=&quot;http://www.economist.com/world/mideast-africa/displaystory.cfm?story_id=12867310&quot;&gt;鉄拳をもって&lt;/a&gt;」）。その後の経済封鎖でも暴動は起きなかったようであり、内政能力への評価は高く、２００５年の選挙ではファタハに勝利している。スンニ派の原理主義者集団だが、現在友好関係にあるのはイラン、ヒズボラ、それにシリアと非スンニ派が多い。ちなみにアルカイダからの支持声明もあったのだが、ハマスにとってありがた迷惑だったかどうかは知らない。アラブ諸国はファタハ支持に流れたため、孤立を深めているのが実情。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ファタハ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;PLO以来の大派閥。昔から汚職やら強権政治やらの噂が絶えないところで、外交・内政能力については評価が低い。ハマスと違って世俗主義的なので、イスラエルとの関係は良好。というか、アラファト存命時から強硬意見で指導部を突き上げてきたハマスが居なくなったことで、組織としては安定した。今回のガザ侵攻でも、非難声明を出した後は静観を決め込んでいる。というか、ハマスの勢力が削られること自体はファタハにとっては願ったりかなったりの事態なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;エジプト&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ハマスは元々エジプトの第1野党で原理主義者集団のムスリム同胞団の軍事部門として誕生しているので、エジプト政府がハマスに対しては好意的であろうはずがない。かといって、イスラエルに壊滅させられたハマスの残党がエジプトに流れ込むという事態も避けたいので、とりあえずハマスがガザに押し込められている今の状況は結構都合がいいのではないかと思われる。そんなわけで&lt;a href=&quot;http://www.economist.com/world/mideast-africa/displaystory.cfm?story_id=12867310&quot;&gt;イスラエルのガザ侵攻も黙認&lt;/a&gt;し、イスラエルとハマスの仲介役として積極的に行動。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ヨルダン&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国民の7割がパレスチナ人（うち半数は中東戦争後に難民として流入）というお国柄なので、昔からパレスチナ問題に振り回され続ける不幸な国。亡命してきたPLOにやりたい放題引っかき回された後、ぶち切れたフセイン国王がPLOを武力で追放。これが失敗していれば、レバノンのように国の半分をPLOに乗っ取られていたに違いない（PLOはその後レバノンへ向かい、彼の地の不安定化に一役買った）。その後重荷でしかないヨルダン川西岸地帯の領有権を放棄し、以後パレスチナ・イスラエル双方と等距離外交を展開している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;イラン&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ファタハと並び、今回のガザ侵攻でもっとも得をした国。イスラエルのイラン核施設爆撃計画がどれだけ進行していたのかは知らないが、今回の侵攻で計画が大きく遅れたことは間違いない。ついでに国際社会の非難もそらすことに成功。貴重な時間を稼いでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;シリア&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;不倶戴天の敵のそのまた敵であるハマスやヒズボラには過去色々と援助をしてきているが、ハマスの母体ムスリム同胞団には昔首都で散々テロ活動を行われた経緯もあったりする。北朝鮮や旧イラクとも関係が深く、正直中東でも孤立した存在。昨年仏大統領サルコジの仲介でレバノンと国交正常化への道筋をつけ、今後の路線変更が期待されている。今回のガザ侵攻では、逆にサルコジからハマスの懐柔を頼まれているのだが、成果が上がっているという話は聞かない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ヒズボラ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;南レバノンを占拠し、事実上独立している。レバノンの情勢が不安定を極めているため、たびたびそれに乗じてベイルートを攻撃したりしている。現在はアラブ諸国の調停を受け入れてレバノンの挙国一致体制の一部を担っている。本来であれば今こそ北からイスラエルに砲撃を加えて、イスラエルに二正面作戦を強いるべきタイミングだと思うのだが、申し訳のような砲撃を加えた後は沈黙。「2006年のレバノン侵攻の痛手は実は大きかったのでは」などと、今頃になって言われはじめているが、単にレバノン内部のもめ事で忙しいだけかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;（注１）&lt;/strong&gt;厳密には、TFT戦略と、一般的なしっぺ返し戦略（trigger strategy）とは別物だが、以下では特に区別せずに議論を進める。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;（注２）&lt;/strong&gt;もちろん、ゲームの条件によるのだが。ついでに書くと、しっぺ返し戦略よりも効率の良い戦略の存在もゲーム理論では研究されているが、ここでの議論には応用できないので特に触れない。興味のある方は適宜テキストを参照されたい(pairwise full-rankあたり)。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;（注３）&lt;/strong&gt;念のために書くと、ファタハだってハマスに対して似たようなことをやっている。ハマスが一方的に悪いわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2009-01-12T13:30:36+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/the-economist-0.html">
<title>今週のThe Economist: ガザ：正当なこと、そうでないこと</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/the-economist-0.html</link>
<description>原題：Israel’s war in Gaza: The rights and ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;原題：Israel’s war in Gaza: The rights and wrongs&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;明けましておめでとうございます。更新が大きく遅れてごめんなさい・・・という話は、最近毎回書いているような気がするのでサブブログの方に譲ることにします。今年はもう少し頻繁に更新できるといいのですが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて。ガザが大変なことになっている。この件がしんどいのは、誰に聞いても現実的な解決策が出てこないという点だ。そうなると、「イスラエルの行動の何が間違っていて、どうすべきだったのか」という筋での議論は著しく困難になる。何を言っても説得力がないのだからしょうがない。で、その代わりに、これは戦争ではなく虐殺だ、&lt;a href=&quot;http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090105AS1K0500405012009.html&quot;&gt;人道上看過できない&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://www.nytimes.com/2009/01/07/world/middleeast/07military.html?partner=rss&amp;emc=rss&quot;&gt;学校に砲撃を加えたことで国際世論を完全に敵に回した&lt;/a&gt;、と言った半ば情緒的な議論が増えることになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;別にこういう意見を批判するわけではない。パレスチナの側からみればこれは確実に虐殺であり、人道上問題があるのも明白であり、当初はある程度抑え気味に報道していた欧米のマスメディアが、地上戦開始以降イスラエル非難を強めているのも筆者の見る限りでは事実なのだ（それはそれとして、イスラエル内部での意志決定プロセスに問題があるかも、と指摘したこの&lt;a href=&quot;http://www.heraldtribune.com/article/20090107/ZNYT03/901073013?Title=For_Israel__2006_Lessons_but_Old_Pitfalls&quot;&gt;NYTimesの記事&lt;/a&gt;は結構面白い。どこまで信憑性があるのかは不明だが）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だが、それだからこそ、そういう情緒的な議論に流れずに踏ん張ったThe Economistの以下の記事は価値があると思う。わずか1ページのまとめでここまでバランス良く書き上げるのは簡単なことではない。こういう記事こそが多く読まれるべきだと思うのだが、残念ながらこの記事の翻訳はどこにも見あたらない。そこで、以下で少し紹介してみることにしたい。普段は「今週のEconomist」と書きつつ7割は筆者の勝手な私見を垂れ流しているのだが、今回はもう少し引用多めで（そもそも、自分自身も不案内な分野なので、垂れ流すほどの私見もない）。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;『ガザ侵攻の規模と残忍さは衝撃的であり、非戦闘員の傷つく姿に我々は心を切り裂かれた。これは実に嘆かわしいことだが、しかしそれでも、ハマスのロケット弾攻撃に対処すべく軍事手段へと訴えたイスラエルの選択は驚くには当たらない。この戦争は長い時間をかけて作られてきたのだ。』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『イスラエルがガザから入植民と兵士を撤収させてから3年、ガザの複数のパレスチナ人グループは数千もの原始的なロケット弾と迫撃砲をイスラエル本土に打ち込んできた。この攻撃で死んだイスラエル人はごくわずかだったが、周辺の南イスラエルの生活は脅かされてきた。ハマスがエジプトの要請を無視して6ヶ月間の停戦協定の更新をしないと宣言した12月19日から、イスラエルが空爆を開始した27日までの8日間で、彼らは約300発のロケット弾を発射した。この意味では、「ハマスがイスラエルを挑発したのだ」と言って良い。』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『ガザ撤退からの3年で、迫撃弾で殺されたイスラエル人なんて10人もいないじゃないか、と対岸から言うのは容易いことだ。だがまさにイスラエルがそうであるように、選挙を控えた政府が、毎日街へと浴びせかけられる迫撃弾をそのまま放置することなど出来はしない。例え対抗策にまるで効果がなかったとしても。7月にイスラエルを訪れたオバマ次期大統領はこう言った。「もし誰かが娘二人の眠る我が家をロケット弾で狙っているとしたら、私はそれを阻止するためにあらゆる手段を執るだろう。イスラエルもそれと同じ事をすることになるのだろう。」』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以下、全文訳になってしまうと色々問題がありそうなので少し省略する（出来ればしたいところなのだが）。ハマスがより強力な武器を密輸しており、これがイスラエルには看過できないということを指摘している。イランから強力な武器を供与されて今も健在なヒズボラのような組織を、ガザにもう一つ成立させるわけにはいかないからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『しかし、イスラエルもまた世界中で激発する憤慨に驚くべきではない。これは単にF-16を飛ばしている側の国を人々が応援することなど滅多にない、というだけの理由ではない。一般的に言って、戦争を正当化するには3つの条件が必要になる。戦争に至る前に、それ以外の方法で自国防衛を図る努力を十分に行っていること。攻撃の規模が戦略目標と釣り合っていること。そして戦略目標を達成出来る可能性が十分にあること。これら全ての点において、イスラエルの因って立つ主張はぐらついている。』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『イスラエルがガザからの砲撃に長いこと耐えてきたのは事実だ。だが、砲撃を止める手段が他になかったといえるかどうかは疑問だ。イスラエルのガザ地域に関する唯一の要望が国境付近の安寧であった、とはとても言えないのだから。イスラエルは原理主義的なハマスの勢力を削ぐために、比較的柔軟で世俗的なファタハの治めるヨルダン川西岸地帯への援助を強化する一方で、ガザに対しては経済封鎖を敷いてきた。今は期限切れとなってしまった停戦協定の間ですら、イスラエルは人道援助のほとんどをガザの国境で差し止めてきた。つまり、ハマスがイスラエルを挑発したのが事実だとしても、ハマスもまた「挑発したのはイスラエルの方だ」という資格がある。もしイスラエルが国境封鎖を解いていたなら、ハマスは恐らく停戦協定の延長に同意していただろう。実際、ある見解では、ハマスが戦闘を再開したのは、国境の開放を条件に織り込んだ上での停戦協定をイスラエルに強いるためであるとしている。』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『攻撃規模と目標の釣り合いについては数字が語ってくれる－ある程度は。最初の3日間で、パレスチナ人は350人が殺された一方、イスラエルの死者はわずかに4名だった。常識から言っても戦則から言っても、「より多くの敵を殺しつつ、より多くの味方を生かすべし」という原則を守ったことでイスラエルが非難される謂われはない。こんな非対称戦を選んだハマスが愚かなのである。しかしパレスチナ人の死者には7人の非戦闘員が含まれており、それ以外も兵士と言うよりは警察官と言うべき人間が多く含まれていた。アフガンとイラクに展開する西洋軍とその敵との双方が遥かに多くの非戦闘員を殺害してきているとは言え、イスラエルは非戦闘員の殺害を最小にとどめる努力をすべきだ。爆撃を加えているパレスチナ人は、今後も永遠に隣人なのだから。』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『そして最後の点が攻撃の効果についてだ。イスラエルは当初、（その本心としてはハマスを打倒したいにせよ）現在の作戦はハマスの国境近辺での砲撃を止めさせることを目標としている、と言明した。しかしイスラエルが2006年にレバノンで学んだように、これは簡単なことではない。ヒズボラがそうであったように、ハマスはイスラエルに抵抗することで支持と戦力とを集めてきた。彼らが膝を折ることは考えにくい。ハマスは例えどんな被害を受けようと、イスラエルをガザの入り組んだ市街と難民キャンプでの厄介な市街戦に引きずり込むまで砲撃を止めはしないだろう。ヒズボラがそうしたように。』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『イスラエルはこれほど早くレバノンでの教訓を忘れてしまったのだろうか？それはない。言うなれば、今回のハマスに対する一連の作戦はヒズボラに対してした失策の挽回を企図している。イランに核保有の兆しがあり、そしてヒズボラとガザへの影響力を拡大しつつある中で、イスラエルはこのユダヤ人国家がまだ闘い、そして勝利を収めることが出来る国家であることを今一度示さなければならない。まさにこの理由から、長期戦になると彼ら自身が言及しているとしても、彼らは即時停戦に対して実際には柔軟な態度を取るだろう。主要な攻撃目標は既に空爆で破壊されている。これ以上の軍事的成果を得るのは困難だ。もしハマスが本当に砲撃を中止するのなら、現時点での停戦はイスラエルの軍事的抑止力のリハビリが成功した証として選挙民にアピールすることが出来る』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以下更に続くが、訳は控える。結局はアメリカの仲介が不可欠であること、ファタハのアッバス大統領はパレスチナ国家樹立のためにイスラエルとの対話を続けているが、パレスチナ自体が分裂しており、しかもハマスはイスラエルを国家として認めてもいないことなどを挙げ、楽観悲観を織り交ぜて文章を締めている。最初に書いたように、この件で「現実的で人道的で平和的な解決策」を立案できる人間は一人もいないのだからこれはしょうがないのだが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;為政者にとっての正当とは何か&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最初にも書いたとおり、そしてエコノミスト誌も指摘するとおり、イスラエルの行動は国際社会からの非難に値する。だが、少し視点を変えて、イスラエルの為政者が為政者たり得ているかを問うたとき、彼らの評価はどうなるのだろうか。為政者の基本的な責任は国民の衣食住、そして安全の保証にある。そして、為政者が他国の利益を尊重するのは、そうすることで回り回って自国民の利益になるときだけだ。ロケット弾が毎日飛来し、何分の一かの確率で自国民が殺害される恐れがある。一方で、開戦すれば敵国民が1000人死ぬ。単純化してこの2つだけを天秤にかけたとき、「人道上の理由」から開戦を思いとどまるという選択肢は為政者として正しいのだろうか（注）。もっと踏み込んで書くと、敵国民を危険にさらしたイスラエル首脳部と、自国民を危険にさらしたハマス首脳部は、どちらがより為政者として不適格であり、どちらがより大きな非難に値するのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;繰り返し書くが、そうであれ、無関係な第三者たる我々には「人道上の理由」でイスラエルを安全な対岸から非難することが出来る。だが、エコノミスト誌も書いているとおり、それが安易な非難であることもまた確かなのではないかと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;（注）&lt;/strong&gt;もちろん、話をややこしくするのは簡単だ。国際社会からの非難、それに伴う外交上の困難はNYTimesも指摘していた。ただし、現時点でイスラエルは外交上特に失った物はないこともまた確かだ。とりあえずアメリカさえキープしておけば国連は無力化できるし、アラブについてはエジプトと連絡を密にしておけばとりあえずは何とかなる。むしろ、エコノミスト誌が指摘するとおりイランへの牽制になるならば、差し引きはプラスかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国内政治に目を向ければ、支持率トップを走る右翼政党リクードの党首ネタニヤフはパレスチナ国家を認めないと主張してシャロン首相と激しい政争を繰り広げた人物な訳で、彼が首相になればせっかくうまくいきかけているヨルダン川西岸地帯の動静も危うくなる。それを防ぐためにも、オルメルト首相は自分が自国民を護る指導者であることを国民に見せつけなければならない（首相自身は引退を表明していたはずだが、NYTによれば、三頭体制を形成する外相のリブニ氏と前Chief of staffのバラク氏は続投を望んでいるのだそうである。）。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2009-01-08T11:59:39+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_fab1.html">
<title>和魂と洋才と医療の崩壊（下）</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_fab1.html</link>
<description>随分間が開いてしまったが、前回と前々回で、日本社会の評判メカニズムが機能しなくな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;随分間が開いてしまったが、前回と前々回で、日本社会の評判メカニズムが機能しなくなると、社会のあちこち（温泉であったり、救急医療だったり）が綻んでいく、と書いた。しかし、ここで話を〆てしまうと、結局「昔は良かった」というご老人の繰言と大差がなくなってしまう。そこで今回は、前回に引き続き医療を例に取りながら「じゃぁ、どんなシステムならうまくいくのか？」ということを考えてみたい。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.cabrain.net/news/article/newsId/14121.html&quot;&gt;こちら&lt;/a&gt;の記事によると、医療サービスで未払いが多いのは産科と外科（救急）なのだそうである。理由としては所持金不足や経済的理由（所得不足）が挙げられているのだが、本来所持金不足は理由になるわけがない。経済的に困窮していないのであれば、手持ちのお金が足りないなら後で払えばいいのである。これは単に借金を踏み倒しているだけのことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とりあえず産科に議論を絞ると、ひとつの理由として考えられるのは、産科と患者とはほとんどの場合「一期一会」だということだ。人生で３回以上出産をする人は日本では少ない。つまり、世話になった産科の先生の心象が悪化したところで、人生で彼・彼女と再び出会う可能性は非常に低いわけで、これはやりたい放題が保証されているに等しい。一般の内科でこれが起こりにくいのは、「今健康を崩して病院へ行く」ことは「将来も同じ病院を利用する可能性がむしろ高まる」から。出産すればもう一度出産する確率が低下する産科とは真逆なのだ。更に、産科に比べて内科の診療費は低いので、診療費を踏み倒すべく引越しをする、という戦略がうまくいかないということもあるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;つまり、&lt;strong&gt;産科医療では、恐らく銭湯や救急医療以上に、評判メカニズムは機能しない&lt;/strong&gt;。とすれば、&lt;strong&gt;評判メカニズムに支えられた性善説的な行動を患者に期待すること自体が間違っている&lt;/strong&gt;ということになる。「正しいやり方で」産科を利用しない妊産婦を最近は「野良産婦」と呼ぶらしいが、自分の期待するやり方で産科サービスを利用してくれない人たちを非難しても意味がない。彼らには彼らの道理があるのだから。まずは彼らの道理が存在することを認め、それを前提にサービスの在り様を再検討する必要がある。&lt;strong&gt;病院関係者はギルド社会的な患者への期待を捨て、洋才社会の知恵を借りて医療システムを立て直すしかない&lt;/strong&gt;のではないだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;
洋才型アプローチその１：サービスの有料化&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、&lt;strong&gt;需要サイドである患者の側でギルド型の「自制」が働かない場合、ユーザーの医療サービスの使い方をコントロールする責任は供給側たる病院（厚生労働省なども含む）に移る&lt;/strong&gt;（注１）。自制の効かない（自称）患者が大挙病院に殺到すれば、医療サービスは確実に崩壊する。人的にも金銭的にも、医療資源には限界があるのだから。自然、サービスのコントロールとは、この限られた医療資源をどのように分配すべきかということになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;言うまでもなく、この手の「限られた資源」を効率よく分配するひとつの方法は価格メカニズムに頼るやり方だ。経済学お得意のやり方である。「患者がどれだけのお金を喜んで支払えるか」は、症状の深刻さを測る上で非常に有用なパラメータだ。特に、「それほど深刻な症状はないけど、タダならとりあえず救急車を呼んでおこうかな」と言った、不届きな連中を排除する上では極めて有効といってよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アメリカを含め、多くの国で採用されている救急車の有料化はこの理屈の上で実行されている。当然、産科医療の問題もこのアプローチで改善することは可能だ。まず、未払いの問題は前金制で解決する。患者の要求が厳しすぎる？サービスを松竹梅とかに分けて、料金別に利用可能なサービスを設定してしまえばよい。もしその患者が本当にあらゆるリスクを避けて（可能な限り）安全な出産を行いたいと思うなら、彼らは喜んでそのお金を払うはずである。&lt;strong&gt;有料化は患者の「本当の気持ち」を洗い出す&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と、ここまで読んでストレスを感じた人は結構多いかもしれない。「所得が足りなくてその金を支払えない人はどうすればよいのか。金を払えない人は自宅で何のサポートも受けずに産めとでも言うつもりか」と。結論から言うと、&lt;strong&gt;最適な医療システムを考える上で、「低所得者をどうするか」という点を考慮する必要はない&lt;/strong&gt;。医療システムを考える上での要点は「必要な人に適切な医療サービスをどう提供するか」だけだ。有料化で低所得者が割を食うならば、そしてそれが社会的に問題であるならば、それに対処するのは政府の責任である。&lt;strong&gt;低所得者を救う責任は病院にはなく政府にこそあるのだという、ごく当たり前の視点&lt;/strong&gt;を昨今の医療問題の議論であまり見かけないように思うのは筆者の気のせいだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もし妊婦の中に低所得で困っている人がいるならば（そもそも出産は多くの場合まだ所得の低い20代30代で行われるわけで、そういう人は当然多い）、彼らは（その利益を代弁する人を含め）政府にこそその要求を突きつけるべきなのだ。バウチャー制で政府が出産費を肩代わりするとか、方法はいくらでもある。納税者が、少子化の問題を少しでも軽減したいとか、出産の安全性は当人の所得に関わらず保証されるべきだと考えるならば、彼らは喜んで税金を払うはずである。&lt;strong&gt;有料化のメリットは、システムの効率性と、社会福祉の向上（所得格差の是正を含む）を完全に別個の問題として考えられる点にある&lt;/strong&gt;、と言っても良い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;
洋才型アプローチその2：日常的トリアージ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;医療システムの効率とは、「限られた医療資源の最適な分配」のこと&lt;/strong&gt;だ、と上で書いた。言い方を変えれば、医療サービスを使う必要のない人間をいかに排除するか、が問題なわけだ。ギルド型の社会では「不適切な行動を取ると村八分にするぞ」という脅しで、アメリカでは「サービスを使いたいなら金を払え」という仕組みで、それぞれ「不適切な需要」をコントロールしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これらのアプローチはひとつの回答ではあるが、唯一の回答ではない。&lt;strong&gt;有料化のひとつの問題点は、「患者は自分の病状の深刻さを自分では理解できるとは限らない」という点&lt;/strong&gt;にある。患者が自分の症状を過大評価してしまう可能性もあるし、過小評価してしまうこともある。どちらも、医療システムの効率を損なう可能性がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イギリスのやり方はこの点において優れている。&lt;strong&gt;イギリスでは、誰が「今」医療サービスを必要としているかは病院が判断する&lt;/strong&gt;。&lt;strong&gt;緊急を要する患者が優先され、それ以外の患者は後回し&lt;/strong&gt;になる。&lt;strong&gt;その代わり、医療は原則として無料&lt;/strong&gt;（薬代などは有料らしい）。医療費によって不適切な需要を排除する必要がないからだ。専門医の時間を無駄にしないため、患者はまずGP(General Practitioner)と呼ばれる診療所に行くことを要求される。そこで重症であるという判断が下されると、初めて専門病院が紹介されるわけだ。救急車についてもこの原則が適用される。救急車も無料だが、その&lt;a href=&quot;http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/europe/uk.html&quot;&gt;患者を受け入れるかどうかは救急隊員が判断する&lt;/a&gt;。隊員が軽症だと判断したら、救急車には乗れない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なんだか良さそうな仕組みに見えただろうか。ユーザー側から見ると、この仕組みは有料化と違って個々人の追加負担がなく、また納税者の一人として「どこまで妊婦にお金を払うか」といった選択を突きつけられることもないため、比較的受け入れられやすい。しかし、Googleで「イギリス　医療」で検索をかけてみてほしい。出るわ出るわ批判と不満の山。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;特に多いのが、「病気にかかったのに延々と待たされる」というものだ。そもそも&lt;strong&gt;重症患者以外は後回しにするのがシステムの大前提なので、比較的軽症であれば当然待たされる&lt;/strong&gt;ことになるわけだが、問題なのはその期間である。&lt;a href=&quot;http://www.kingsfund.org.uk/publications/briefings/figures/18week_waiting.html&quot;&gt;こちらのページ&lt;/a&gt;を見ると、2000年の段階で4分の1の患者が実に半年以上待たされている。1年を超えて待たされた患者すら数千人はいたというから恐れ入る。ブレア政権以降の医療改革の進展で待ち時間はだいぶ改善されたが（&lt;strong&gt;過去5年間で医療関連予算は倍増&lt;/strong&gt;している）、平均で2ヶ月以上、最長で半年以内と言ったところで、これをもって問題が解決されたといっていいのかどうか。そもそも、肝心の救急医療ですら、5年前までは4分の1の患者が4時間以上待たされている。現在は4時間以上待たされるケースはほぼなくなったようだが、これも4時間以内ならいいのかと言えば、そうはいえないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;たとえ無事に入院できたとしても、病院側による優先順位の設定は当然軋轢を生む。適当に検索をかけて見つけた記事だが、&lt;a href=&quot;http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23423256-details/13+London+hospitals+named+among+worst+for+childbirth/article.do&quot;&gt;こちら&lt;/a&gt;では産婦の4分の1が出産時に一人で放置された経験があるというアンケート調査が紹介されている。プライオリティを明確にするという原則がある以上、この手の問題は避けて通れない。もちろん、高い金を払って保険対象外の医療サービスを受けることは出来るが、出産関連で200万円くらいかかるのだそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも、&lt;strong&gt;患者の分別を病院側で全て行うこの仕組みは病院にかかる負担が大きい&lt;/strong&gt;。今後更に医療費をつぎ込んだとしても、「病院にいけば治療してもらえる」日本のような仕組みは望むべくもないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;それぞれの社会のそれぞれの制度&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だいぶ違って見えるアメリカ型とイギリス型の医療制度だが、ひとつの共通点がある。&lt;strong&gt;医療サービスを受けるべき患者と、そうでない患者とを分別する仕組みがある&lt;/strong&gt;ということ。そして、&lt;strong&gt;その仕組みにはコストがかかる&lt;/strong&gt;ということ。前者の場合は所得格差を是正する政策を新たに構築する必要がある（脚注に詳しく書いたが、患者の分別を適切に行いつつ、低所得者にも利用可能にするには、かなり政治的に受け入れられがたい政策を必要とする）。後者の場合は長大な待ち時間に耐えなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7cef.html&quot;&gt;和魂と洋才とユダヤの商人&lt;/a&gt;」で書いたように、&lt;strong&gt;ギルド型社会のひとつのメリットはこれらの社会的なコストがかからないという点&lt;/strong&gt;にある。日本社会はそれゆえに「効率が高い」社会なのだ。または、社会だった。&lt;strong&gt;もし日本のムラ社会が消滅しつつあるなら、我々は「低コストで手厚い医療サービス」という理想をあきらめなければならない&lt;/strong&gt;。これは過去においては決して幻想ではなかったが、我々の社会構造が変化してしまったのならば、もはや追い求めてはいけない幻なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;次回、補論として、幻として消えそうなギルド社会型のシステムを取り戻す方法を考えてみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ギルド型社会では、患者自身が「自分が医療サービスを受けるべきかどうか」を判断する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;評判メカニズムが機能しない社会では、有料化なり病院サイドの「トリアージ」なりで、適切な患者を分別せねばならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このような社会では、今までの日本以上に医療サービスには（金銭・非金銭両面での）コストがかかるようになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
*イギリスについては&lt;a href=&quot;http://en.wikipedia.org/wiki/National_Health_Service_%28England%29&quot;&gt;英語版のウィキペディア&lt;/a&gt;を参考にした。なかなかの労作なので興味のある方には一読をお勧めしたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;注１：&lt;/strong&gt;正確に言えば、ギルド型の社会では、サービスの使い方をコントロールするのは病院ではなく、ムラ社会それ自体ということになる。このルールは明文化されるものではなく、美意識とかモラルという言葉で表現されることが多い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注2：&lt;/strong&gt;上では産科の例だけを挙げて所得格差の問題は別途解決可能だ、と書いた。ただし、より幅広く医療サービス全体を考えるなら、これはバウチャーだけで解決できるような問題ではない。例えば、救急車利用券のようなバウチャーを配ることには意味がない。バウチャーは特定のサービスを利用してもらうために配るものであって、使ってもらいたくないサービスのバウチャーを配るのは逆効果以外の何者でもない。むしろ、低所得者にはいざというときの救急車代として現金をこそ配るべきなのだ。彼らがそのお金を救急車ではなく、それ以外のサービスに使ってくれたほうが、社会の効率は高まるのだから。もし彼らがそのお金を浪費したのなら、救急車を使わずに野たれ死んでもらわなければならない。または、バウチャーを「使わなかったら換金可能」にしておく、という手もある（こうすることで浪費を防ぐことが出来る）。どちらにせよ、納税者の負担は高まる。さもなければ、低所得者の負担が高まる。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>和魂と洋才とユダヤの商人</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2008-03-25T08:43:50+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_de5e.html">
<title>人生という相場に向き合う方法</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_de5e.html</link>
<description>長い間ブログを放り出してすみません。私事の高波に押し流されていました。その間に和...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;長い間ブログを放り出してすみません。私事の高波に押し流されていました。その間に和魂洋才シリーズのメモをなくしてしまい、それに凹んで更に更新が遅れたのですが。現在暇を見つけて少しずつ再構成中なのでもう少しお待ちください（色々なことを書く予定なので、どういう順番に書いていくのかが結構問題なんです。一部の説明は他の理解を前提にしていたりしますので）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこで、正月に書き損ねた話題を改めて書いてみようと思います。どこで誰が書いていた話題だったかは忘れましたが、「努力したって成功するとは限らないのだから、努力したってしょうがない」または「努力すれば何とかなるとか言う妄言にだまされるな」とか、大意そんな感じの発言をその当時頻繁に見たような気がします。当時はしょうもないことを、と思って読み流したわけですが、色々考えると結構難しい問題をはらんでいそうなので、少し書いてみようと思います。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;人生のリスクとコスト&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、努力してもしょうがないかどうかはともかく、&lt;strong&gt;「努力しても報われるとは限らない」のは紛うことなき真実&lt;/strong&gt;だ。過去問を擦り切れるほどに解いて入試対策は万全と思っていたのに、その年から出題傾向が激変して半泣きで会場を去る小中学生。高１から予備校に通い、通学途中に歩きながらも単語カードをめくるほどに努力をしたのに、試験直前に体調を崩して浪人する高校生。せっかくいい大学に入ったのに、就職氷河期で意中の会社に入れなかった大学生。私生活を全てなげうって高い業績を上げ、ボーナスに期待をしていたら、会社がつぶれてボーナスどころか職を失う会社員。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;幾ら努力を重ねたところで、運が無かったり、能力が無かったり（これも厳密には不運の一部）すれば、その努力は結実しない。なんで努力にこんなリスクが付きまとうんだよと思う人もいるかもしれない。努力した分だけ報われる社会がありうるなら、我々の人生はずっと楽になるはずなのだが、残念ながらこれは絶対にありえない。何故なら、&lt;strong&gt;努力とは「将来の（より大きな）幸せのために、今現在の幸せを我慢する」こと&lt;/strong&gt;だからだ。&lt;strong&gt;将来を正確に予想することは何人たりとも叶わない以上、努力の結果にリスクが伴うのは当然&lt;/strong&gt;のこと。これは揺るがしがたい絶対の真実といっても良いだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ちなみに、この努力の定義は投資（貯蓄）の定義と全く同じものだ（経済学の教科書には必ず出てくる言葉だが、投資（貯蓄）とは、現在の消費を犠牲にして、将来の消費を増やす行為）。我々はお金の代わりに時間を投資するわけである。そして、投資において何が問題になるかといえば、可能な限り少ない資金で、可能な限り高いリターンを挙げること。しかも、リスクを出来るだけ抑えながら。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、投資の世界にハイリスクハイリターンの原則があるように、&lt;strong&gt;人生でもリスクを取らずして大きな成功を望むことは出来ない&lt;/strong&gt;。色々な人の立志伝が面白いのは、彼らが皆人生を台無しにするようなリスクをかいくぐって成功をもぎ取ってきたからだ。ただし、人生という相場にはもうひとつ重要な要素がある。努力というやつだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々が&lt;strong&gt;努力すればするほど、成功の確率は上がる&lt;/strong&gt;。例え入試の当日に運悪く風邪を引いてしまっても、直前の模試で「合格確実」が出るほど勉強している人なら何とか合格できるだろう。仕事場で上司とそりが合わずとも、それまでにちゃんと努力を重ねてきた人であれば実力で上司を黙らせることができるかもしれない（少なくとも、上司を黙らせられる確率は上がる）。その意味で、&lt;strong&gt;我々が今必死に努力するのは、将来の成功確率を上げるための、云わばリスクヘッジのようなもの&lt;/strong&gt;だ。頑張って勉強して有名大学に行き、大学でも更に頑張って研究した人が、不景気のせいで就職浪人する可能性は低い。そもそも、&lt;strong&gt;世の中で「成功した」と認知されている人のほとんどが、普通の人よりも遥かに高いリスクに耐え、そしてその高いリスクを少しでも下げるために、ちょっと尋常ではない努力をし続けてきた&lt;/strong&gt;のだということはもっと理解されていい。そこまでやって、更にそれなりの幸運に恵まれたものだけが「成功」を収めることが出来るのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、努力したところで全てのリスクを取り除くことは出来ない以上、我々の努力には限界がある。筆者だって明日頭上に花瓶が落ちてきてあっさり死ぬかもしれないし、そうすれば筆者が今までいかなる努力をしていようが全ては水の泡だ。もちろん、絶えず安全ヘルメットを被って仕事やら買い物やらに出かければ、その努力を払えば、リスクを下げることは出来る。だが筆者はそれをしない。その&lt;strong&gt;努力にかかるコスト&lt;/strong&gt;（周囲の痛い視線やら、容易に予想可能な警官の職務質問やら）を考えると、どうにも割に合わないのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;つまり、努力というのはがむしゃらにすれば良いわけじゃない。努力にはコストがかかる。勉強している間はゲームも出来なければテレビも見られない。体を鍛えるには体を痛めつけなければいけない。ダイエットなら食欲を押さえつけなければならない。もしあなたにとって今日のオンラインゲームが、今日の体調が、今日の夕食が重要なら、&lt;strong&gt;努力をすべきではない&lt;/strong&gt;。そこがあなたにとっての最適な努力の量なのだから。むしろ、今日自分が打ち込める何かがあることを誇るべきだろう。ただし、&lt;strong&gt;それによって将来成功する確率が下がることは覚悟すべき&lt;/strong&gt;だ。リスクとコストは反比例する。努力しないことで確実に得られる今日の幸せと、努力することで得られる（可能性が上昇する）明日の幸せ。どちらを選ぶのも自分次第だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;人生の選択に失敗はありえない&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうなると、努力しない理由として一番可能性が高そうなのは&lt;strong&gt;「努力したって成功の確率が上がらない」というケース&lt;/strong&gt;だろう。これ自体が錯覚、ないしは努力をしないための言い訳では無いと仮定すると、これにはふたつのケースが考えられる。ひとつは、&lt;strong&gt;人生の選択肢それ自体が間違っている可能性&lt;/strong&gt;。人間には向き不向きというものがあるし、どんな人間だろうが力を発揮しようが無いというどうしようもない職場も残念ながら存在する。そして、更に残念なことに自分の向き不向きというのはやってみなければ分からないし、どうしようもない職場は入ってみないと分からない。もしあなたがこの状況に陥っているなら、もう&lt;strong&gt;辞めるしかない&lt;/strong&gt;。退職でも退学でも。その場で努力を重ねる理由は無い。時間の無駄である。ロスカットはお早めに。相場の鉄則だ。まぁ、余りにも頻繁にロスカットをする投資家はまず儲からないし、それは人生でも同じことなのだが、とりあえずここでは措いておく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もうひとつのケースは、成功確率が上がらないのは単に&lt;strong&gt;努力が足りないか、または努力の方向が間違っているだけという可能性&lt;/strong&gt;。または、単にタイミングが悪いだけで、我慢するだけで状況が改善される可能性もこちらに含めよう。この場合、あなたは辞めるべきではない。今居る場所に踏みとどまって更に頑張るべきだ。ちなみに、相場用語で言うとナンピンということになる。買った株が値崩れして損をこいても、その安値で更に購入して今後の相場上昇に賭けるという戦略だ。下げ相場で更にポジションを積み増すことになるので、胃壁も財布もそれなりに厚いことが要求される。筆者も人生相場で5年以上ナンピンを続けたことがあるが、結構胃にくるので素人にはお勧めしない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ロスカットするか、ナンピンするか。どちらが正しいか、ということが問題なわけだが、そんなこと&lt;strong&gt;分かる訳が無い&lt;/strong&gt;。自分の潜在能力がどれだけあるか？　今後の職場（または教室）環境がどう変わっていくか？　それまで自分の体と心が耐えられるのか？　これらの問いに正確に答えられる人間はこの世には居ない。どうしても答えがほしいなら、天国とかスピリチュアルとか、「あっちの世界」に問い合わせて頂きたい。どこぞの水晶玉ごときに自分の人生を委ねたくないなら、&lt;strong&gt;我々は手持ちの不完全な情報をもとに、無理やりでも答えを出すしかない&lt;/strong&gt;のだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;正しいかどうか分からない選択をするわけだから、我々はいつだって不安になる。あの時の選択は正しかったのか。今辛い思いをしているのは、あのときの選択を間違ったからではないのか。筆者自身を含め、人生の選択をしたことのある人間なら誰でも通る道なのだが、結論から言うと、この疑問には意味が無い。過去の選択が正しかったかどうか、確認する手段は存在しないからだ。あなたがきつい会社に残って頑張る道を選び、そして更に辛い思いをしたとする。では、会社を辞めておいた方がよかったのか？そうかもしれない。しかし、辞めた後でどこにも仕事が見つからなかったかもしれないし、新しい職場はもっと辛かったかもしれないのだ。&lt;strong&gt;選ばなかった自分の人生がどれだけ幸せかを知りようが無い以上、今の人生とどちらが良かったかなど、比較できるわけが無い&lt;/strong&gt;ではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;更に言うなら、過去の人生の選択を測るのは、今の自分の行動を無視しているという意味でも無意味である。最初に書いたように、我々は自分たちの将来を予想できない。自分がどんな選択をしようと、成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。今日の成功は明日の成功を保証しない。&lt;strong&gt;我々は昨日下した人生の選択を正しいものにするために努力する&lt;/strong&gt;のである。少なくとも筆者はそう思っている。そう考えた時に、過去の人生の選択が正しいか間違っているかという問いに意味があるのだろうか？　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;救われない不運について&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今まで人生の選択肢の話をしてきたわけだが、「選ぶべき選択肢それ自体が無い」というケースはある。不運にも事故に遭った人、病気にかかった人、皆人生の選択肢を縛られる。不運にも大学を卒業した頃に不景気で就職に失敗するケースでも、多分人生の選択肢は縛られる。中途採用がアメリカほど活発ではない日本では、不運にも自分の企業が倒産してしまえば、やはりその後の人生の選択肢は縛られるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;上で散々強調したように、人生に完全な自業自得は（犯罪などの極端なケースを除いて）存在しない。どれだけ「正しい」選択をしてもうまくいかないときはうまくいかない。しかし、それで「不運は全てあきらめろ」となると、人生のリスクが余りにも高すぎて社会の効率が悪くなる。そこで編み出されたメカニズムが保険である。死んでしまうリスクには生命保険が、病気にかかるリスクには健康保険が、会社が突然倒産するリスクには失業保険がそれぞれ存在し、我々はこれらの保険で人生のリスクを軽減することで少しは人生設計という難事業を行えるわけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、それなら「就職時期に不景気」という不運だって保険が用意されてしかるべきだ、という意見は当然にありうる。しかし、&lt;strong&gt;生命保険が成立して不景気保険が成立しないのにはちゃんとしたわけがある。モラルハザードだ。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;モラルハザードとは、例えば車両保険に加入した後、ドライバーが「保険に入ってるんだから少しくらい擦ったっていいや」と雑な運転をするようになり、最終的に保険会社が赤字になって保険契約それ自体が成立しえなくなることを言う。原則として、保険が成立するのはモラルハザードがないイベントに対してだけである。生命保険があるからといって「死んでもいいや」と思う人はあまりいないし、健康保険に入っているからといって「癌になっても保険があるからOK」と思う人もいない。本人の意思とイベントの発生確率に関係が無いから、これらの保険は成立するのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、上で書いたように、我々の努力で人生の成功確率は変わる。つまり、「保険があるから頑張らなくてもいいよね」と思うことで人生の成功確率は下がり、実際に人生に行き詰まる人も増えてしまう。つまり、&lt;strong&gt;人生そのものについての保険はモラルハザードの問題があるので、保険が成立しない&lt;/strong&gt;のである。言い方を変えると、&lt;strong&gt;努力した末に就職に失敗した人と、努力しないせいで失敗した人とを正確に分類することが不可能だから、保険が成立しない&lt;/strong&gt;ということだ。これが損害保険であれば、「もし今日事故を起こしたら明日から保険料は値上げね」と言うことで、モラルハザードをある程度回避できる。しかし、人生は「あなた人生に失敗したから次の人生では保険料は値上げするね」という訳には行かないのだ。この手のマクロな救済策がうまくいかない理由は他にもたくさんあるが、それは別エントリ&lt;a href=&quot;http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_bdfd.html&quot;&gt;「救われない不運について」&lt;/a&gt;を参照されたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;選択肢が無い人の選択&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;では、極端な例として、「人生の選択肢が無く、そしてその発端が不景気であるために保険でも救済されない」不運な人はどうすればいいのだろうか。筆者としてはそもそも「選択肢が無い」という現状認識が間違っている可能性をまず疑うべきだと思うのだが、とりあえずここでは実際に選択肢がないと仮定しよう。その時の最適な「選択」とはなんだろうか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どうあれ、生きていくためにはお金は必要である。仕事でそのお金を得ることが不可能だと仮定すると、ご近所からふんだくると強盗になる以上、ふんだくる対象はやはり政府ということになる。では、政府からの救済を待って今日は寝るべきだろうか？　しかし、何もしなければそんな救済策が決まる可能性は非常に低いということは前掲の別エントリーで書いた。結局、&lt;strong&gt;政府からお金をふんだくるためには、その可能性を少しでも高めるためには、やはり努力するしかない&lt;/strong&gt;のだ。人を集め、スポンサーを募り、そのためのパフォーマンスをする。政治を動かすには頭数がいる。就職氷河期世代だけでなく、もっと問題を一般化して（または、そう見せかけて）別の世代の注意を喚起してもいい。場合によっては、&lt;a href=&quot;http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article3448844.ece&quot;&gt;国会議事堂によじ登って旗を振ってみせる&lt;/a&gt;位のことはすべきかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん、最初に書いたように、そういう努力をしろなどと僭越なことをいうつもりは無い。どの程度の努力をすべきかは人によって違う。ただし、果報を寝て待つつもりなら、それによって果報が来る確率が下がることは覚悟すべきだ。結局どこまでいっても、リスクとコストの2択からは逃れられないのだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人生にはリスクがある。そのリスクを下げるために努力をする。どのくらい努力すべきかは人によって異なるので、他人が努力の多寡を測ることに意味は無い。ただし、努力しない結果としてのハイリスクな人生を引き受けるのもまた自分だけ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;世の中で成功した人の多くは並外れたリスクをとり、そして並外れた努力でそのリスクを薄めて、更に幾分の運に恵まれて成功を勝ち得ている。運だけで稼げるお金はたかが知れている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;将来のことは誰にも分からないし、自分が選ばなかった人生のその後も決して分からない。だから、人生の選択が正しかったかどうかは本人を含め誰にも、絶対に判断できない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;過去の人生の選択が正しかったかどうかを考えるのではなく、過去の選択を正しいものにすべく努力するべき（もし正しい選択にこだわるならば）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政府によるマクロな救済を要求するという行為についても、結局努力が要求される　－　もし高い確率での成功を望むのならば。自ら動かないならば、マクロな救済が自分の手元に落ちてくる可能性はその分だけ低くなる。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2008-03-02T17:07:50+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6f74.html">
<title>和魂と洋才と医療の崩壊（上）</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6f74.html</link>
<description>前回、ギルド社会で赤の他人を信用できるのは評判メカニズムのおかげであり、そしてそ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前回、ギルド社会で赤の他人を信用できるのは評判メカニズムのおかげであり、そしてその信頼関係は異分子の混入に対して脆弱なので、ギルド社会は本質的に排他的にならざるを得ない、ということを書いた。それこそが銭湯などでの「日本人は外人を差別する」というお約束の主張につながっていくのだ、という所で〆たわけだが、別に異分子とは外人に限らない。ギルド社会が機能不全に陥れば、誰だって異分子になってしまうのだ。今日はそんな話を。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;人間社会と人間の意識、そして人間の選択&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;医療の話に入る前に、前々回のおさらいもかねて評判システムのメカニズムをもう一度確認しておきたい。とある社会に多くの人がいて、この人々は互いに協力しながら頑張って生きているとしよう。そして、世の中の常として、裏切りは少なくとも一時的には得になる。仕事をサボって相手に押し付ける、売上金パクって逃げる、などなど、挙げればきりが無い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もし裏切られた場合、その人はギルドのメンバー（社会の人々）に「こいつが裏切りやがった」と伝えて回る。そうすると、「なんて奴だ」と全員がこの裏切り者を排除（村八分）する。裏切り者は一時的にはパクったお金で儲かるかもしれないが、もはや二度と雇ってもらえなくなるので差し引きマイナス。これが怖いから誰も裏切らないようになるのがギルド社会での人間関係であり、だからこその信頼関係だ。この仕組みが機能している社会では、他人を疑う必要が無い。相手が善人であることを前提に生活できるのである。これはまさに性善説だ、と前回書いた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「自分の利益を出来るだけ増やそうとする人間の行動を考える（注1）」というのは経済学で一般的な仮定だが、これは社会学や哲学系の政治学をやっている人にはどうもお気に召さない考え方であるらしい。「人間はそこまで機械のように合理的ではない」「人間は自分のことだけを考えて生きているわけじゃない」などなど、似たような反論は山ほどある。要するに、経済学が考える人間の行動原理が間違っているというわけだ。そして、例えば「人間は生まれながらに性善説に従っている」ことを前提に社会を語ったりする（注２）。しかし、上の議論から出てくる結論はこれの逆をいく。人間は自分の利益を増やすためにギルド社会を形成し、その上で「他人は皆善人」と考えるようになるのである。&lt;strong&gt;社会学などでは性善説は理屈抜きの仮定だが、ここでは性善説は合理性から導かれる結論であり、現象なのだ&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう書くと、「でも私は他人に優しくするときに『村八分が怖いから』なんて考えてない。自然にそうしているだけだ」と反論されるかもしれない。だが、別に&lt;strong&gt;経済学では全ての人が「いちいち意識して」合理的な選択をしていると考えているわけではない&lt;/strong&gt;。最適な選択に意識は必ずしも必要ないのだ。&lt;strong&gt;意識など無い宇宙の天体が、重力その他の要素を考慮した物理学の最適解に「従って」動いているように、我々もまた無意識のうちに最適な行動をしていると考えることは出来る&lt;/strong&gt;。前回少し触れたように、子供のモノの感じ方は親や社会の影響を強く受ける。「他人に優しく」「わがままを言わずに我慢する」「相手のことも思いやる」というのは、長い時間をかけて練り上げられた日本社会を生き抜く処世術であり、それゆえに倫理となる（別の社会には別の倫理があるのは、システムが違うから）。我々のものの感じ方は社会の在りようから無関係ではいられないのだ。例え&lt;strong&gt;「理屈ではない心からの感情」を感じたとしても、その感じ方が「その社会を効率よく生き抜くための最適の感じ方」である可能性&lt;/strong&gt;は考えておいたほうがいい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;救急システムの崩壊&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話がそれた。タイトルどおり、医療の話に戻ろう。日本の医療システムが崩壊しつつある、というのは、ここ数年よく議論されるようになった。産科医療の崩壊の話はマスコミとネットを賑わせているし、救急車の問題も深刻だ。&lt;a href=&quot;http://www.fdma.go.jp/neuter/about/pam09.html&quot;&gt;総務省の統計&lt;/a&gt;では、2002年までの過去10年間で救急出動回数は約65%増。&lt;a href=&quot;http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/306/index.htm&quot;&gt;こちらの地方記事&lt;/a&gt;では、高松市では本来救急車を呼ぶ必要の無い案件が4割あった、とのことである。&lt;a href=&quot;http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiinov0711368/&quot;&gt;こちらの記事&lt;/a&gt;では、平塚市では救急出動のうち軽症患者が7割とあるから恐れ入る。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/306/index.htm&quot;&gt;この記事&lt;/a&gt;の中でも指摘があるが、&lt;strong&gt;日本の救急車というのは性善説を大前提にしたシステム&lt;/strong&gt;だ。無料であり、しかも一度電話がかかってくれば必ず出動しなければならない。このようなシステムに異分子が混入すると悲惨なことになる。「全ての患者は正直に自分の容態を話し、本当に必要なときしか救急車は呼ばない」という前提で社会が回っている以上、例え嘘であろうとも救急隊員はその患者に全力を注ぎ込まざるを得ない。そして、彼らが頑張れば頑張るほど、その分のしわ寄せは他の正直な患者に回り、事態はどんどん悪化する。銭湯の垢が他の利用者に引っ付くように、問題は拡散していく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何故ここ10年で増えたのか、をはっきりと説明することは難しい。高齢化のせいもあるだろう。だが、ひとつ断言できるのは、&lt;strong&gt;この救急システムはギルド型の観点からも洋才型の観点からも到底正当化できない代物だ&lt;/strong&gt;、ということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まずギルド型のシステムから考えよう。上で書いたように、&lt;strong&gt;評判システムが機能するには、&lt;/strong&gt;社会全体、または裏切り者を処罰するのに必要な人たちに、&lt;strong&gt;「誰が裏切ったか」を迅速に伝える仕組みが無ければならない&lt;/strong&gt;。そして、&lt;strong&gt;裏切り者を排除できなければ、村八分は完成しない&lt;/strong&gt;。銭湯であれば、居合わせた人と番頭には瞬時に情報が伝わるし、番頭が出入り禁止を申し渡すことも出来る。出入り禁止にならずとも、同じ銭湯に通う人が銭湯の外でも会う可能性は高いし（銭湯に通う人の所得や生活スタイルは似ている可能性が高いため）、そうなれば恥ずかしい思いをするのは粗相をした人だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、救急車の場合、裏切り者（軽症なのに救急車を呼ぶ人）の情報が救急センターで止まってしまう。地方の一戸建てならどこに救急車が止まったか分かるかもしれないが、夜のマンションなら裏切り者の特定は近所の人間にすら不可能だ。そもそも、&lt;strong&gt;都会では、同じマンションの住人は同じギルドのメンバーとは限らない&lt;/strong&gt;。人間関係が無ければ、そこにギルドは存在しないからだ。違うギルドのメンバーに情報が伝わっても、裏切り者を処罰できるわけが無い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして致命的なことに、唯一裏切りの情報を持っている救急隊員にはこの自称患者を村八分にする権限が無い。例え常習者だと分かっていても、「万が一」のために駆けつけざるを得ない。例えそうすることで別の患者の命が危険にさらされることがあったとしても、性善説を前提にする限りはどうにもならないのである。このような状況では、日本人だからといってまじめに救急車を使う理由は無い。&lt;strong&gt;ギルド社会を統べる評判メカニズムが、救急システムでは全く機能していない&lt;/strong&gt;のだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「なら何で今までは機能していたの？」というのは当然の疑問だろう。筆者が思いつく理由は二つ。まず、&lt;strong&gt;過去20年で地域社会のギルド的なつながりが薄れ、村八分の効果が薄れてしまった&lt;/strong&gt;こと。顔も知らない人間に村八分にされても特に困らないのである。逆に、今でも社会的な立場がある人間は横紙破りはしない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もうひとつは、&lt;strong&gt;もともと日本人は「みな善人である」と勘違いをしていたに過ぎず、現在はその勘違いが解けていく過程にある&lt;/strong&gt;と考えること。上で、我々が無意識にギルド社会での最適な行動を選んでいる可能性について書いた。無意識に選んでいるということは、突然違う情況が与えられたときにその状況に即応できないということでもある。&lt;strong&gt;我々は評判メカニズムが機能する所（銭湯や、会社組織など）を見て、皆善人なのだと錯覚した&lt;/strong&gt;。その錯覚は、評判メカニズムが機能している限りは正しいので問題にならない。しかし、&lt;strong&gt;その錯覚を評判メカニズムが機能しない救急活動の分野にも適用すると、その社会はゆっくりと綻んでいく&lt;/strong&gt;。最初のうちはいい。救急隊員に負担がかかっても、救急隊員は必要以上に頑張ってしまうので問題は顕在化しない。上で書いたように、この裏切りの情報は第三者にはほとんど伝わらないので、例え患者が完全に悪いケースでも、治療に失敗すれば全く悪くない救急隊員が叩かれる可能性は十分にあるのである（&lt;strong&gt;第三者は、評判メカニズムが機能していると思っているので、患者が間違っているケースをそもそも想定しない。だからこそ救急車を叩くのである&lt;/strong&gt;）。それを恐れる救急隊員は必死に働かざるを得ない。そして、&lt;strong&gt;彼らが頑張るほど「裏切り者が救急車を呼ぶメリット」は高まる&lt;/strong&gt;ことになる。その結果、&lt;strong&gt;裏切り物の数は更に増える&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;当然、この状況では、裏切り者の数は緩やかに増えていく。そして、&lt;strong&gt;救急隊員の体力はどこかで限界に達し、社会問題として顕在化する&lt;/strong&gt;。&lt;strong&gt;その段階で上の錯覚が完全に消滅する&lt;/strong&gt;。「なんだ、救急車って無料タクシーとして使ってもいいんじゃないか」と。&lt;strong&gt;その結果、救急車を自分勝手に使う人は急速に増加を始めることになる&lt;/strong&gt;。善良なる読者の方は、「社会問題になったら行動を慎む人が増える」と思うかもしれない。しかし、その考え方自体がギルド社会的な発想である。評判メカニズムが機能している社会では、社会問題になるほどの事をやらかしたら大変なしっぺ返しを食らう。しかし、救急システムに評判メカニズムは存在しないのだから、しっぺ返しを恐れる必要は無いのである。馬鹿なのは「みんなでモラルを守ればうまくいくのに」などと甘い錯覚を後生大事に抱えている人たちであって、そんな人たちに付き合う合理的な理由はどこにも無い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;問題なのは、&lt;strong&gt;この問題を考える政治家やお役人は未だにこの手の錯覚を抱えて生きている可能性がある&lt;/strong&gt;ということだ。彼らは特殊な職業についているため、日本中どこでも評判システムが機能してしまう。その分、日本にもギルドが成立しない社会があることに気付けない。評判メカニズムの外で生きている「異邦人」な日本人が増えていることがわからない。その結果、最前線にいる人たちに向かって「もっと頑張れるはずだ」「つらいだろうが頑張ってほしい」などというコメントをしてしまう。上で書いたとおり、最前線の人たちが頑張れば頑張るほど、裏切り者の数は増えていく。&lt;strong&gt;「頑張れ」という言葉を安易に口にする政治家たち（マスコミを含めてもよい）は、この10年間で問題を更に悪化させてきた&lt;/strong&gt;のである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;更に皮肉な見方をすれば、過去10年間、日本人は評判システムの外側で救急車をタクシーのように使う人を叩けないので、代わりにまだギルドのメンバーである医療関係者に「もっと仕事しろ」と鞭を入れることで、問題をかろうじて糊塗してきたとも言える。但し、こんなやり方は当然長続きしない。&lt;strong&gt;ギルド社会が社会として安定するのは、「和魂と洋才とユダヤの商人」で書いたとおり、「メンバーの全てにとってギルドに所属することが最適」という状況があるから&lt;/strong&gt;である。このような機能不全に陥ったギルドからは、商人は少しずつ離れていく。医者になる人間は減るか、または海外に職を求めることになる。誰が悪い、ということを言いたいわけではない。&lt;strong&gt;無意識のうちに我々が行動を選んでいる場合、このような「負担の局所集中」は短期的には避けがたいギルド社会の現象&lt;/strong&gt;なのだ。そして、長期的には、集中した負担は別の方法で解決されるか、ギルドそのもの（この場合は救急医療ギルド）が消滅することで解消される。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;救急システムを救う3つの方法&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この問題を解決する方法は２つある。ひとつは、評判システムを立て直すこと。例えば、「軽症であるにもかかわらず3回救急車を呼んだ場合、それ以降はブラックリストに載せて119番に対応しない」というやり方。&lt;strong&gt;救急システムから村八分にしてしまう&lt;/strong&gt;のである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう書くと、「じゃぁその人が本当に病気になってしまったらどうするのか」と思う人は当然いるだろう。しかし、彼らオオカミ少年（むしろ中年や老年が多そうだが…）はきっちりとオオカミに食べられてもらわないと社会システムが成立しないのである。自力で病院までたどり着ければ良し、もし気力・体力・財力が足りないのであればそのままお亡くなり頂くしかない。後は村八分の掟に則り、しめやかに葬儀を執り行うことだけが社会の責任だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何を冷酷なことを、と思われるかもしれない。しかし、第1回で書いたとおり、&lt;strong&gt;ギルドの性善説的社会を維持しているのは「評判を落としたら大変なことになる」という恐怖心である&lt;/strong&gt;。村八分が「大したこと無いじゃん」と思われてしまう社会では、誰が裏切ってもおかしくは無い。&lt;strong&gt;我々は裏切り者をとことん冷たく扱うことで、初めてそれ以外の人たちに優しくすることが出来るのだ&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただ、「救急車にブラックリストなんて納得できない」と思う人はそれでもいるだろう。そこで、全ての人を公平に取り扱う洋才的な解決法も紹介しておく。それは、&lt;strong&gt;救急車の有料化&lt;/strong&gt;。出来れば&lt;strong&gt;完全前金制が望ましい&lt;/strong&gt;。洋才社会では「社会の秩序を乱す悪者」をあらかじめ排除することが出来ない。そして、それを知っている利用者の側には自制する理由が無い。とすれば、金を払わせることで自制する理由を作ってやるしかない。この場合、救急車に載せる前が勝負である。担架よりも早くクレジットカード端末を差し出し、金が払えないのなら病人は放置して撤収すべきなのだ。後日請求にすると踏み倒す輩が出てきて余計なコストがかかってしまう。もちろん、「支払能力はあるけど手持ちが無い」という人を救うために後払いを認めてもよいが、借金の取り立てのコストの分だけ納税者は増税を我慢せねばならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もうひとつの洋才的解決法は、&lt;strong&gt;法律で「救急車は適正に利用すべし」と規制をかける&lt;/strong&gt;こと。こちらの記事を見ると、度を越したケース（救急隊員に暴行を働くなど）では刑事告発も行われているらしいが、&lt;strong&gt;「救急車の適正利用」を明文化することはなかなか難しい&lt;/strong&gt;。想像もつかないような不正利用があったとき、裁判所では当然揉める。時間も金もかかるし、その結果として社会的に望ましい判決が出る保証も無い。むしろ、「何が適正か」の判断を救急隊員に任せる評判メカニズムの方が、まだうまくいく可能性は高いように思う。もちろん、これは救急隊員にかなり大きな政治力を持たせることになるので、彼ら隊員自身も「評判メカニズム」の監視の視線に耐えて自らを律せねばならないが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、救急医療はとりあえずの解決策がありうるとしても、実は産科医療はこれよりも更に難易度が高い。長くなったので、その辺りは次回に軽く説明しておきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;評判メカニズムで大切なのは、裏切り者の情報が適切にギルド内に伝えられること。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々は必ずしもいつも「意識的に」最適な行動を取っているとは限らない。無意識にでも、その社会で生きていくために最適な行動を取るよう教育されていることはありえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;無意識に行動を選んでいる場合、何らかの理由で評判メカニズムが機能しない場合でも、それと気付かないまま同じような行動をとり、そして相手にも同じ行動を期待することはありえる。その結果、評判メカニズムが機能していない場所でも「あたかもそれが存在するかのように」見えることがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この錯覚が、一部の裏切り者の悪事を一時的には覆い隠す（裏切り者がいても別の人が更に頑張ってしまう）。しかし、これは結果として問題を更に悪化させ、いよいよ社会問題として顕在化したときに、錯覚は消滅してこのギルド社会は崩壊へと向かい始める。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注1：&lt;/strong&gt;ここでは敢えて「合理的」とは書いていない。合理的というのは幅広い概念で、「他人に尽くすことが自分の使命」と思っている人も合理的になってしまう。他人に尽くすことから自分の幸せを得ているのだから、彼・彼女は自分の幸福を最大化する合理的な人間なのだ。ここでは、もっと利己的な人でも「他人を信頼する善い人間」になれるという話をしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注２：&lt;/strong&gt;社会学とかは全く知らないので、実際にこういう議論があるかどうかは知らない。ただ、社会学や政治学を勉強した人には、この手のイデオロギーを不可侵の前提条件として話す人が多いように思う。これが引き起こす問題はこのシリーズの後のほうでもう一度考える予定。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>和魂と洋才とユダヤの商人</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2007-12-02T05:19:49+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b54e.html">
<title>和魂と洋才と温泉のガイジン</title>
<link>http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b54e.html</link>
<description>日本や日本の文化が好きな外国人というのは昔も今も結構多い。その中でもとりわけ彼ら...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;日本や日本の文化が好きな外国人というのは昔も今も結構多い。その中でもとりわけ彼らのジャポニズム心を刺激するのが温泉や銭湯であるらしい。&lt;a href=&quot;http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20060116204.html&quot;&gt;こちらのページ&lt;/a&gt;でもやたらと絶賛されているし、筆者の友人にも温泉ガイドブックを辞書を引きながら頑張って読んでいる人がいた（一方で、他人と一緒に風呂に入るというのはどうも馴染めない、という人も多いが）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々が外国すげえ、と思うのは日本ではとても出来そうにないことが当たり前に行われているからであり、海外の人間が温泉を見て喜ぶのはあんなシステムが彼らの母国ではとても出来ないと思うからである。上のページはこんな文章で締めくくられている。『驚くほど見事なトイレや風呂を開発することは、われわれにもできるかもしれない。しかし、穏やかで平等な、信頼関係が成り立っている社会、犯罪もなく、素晴らしい技術をわずか3ドル程度で楽しむことができ、そして大勢の他人の前で裸でいられる、そんな社会空間を作り出すことは無理だろう。仮にできたとしても、きっとそれは、「政治的」と揶揄されるたぐいの行動になりそうだ。』&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;筆者の（それほど多くも無い）経験から言うと、大勢の前で裸でいられるような社会空間、という評価は外人の日本評として頻繁に語られる点であるように思う。「日本は鍵を掛けなくても暮らしていけるんだよね」という神話は海外では未だに根強いし、実際田舎では未だに結構あるらしい。少し前に外国人の入国時の指紋チェックが始まったとき、新聞に「知らない人を見たら友達だと思え、という考え方こそが日本の良さだったのに」と嘆いているドイツ人か誰かのコメントが載っていたが、これも同様の評価だろう。日本人のこの「&lt;strong&gt;性善説的気質&lt;/strong&gt;」は日本を訪れる外国人の大半に強い印象を残している。しかし、日本で出来ることが、なぜ海外では無理なのだろうか？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;温泉というシステムの脆さ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この「性善説的サービス」である温泉・銭湯は、同時に「人種差別」の舞台でもある。&lt;a href=&quot;http://www.debito.org/nihongo.html&quot;&gt;こちらのホームページ&lt;/a&gt;が特に有名だが、個人的にも温泉で差別を受けた、という話は聞いたことがある。その人は日本滞在暦が長く、日本人と結婚して子供もいるのだが、他の「日本人っぽく見える家族」は大浴場に通されたのに、彼は貸切の小さな温泉へと通されたのだそうである。この手の「お断りされて怒っている外国人の話」は、たまにメディアの片隅に登場する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;温泉や銭湯というのは、不文律の多い場所でもある。まず体を流してから入ること。手ぬぐいはお湯につけない。筆者は知らないが、他にもたくさんあるだろう。大人数で使うことを前提としたシステムなのだから、そこにルールが生じるのは当たり前のことである（前回説明したとおり）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;問題なのは、たった一人の人間がこのルールを一度でも破ってしまうと、温泉というサービスは台無しになってしまうという点である。禁煙というルールの場合、タバコに火をつける人間がいても注意すれば済むし、一人だけならそれほど大きな問題にもならない（不快ではあるのだが）。一方で、誰かが垢のこびりついた体でそのまま浴槽に入ってしまったら、その瞬間温泉というサービスは台無しになる。他人の垢がぷかぷか浮いている温泉で落ち着いて湯を楽しめる人間もいるにはいるのだろうし、若干であれば問題もないのだろうが、それこそ何日も風呂に入ってなさそうな人がどぷんと浴槽に入ってきたら、そのままシャワーに直行して帰る人は少なくないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;災難なのは温泉の主も同じで、最悪の場合お湯を一度落として清掃しなおし、ということにもなりかねないし、一度怒って出て行った客が二度と自分の温泉を利用してくれない可能性も考慮に入れなければならない。そうなると、そういう粗相をしそうな人間はあらかじめ番台や受付でブロックしてしまう、というのは、経営判断としては十分に合理的だ。特に、高い宿代を取ることである程度はとんでもない客をブロックできる温泉と違い、銭湯は誰でも気軽に入れるのが売りである。入湯料を上げられない以上、それ以外の方法で客を選り分けるより他に方法が無い。そう考えると、&lt;strong&gt;銭湯における人種差別というのは、事の善悪は別にして、ごく当然の帰結ではある&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;社会現象としての性善説&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;逆に言うと、&lt;strong&gt;温泉や銭湯というのは、一見の客であっても、「彼らは粗相などしないはずだ」という前提条件をおいてはじめて成り立つサービス&lt;/strong&gt;なのである。何故そんなことを信じられるかといえば、ぱっと「親からそう教育されているから」という単純な答えがひらめくのだが、これだけでは「なぜそういう教育を受けるのか」が分からない。親が銭湯に行く子供に作法を教えるのは、少なくとも無意識のうちには、&lt;strong&gt;子供が粗相をすれば親の教育が疑われ、ひいては自分の評判に傷がつく&lt;/strong&gt;ことが分かっているからである。その意味で、銭湯や温泉というのはまさにギルド社会を前提としたサービスなのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;元々、銭湯には地元の人間しか来ないものであった。桶にタオルとシャンプーを入れて山手線に乗る馬鹿はいない。そして、近所の人間も利用する銭湯で粗相をすれば評判に関わる。それこそ、家の外へ出るたびに周りでひそひそと噂話をされかねないのだ。だからこそ、彼らは粗相をしないよう自らを律し、また子供をそう教育するのである。そして、そのようなシステムが機能しているからこそ、銭湯の番頭は「客はみな信頼できる善い人間である」と信じられるわけだ。つまり、&lt;strong&gt;性善説というのは人間の行動原理ではない。評判でメンバーの行動を律するギルド型社会の社会現象なのだ&lt;/strong&gt;（注1）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、&lt;strong&gt;この「前提条件」は地元以外の（ギルド外の）客には当てはまらない&lt;/strong&gt;。もしかしたら、その客は評判メカニズムがあろうが無かろうが粗相などしない常識人かもしれない。しかし、もし一人でもその中に銭湯の仕組みを教えられていない人間、または「旅の恥は掻き捨て」という人間がいた場合、すべてが駄目になってしまうのが銭湯のシステムだ。地元の人間でなくとも、日本国内であれば、評判システムは若干なりとも機能しうるし（注2）、同等の教育を受けていることも期待できるかもしれない。しかし、海外の人間には評判メカニズムは全く機能しない。前回説明したように、&lt;strong&gt;評判メカニズムは「村八分は本人にとって損失となる」から機能している&lt;/strong&gt;のである。日本に観光に来た外国人を銭湯から出入り禁止にしたところで彼らは痛くも痒くもない。前回特に説明も無く&lt;strong&gt;「ギルドとは排他的なもの」と書いたが、それは村八分という処罰が効果を持たない人間には評判メカニズムが適用できないから&lt;/strong&gt;だ。そう考えると、銭湯その他の問題で言われる日本人の閉鎖性や差別意識というのは特に日本人特有のものだとはいえない。ギルドの商人がギルドメンバーとしか取引をしないように、銭湯は「外」の人間を受け入れないことを前提に出来ているビジネスなのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;社会的現象としての「平等」&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方で、ジェノア型の相手を信頼しないことを前提に全ての協力関係を構築する社会では、このような性善説は社会からは生まれない。当然、銭湯のようなサービスは生まれようが無い。逆に、&lt;strong&gt;ジェノア型社会を構築したヨーロッパでは「平等」という概念が発達する&lt;/strong&gt;（平等という概念自体は昔からあったが、今のように金科玉条のように扱われるようになったのは18世紀後半以降であり、その意味では平等というのは比較的新しい常識に過ぎない）。人種や信条、出身地などに関わり無く、誰もが分け隔てなく処遇されること。それはまさにギルドを持たないジェノア型の利点であり、だからこそ親はそうするように子供を教育したのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ジェノア型社会の価値観を持つ人々が（この仕組みを採用している社会は西洋に多いので、以下&lt;strong&gt;洋才社会&lt;/strong&gt;と呼ぶことにしたい）銭湯の持つ排他性を受け入れられないように、我々ギルド社会に生きる人間にはヨーロッパの、特にアメリカの接客は受け入れがたい。欧米の横柄な接客に不快な思いをした人は沢山いるだろう。特にアメリカはひどいもので、客を舐めてかかっているとしか思えないことがある。客が怒って怒鳴り始めてから、「じゃぁそろそろ仕事しようかな」と重い腰を上げるといった按配だ。これは洋才社会ではある意味当たり前の行動ではある。客がクレームしても、それが本当であるという保証は無い。クレームにいちいち譲歩していたら「あそこは甘い」と嘘のクレームの標的になりかねないし、そうなれば経営は立ち行かない。ギルド的なシステムは無いから「信頼できる客」「出来ない客」の選別も不可能。そうなれば、とりあえずクレームを受け流すのが店員の仕事の一部になっていく。そして、客の側もそれを前提に行動するから、立派なホテルのフロントで吉野屋の店員も裸足で逃げ出すような殺伐とした空気が流れることになるのである（注3）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;法律に出来ること、出来ないこと&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、こう書くと、「洋才社会では法規制が一般的なのだから、ちゃんとしたルールを作ればヨーロッパでも銭湯というビジネスは成り立ちうるのでは？」と思う方がいるかもしれない（というか、筆者がそう思ったのだが）。しかし、少なくとも銭湯に限って言うならば、これはかなり難しい。法規制のメカニズムが働くためには、以下の3つが必要になる。まず、どんな行為が罰されるのか、&lt;strong&gt;ルールが完全に明文化されること&lt;/strong&gt;。次に、問題がおきたときに、&lt;strong&gt;第三者がその問題と犯人を確認できること&lt;/strong&gt;。さもなければ「こいつ体流さないで入った！」「いや洗った！」という水掛け論を防止できない。第3に、粗相をした人を物理的につまみ出したり、場合によっては罰金を取り立てられるだけの&lt;strong&gt;強制力があること&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;銭湯でこれをやるのはかなり難しい。大浴場に慣れていない人はかなり奇想天外な使い方をするものだし、その場合の被害も大きい。そんな奇想天外をあらかじめ全てリストアップすることなど不可能だし、もし可能だとしても今度は長すぎて誰も読めない。浴槽の中での粗相は他人には確認が困難だし、犯人を特定できたとしても逆切れされて「それならこんな銭湯燃やしてやる！」などと言われたら、柔道空手の有段者でもなければ罰金の徴収はあきらめてしまうだろう。&lt;strong&gt;法は決して万能ではない&lt;/strong&gt;のだ。コストがかかるだけでなく、コストを掛けても法律では解決できない社会問題はたくさんある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;
異分子に弱いギルド社会&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう考えると、「特定の人としか付き合わない代わりに、その人たちを最初から信頼してかかる」ギルド社会と、「誰とでも平等に付き合う代わりに、相手を信頼しない」洋才社会が真正面からぶつかってしまったのが銭湯の人種差別問題だといえるかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;同時に明らかになったのが、&lt;strong&gt;異分子が混入すると突然システムが破綻をきたしかねないギルド社会の脆弱さ&lt;/strong&gt;だ。会員制の場所ならともかく、ギルドメンバー以外を完全に排除できる場所は必ずしも多くない。洋才的な平等の概念が根付いていればなおさらだ。更に言えば、&lt;strong&gt;この異分子とは必ずしも外国人を意味しない&lt;/strong&gt;。日本人だって一定の状況ではガイジン同様の異分子になりかねないし、そうすると日本の社会システムはあっという間に破綻を迎えてしまうことになる。その問題が端的に表れたのが、昨今の医療崩壊の問題であるように思う。それについては次回。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;本日のまとめ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;銭湯というのは、客がまっとうな（番頭が望むような）行動を取るはずだ、という信頼があって始めて成立するサービス。そのためには、評判メカニズムを支える閉鎖的なギルド社会が必要になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ギルド社会は、そのような性質を持っているがゆえに、性善説的な美徳を持つに至った。一方で、互いを信頼しない代わりに誰とでも付き合う洋才社会では出身その他出自にこだわらない平等が美徳となった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;法さえあれば（そのためのコストさえ掛ければ）人々の行動をコントロール出来る、と考えるのは間違い。全ての条件の完全な明文化など、実現困難な条件を満たさねばならない。法では解決できない問題がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
次回予告：和魂と洋才と医療の崩壊&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;注1：&lt;/strong&gt;一応念のために書いておくと、個人のレベルでは性善説は行動原理として解釈する余地はあるだろうし、そうした方が正しい場合もあるだろう。どんな状況に置かれても善を為す、という人はいるにはいる。しかし、この銭湯の番頭のケースのように、多くの人々が善人だとあらかじめ仮定するには、それなりの状況が必要だと考えるべきだろう。多くの人は、状況次第で善も悪も為すのである。その辺りは、先の回でもう少し説明する予定。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注2：&lt;/strong&gt;地元以外の人間に対する評判メカニズムについては次回。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;注3：&lt;/strong&gt;逆に、クレームに対処するのを一切やめて、「どんなめちゃくちゃな物でも返品に応じます」とやる企業も多い。これも、別に客を信頼しているわけではなく、クレーム対処のコストと広告効果を考えれば、無茶な返品を受け入れてもコストに見合う利益が出ると考えているに過ぎない。どちらにせよ、客の選別をやる気があまりなさそうなのは興味深い。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>和魂と洋才とユダヤの商人</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>馬車馬 </dc:creator>
<dc:date>2007-11-25T12:26:59+09:00</dc:date>
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